高楼の14階から眺めた山岳眺望をもう4枚貼ります。
鈴鹿山脈の藤原岳 ↓
養老山地 ↓
伊吹山 ↓
大川入山と蛇峠山 ↓
どの山もみな霞の中にあって、シルエット気味で大変見づらいのですが、過去に自分が足を運んだ場所ですので、自分だけの世界で
いえば、こんな景色でも意味のあるものとなります。
折角山岳の好展望を期待して高楼に来ましたが、眺望的には良いものではありませんでした。 これにて高楼から降りて付近を
散策しながら家に戻っていきます。
シオン ↓
畑の片隅で背丈の高い菊が咲いています。これは紫苑でしょうか。
神社境内のさざれ石 ↓ ↓
この石を伊吹山の岳麓からこの神社まで持ってきたようです。伊吹の岳麓にはこういう状態のものがたくさんあるようですね。
この日2機目のヘリ ↓
一日にヘリコプターを二機見るのは最近では珍しいと思います。
フヨウ ↓
花はもちろんですが、この時は青空もきれいでした。
コムラサキ ↓
島倉千代子の「りんどう峠」という歌を知っているでしょうか? 今となっては相当古い歌で、(1950年代)この歌は
西条八十作詞、古賀政男作曲ということですから、どちらも大御所ですね。
その頃の島倉千代子の歌声も可憐そのものでした。
「りんどう峠」の歌詞の中に「りんりんりんどうはこむらさき」とありますが、それは記事の画のものではなくて
「濃い紫色」ということでした。
筋雲 ↓
秋の雲の代表的な形態ではないでしょうか?
付録:
尾崎士郎の気配 ↓
三羽烏 尾崎士郎撰……とあります。
これは安城市内のとあるお寺の墓地で去る日に、偶然見かけたものです。
「人生劇場」の作者で有名な尾崎士郎は現在は西尾市になっている愛知県幡豆郡横須賀村の生まれでした。
作中人物の青成瓢吉と尾崎士郎はイメージ的に重なる部分もあるようですが、あの村田英雄の「人生劇場」という歌はどうも
イメージ的に合わないような気もします。
歌の中で任侠の世界を強調し過ぎているようで、小説とは乖離してしまっているように感じました。
ところで、ここで「三羽烏」という言葉を選んだ尾崎士郎の思惑が今一つ理解できませんでした。
尾崎士郎とお付き合いのあった三人の仲の良い人物をさして尾崎が「三羽烏」と呼んでいたようだ…という事しか判りません。
またその三人のうちの一人は新聞社の社長だということも聞いていますが、これは小説を連載した都新聞とかかわりがありそう
ですがその点も未確認です。
そもそもこの石碑が、何故に安城市のこのお寺にあるのか? その因縁も確認できていません。
15日の夜空:
15日晩の夜空は雲もありましたが、雲のかからない部分もあり、目当てにしていたものが良く見えていました。
更待月(22:35分) ↓
名前の通り、夜が更けてから見えて来ました。この時の月齢は19.7。
火星 ↓
月のすぐそばで赤茶けた星として見えています。
木星 ↓
中天で明々と輝いています。ソフトで拡大すると衛星も見えて来ます。
鈴鹿山脈の藤原岳 ↓
養老山地 ↓
伊吹山 ↓
大川入山と蛇峠山 ↓
どの山もみな霞の中にあって、シルエット気味で大変見づらいのですが、過去に自分が足を運んだ場所ですので、自分だけの世界で
いえば、こんな景色でも意味のあるものとなります。
折角山岳の好展望を期待して高楼に来ましたが、眺望的には良いものではありませんでした。 これにて高楼から降りて付近を
散策しながら家に戻っていきます。
シオン ↓
畑の片隅で背丈の高い菊が咲いています。これは紫苑でしょうか。
神社境内のさざれ石 ↓ ↓
この石を伊吹山の岳麓からこの神社まで持ってきたようです。伊吹の岳麓にはこういう状態のものがたくさんあるようですね。
この日2機目のヘリ ↓
一日にヘリコプターを二機見るのは最近では珍しいと思います。
フヨウ ↓
花はもちろんですが、この時は青空もきれいでした。
コムラサキ ↓
島倉千代子の「りんどう峠」という歌を知っているでしょうか? 今となっては相当古い歌で、(1950年代)この歌は
西条八十作詞、古賀政男作曲ということですから、どちらも大御所ですね。
その頃の島倉千代子の歌声も可憐そのものでした。
「りんどう峠」の歌詞の中に「りんりんりんどうはこむらさき」とありますが、それは記事の画のものではなくて
「濃い紫色」ということでした。
筋雲 ↓
秋の雲の代表的な形態ではないでしょうか?
付録:
尾崎士郎の気配 ↓
三羽烏 尾崎士郎撰……とあります。
これは安城市内のとあるお寺の墓地で去る日に、偶然見かけたものです。
「人生劇場」の作者で有名な尾崎士郎は現在は西尾市になっている愛知県幡豆郡横須賀村の生まれでした。
作中人物の青成瓢吉と尾崎士郎はイメージ的に重なる部分もあるようですが、あの村田英雄の「人生劇場」という歌はどうも
イメージ的に合わないような気もします。
歌の中で任侠の世界を強調し過ぎているようで、小説とは乖離してしまっているように感じました。
ところで、ここで「三羽烏」という言葉を選んだ尾崎士郎の思惑が今一つ理解できませんでした。
尾崎士郎とお付き合いのあった三人の仲の良い人物をさして尾崎が「三羽烏」と呼んでいたようだ…という事しか判りません。
またその三人のうちの一人は新聞社の社長だということも聞いていますが、これは小説を連載した都新聞とかかわりがありそう
ですがその点も未確認です。
そもそもこの石碑が、何故に安城市のこのお寺にあるのか? その因縁も確認できていません。
15日の夜空:
15日晩の夜空は雲もありましたが、雲のかからない部分もあり、目当てにしていたものが良く見えていました。
更待月(22:35分) ↓
名前の通り、夜が更けてから見えて来ました。この時の月齢は19.7。
火星 ↓
月のすぐそばで赤茶けた星として見えています。
木星 ↓
中天で明々と輝いています。ソフトで拡大すると衛星も見えて来ます。