カープ君の部屋

カープファンですが、カープの記事はありません。目指せ!現代版「算額」

002【すべてが先生】

2020-10-11 15:46:21 | 現代徒然草
@02【すべてが先生】

小学生か中学生の時に、聞いた話である。
何事も学ぶ主体は自分自身であるということだ。知ろうという気持ちがあれば、何からでも学ぶことが出来る。そんな気持ちで生活をしてきた。出会う人は全て、自分の先生だった。いや人だけでなく全ての事柄も先生であった。

手話をやっていた時期がある。そのサークルでは手話歴が一番長くなった。ろう者が参加していない時には、自分が先生役を努めなけばならなかった。ある時、地域のグループが手話を教えて欲しいと小学2年生10人ぐらいとそのお母さんたちがサークルにやって来た。

「食べる」という手話は、箸で食べる様子で表す。自分が右手で食べる仕草をすると、小学生たちは左手で、お母さんたちは右手で食べる仕草を真似した。本来手話は右左関係ない。右手でも左手でも、その人が表しやすくやれば良い。小学生に「君、左きき?」と聞くと、「右です」と答えが返ってきた。以前年配の方を教えた時も同じ経験をした。後でもこのようなことは経験をした。年配の方には、「手話には左右はどちらでも良いので、利き手で表してください」と前置きして始めた。小学生には、逆になることを頭にイメージして自分が左右逆に表すこともあった。

この経験では、小学生たちと年配の方々は私の先生なのです。
(2017/11/9)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする