ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

10/1日 知立市の西南部分の田園地帯を歩く。 ここでちょっと知立市の紹介 (3分の2)

2022-10-04 04:15:21 | 草花
ここで知立(ちりゅう)市を、名前の由来を中心に据えて少しだけ紹介しておきます。(wikipediaより部分引用しています。)
知立市の位置は愛知県の西三河にあり、面積≒16.3平方キロ 人口≒7万2千人の街であり、江戸時代に日本橋から数えて
東海道の39番目の「池鯉鮒宿」として栄えたところです。
町名の由来は   
7世紀後半の木簡に「知利布」とあるのが始めで、
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律令制以後の8世紀の木簡にすでに「知立」とあり、
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平安時代の『和名抄』に「智立」郷がみえ、
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江戸時代には「池鯉鮒」という東海道の宿場町として栄えた。(知立神社の御手洗池に鯉や鮒が多数いたことに由来との説あり)
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また、知立神社を建てた伊知理生命(いちりゅうのみこと)にちなむという説もあります。
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〇1889年(明治22年)10月1日 - 町村制により「知立町」が発足。
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〇1970年(昭和45年)12月1日 - 碧海郡知立町が市制を施行して「知立市」となる。

在原業平のカキツバタで有名になった八つ橋の無量寿寺もこの市内にあります。



ここの名物は遍照院(弘法大師のお寺)と「大あんまき」なんですが、愛知県人には有名ですが、全国的な広がりではなさそうですので、「あんま気」にせんといてください。(ダイマル・ラケットのラジオ番組での古きギャグでした。)

今回は上のような歴史とかには一切かかわりなく、ただ田園地帯を黙々と歩いたあとの草花に関するレポートです。

テントウムシ ↓

「犬も歩けば棒に当たる」・・・・災難にも、幸運にも使えるたとえですが、今回は久しぶりにこの愛らしい奴を見ることが出来ました。
あの昭和48年(1973年)の大ヒット曲、「てんとう虫のサンバ」を歌ったデュオの”チェリッシュ”は愛知県出身でした。



シロザか? ↓

シロザか?アカザか?・・・・迷いながら撮りました。その迷いは今でも・・・。



マツバギク ↓




マツバボタン ↓

マツバギクとマツバボタンが、同じ斜面(道路の法面)で隣り合って咲いていました。



ヒガンバナ ↓

彼岸花は、もう花に元気がなくなって咲いていましたが、写真のものはその中でもまだ元気の残っているものを狙いました。



イヌタデ ↓

花の穂がよれよれになって見えるこの姿も、この草に相応しいと見ました。



”タカサブロウ”か?

こちらはアメリカタカサブロウなのか、それともただのタカサブロウなのか判断が付きません。自分的にはアメリカのほうかな?と



あぜ道の近くで稲穂の稔り ↓

背後はどうも休耕田のようで、昨年の零れダネからの発芽でしたでしょうか。稔って頭を垂れています。



パンパスグラス ↓

こういうものの下に来るとすぐにナンバンギセルを探してしまいますが、今回は周回中に、目当ての花を一つも見つけることはできませんでした。



稲刈り ↓

この時期はお百姓にとって、土曜も日曜もなく、お天気に従って田畑に繰り出してくるようです。ガンバレ日本の農業!!



コスモス ↓

今回は区画一面のコスモス畑には出逢えませんでしたので、ちょっとした塊で辛抱しておきます。



ローゼル ↓

道路沿いに歩いている中で、左手側に畑があるのですが、ある区画でこの植物がたくさん植えられていました。
ネットで調べてみると、これの実はいろいろな用途で使うことが出来るようです。



10月3日夕刻の上弦の半月 ↓

昨晩は上弦の半月でした。夕刻にこの写真を撮った後、すぐに雲が出て来て月を隠してしまいました。
この晩はISS(国際宇宙ステーション)が二度にわたり見られるはずでしたが、いずれも雲に遮られて見ることが出来ませんでした。
コメント (4)
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