ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

ほぃ しまった! 島田は大井の川止めだ。 10/18日 最後の記事の出し忘れ

2022-10-26 21:43:52 | 草花
島田の宿は大井川のあるところで、大雨のあと、水嵩が増すと川止めになります。「越すに越されぬ大井川」ということになりますが、男女の恋愛の世界では「越すに越されぬ想い川」ということになりましょうか。
それはさておき、小生の場合はうっかりしていて本日の記事をまだ出していないことに気付いたのが夕食前の時間になってしまいました。
それでも図々しく、あと何時間もないのに、10月26日発の記事としてリリースしてしまいます。 面の皮の厚いことで恐縮です。
「田へしたもんだよカエルのしょんべん」とも「厚くて取れぬ面の皮」とか何とでも言ってもらっても仕方がないですね。

10/18日に遠出お散歩した記事は本日をもって打ち止めとなります。
鎌倉街道 ↓

東海道の松並木沿いに鎌倉街道の案内がありますが、鎌倉街道はこの旧東海道の少し北側を通っていたようです。
カキツバタの三河八ッ橋は鎌倉街道沿いにあります。



万葉歌碑 ↓

引馬野(ひくまの)に にほふはりはらいりみだれ 衣にほわせ たびのしるしに(このあたりの地名を昔は引馬野と言っていた。)
「はりはら」=ハンノキの生えている原または「萩の原」という説もある。
歌の意味は:引馬野(ひくまの)に咲き匂っているハンノキの原(または萩の原)のなかに入り込んで歩き、此処まで旅して来た記念に、萩の花を衣に香り染めなさい。というくらいの意味でしょうか。
なお、引馬野(ひくまの)の地は愛知県宝飯郡御津町(現在は豊川市になっている)という説もあります。



馬市の址 ↓

歌川広重の「東海道五十三次池鯉鮒 馬市」に描かれているように、江戸時代この地の馬市は甲斐や信濃から馬が集められてきて、
それに伴い相当な人出があったということです。



旧東海道と国道一号の交差 ↓

画面の広い道が国道一号で、右側から交差してきている道が旧東海道です。松並木の最後の部分の松の木が見えています。



国道を跨ぐ橋 ↓

歩行者と自転車だけが通れる橋ですが、これが国道一号を跨いでいます。



すぐに名古屋鉄道本線の跨線橋 ↓

これも歩行者と自転車だけが通れる橋で、大掛かりな跨線橋が二つ続きます。



木曽御嶽は見えなかった。 ↓

跨線橋の高いところから木曽御嶽を探しましたが、見えてはきませんでした。


名古屋鉄道の電車 ↓

電車の前照灯が付いています。日没タイムが迫り、肌寒さを感じるようになってきました。



日没ショー ↓









日没は知立市の田んぼでその時間になりました。 しばらく田んぼのそばに留まって日輪が沈んでいくのを眺めます。

家に着いたのは暗くなってからとなりました。
コメント (6)
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