●朝9時46分
じゃあ、繋げてみるか内線
まだ雪がだいぶ残る、とある街のオフィス
「はい、△△△の◯◯です、、、」
「あ~◯◯さん、元気~ ますいです、、、、そう、内線つながったか確認ね、、、のぼりくん、いる~?」
「いえ、いませ~ん」
「ん?」
「みんな避難してます~階段で~」
「え?」
「地震です、結構大きい~で避難指示出てます~」
「え? だ、大丈夫なの? で、君はなんでそこいるの?」
「階段降りかけたんですが、忘れもの取りに戻りました~」
「あっ、そう?だけど避難指示が出ているなら、早く逃げないとだめじゃない、、、」
「行きま~す」
いま思うと、なんともな~というやりとり。(^^;;
六本木オフィスとの会話でした。
そのあと自宅に電話し我が子らの声は聞き、その後しばらくして、勤務先にいるかみさんの無事を確認、、、
かみさんの実家に 自分の実家にそれぞれ無事を確認、報告
やがて東京への電話は繋がらなくなりました。
でも、そのあとの数時間のあいだ、事の重大さは全くわかりませんでしたね・・・
なにかいままでよりは大きなものだったらしい、、、というだけで!
さ、11時、ランチしょう、食堂があるよ、、、混むから早めに行きましょう!
なんて現地のひとに連れてかれた、同じビル内の銀行の食堂。
提携先の銀行です・・・
あ、やっぱランチにボルシチなんてあるんだね~ 、、、なになに、サワークリームいれて? ふむふむ
なーんて呑気にランチ食べてると、その
食堂の奥の方でなにやら現地のTV局? のインタビューを受けてる大柄なオヤジ!
あ、あれはオーナーだ!
そう、食堂の入口に貼ってあった写真に プーチンさんと仲好さそうに写っている・・・
その提携先の銀行のオーナーさんでした。
そのうち、そのオーナーさん・・・
彼の席近くの天井からぶら下がっていた、テレビ画面の前に 仁王立ち?になって食い入るように見始めた、、、
なんか言ってるぜ、、、
なんだ、なにがあった? とそのテレビ画面に目をやると
あ、、あの、、、
とんでもない、み、水?
あ、波が街、畑、車、家々を飲み込んでいくCNNのライブ映像でした、、、
お、おいおい、、こりゃやべぇぞ。。。。
その後は、、
ふたたび六本木オフィスに連絡して、部員の無事だの、、、
「オフィスビル降りてきましたが、相当怖かったらしく、そのまま帰宅しました~ ビルの一階敷地、免震構造でひび割れみたいに隙間あき、怖かったらしいですわ~」
なんて部下の報告を聞いてたのでした。
夜 ディナー 飲み
お店のクロークではかならず
「お前の国は大丈夫か、帰らなくていいのか、、お見舞い申し上げるよ」
な~んてニュアンスのお言葉を投げかけられました。
「帰れるの? 無理なら連絡ちょうだいな」なんて声をかけてくれる優しい方もいました。
帰れなきゃ、サンクトペテルブルクでも行くかねぇ?
まだそんな呑気な感じでしたし、
帰国は2日後の日曜日
な、なんとかなるやろ・・・と言っていたら、ほんとうに
なぜか、スーと成田、スーとリムジンで東京に戻ってきたのでした。
土曜日や、翌月曜日は交通もマヒ状態だった・・・ というのに・・・・
その後・・・
「あ・・・地震だ・・・」
未だにちょっとした揺れで私が反応しても
「あの時はこんなもんじゃないですよ、、、」
と周りから言われ続けてます
これからも言われ続けるんだろうな?
そんな、四年前
I was staying at the representative office in Moscow then.
There was a 6-hour time deference.
じゃあ、繋げてみるか内線
まだ雪がだいぶ残る、とある街のオフィス
「はい、△△△の◯◯です、、、」
「あ~◯◯さん、元気~ ますいです、、、、そう、内線つながったか確認ね、、、のぼりくん、いる~?」
「いえ、いませ~ん」
「ん?」
「みんな避難してます~階段で~」
「え?」
「地震です、結構大きい~で避難指示出てます~」
「え? だ、大丈夫なの? で、君はなんでそこいるの?」
「階段降りかけたんですが、忘れもの取りに戻りました~」
「あっ、そう?だけど避難指示が出ているなら、早く逃げないとだめじゃない、、、」
「行きま~す」
いま思うと、なんともな~というやりとり。(^^;;
六本木オフィスとの会話でした。
そのあと自宅に電話し我が子らの声は聞き、その後しばらくして、勤務先にいるかみさんの無事を確認、、、
かみさんの実家に 自分の実家にそれぞれ無事を確認、報告
やがて東京への電話は繋がらなくなりました。
でも、そのあとの数時間のあいだ、事の重大さは全くわかりませんでしたね・・・
なにかいままでよりは大きなものだったらしい、、、というだけで!
さ、11時、ランチしょう、食堂があるよ、、、混むから早めに行きましょう!
なんて現地のひとに連れてかれた、同じビル内の銀行の食堂。
提携先の銀行です・・・
あ、やっぱランチにボルシチなんてあるんだね~ 、、、なになに、サワークリームいれて? ふむふむ
なーんて呑気にランチ食べてると、その
食堂の奥の方でなにやら現地のTV局? のインタビューを受けてる大柄なオヤジ!
あ、あれはオーナーだ!
そう、食堂の入口に貼ってあった写真に プーチンさんと仲好さそうに写っている・・・
その提携先の銀行のオーナーさんでした。
そのうち、そのオーナーさん・・・
彼の席近くの天井からぶら下がっていた、テレビ画面の前に 仁王立ち?になって食い入るように見始めた、、、
なんか言ってるぜ、、、
なんだ、なにがあった? とそのテレビ画面に目をやると
あ、、あの、、、
とんでもない、み、水?
あ、波が街、畑、車、家々を飲み込んでいくCNNのライブ映像でした、、、
お、おいおい、、こりゃやべぇぞ。。。。
その後は、、
ふたたび六本木オフィスに連絡して、部員の無事だの、、、
「オフィスビル降りてきましたが、相当怖かったらしく、そのまま帰宅しました~ ビルの一階敷地、免震構造でひび割れみたいに隙間あき、怖かったらしいですわ~」
なんて部下の報告を聞いてたのでした。
夜 ディナー 飲み
お店のクロークではかならず
「お前の国は大丈夫か、帰らなくていいのか、、お見舞い申し上げるよ」
な~んてニュアンスのお言葉を投げかけられました。
「帰れるの? 無理なら連絡ちょうだいな」なんて声をかけてくれる優しい方もいました。
帰れなきゃ、サンクトペテルブルクでも行くかねぇ?
まだそんな呑気な感じでしたし、
帰国は2日後の日曜日
な、なんとかなるやろ・・・と言っていたら、ほんとうに
なぜか、スーと成田、スーとリムジンで東京に戻ってきたのでした。
土曜日や、翌月曜日は交通もマヒ状態だった・・・ というのに・・・・
その後・・・
「あ・・・地震だ・・・」
未だにちょっとした揺れで私が反応しても
「あの時はこんなもんじゃないですよ、、、」
と周りから言われ続けてます
これからも言われ続けるんだろうな?
そんな、四年前
I was staying at the representative office in Moscow then.
There was a 6-hour time deference.