ここでケストナーが言っているのは、同人誌の合評会などでよく議論される「大人の読みと子どもの読みは違う」ということではありません。
子どもが読書しているときの没入の深さのことです。
私自身も、子どものころは、好きな本を読んでいるときには、まわりはまったく見えない、音も聞こえないぐらい深く物語の世界に入り込めました。
そういった経験は、三十代半ばぐらいで終わってしまったように記憶しています。
その代わりに、自分の子どもが、学校から本を読みながら帰ってきて、家の前に私が立っているのにまったく気が付かずに、玄関へ向かっていったことを経験しました。
その本は、吉川英治の三国志でした。
今の日本で、そこまで没入できる児童書はどのくらいあるでしょうか?
おそらく、マンガやアニメやゲームの方が、そういった経験をさせてくれることでしょう。
ただ、海外では、その後も同じような読書体験を目撃したことがあります。
サンフランシスコ国際空港に着いたとき、レンタカー会社の迎えのバスの中で、まわりのことに一切関係なく、ひたすら分厚い本を読みふけっているアメリカ人(たぶん)の女の子がいました。
その本は、ハリー・ポッター・シリーズの新刊でした。
子どもと子どもの本のために (同時代ライブラリー (305)) | |
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