元!4級審判員の日記 

2002年9月より始めたブログもはや21年〜
2005年からのJFA3級は今も維持、今は元!と名乗っています。

☆diffusion rate

2011-02-01 12:05:51 | business
●ドラえもんのポケット
に入っている 翻訳こんにゃく でないけれど

翻訳マウスピースみたいなものが、できないものかねぇ・・・いいかげん、そんな機械があってもいいと思うのだが、やっぱり英語圏人の陰謀でそんな装置は作らせないのではないかねぇ・・・
という話をしては、友人に笑われています。

それほどまでに
IFRSやら海外進出がらみやらで、私、いじめられています。


Wikipedia で英語をひくと
「母国語としている人は世界人口の4.68%で、第1位の中国語(13.22%)と比べかなり少ない、しかし公用語人口としては英語が世界一である」とあります。

他方、英語、普及率 とネット検索をすると、少し古いデータかもしれません(2009年のデータです)が、インターネットで使われている言語の普及率のコラムがあります。

インターネットの使用!でいえば日本人の使用率は相当で
インターネット上の主要言語としてはスペイン語についで第4位です!フランス語よりすごいんですよ・・・

日本人はおそらく、このような英語普及の環境下で
我慢して英文を読むか あるいは、翻訳ソフトでなんとか意味がわかるようにして、サイトをみているのかもしれません。

面倒くさがりやの多い 日本人・・・
なんですかね。

いや自らを省みてそう思います。

まともに見れれば、相当に日本人は立腹するような事象が多いことでしょう。

以前より書いている、海外スポーツのルール替えにせよ
今回の会計基準ではない 財務開示基準のIFRS にせよ。
Wiki何とか? が暴露している外交情報でアホ呼ばわりされるにせよ

いつか爆発したときが、日本人の怖さを披露するときが来るのでしょうか?
(と他人事ではないか・・・ その日本人の一人として目にものみせてやる!との意気込みが必要ですか・・・)

昨日もテレビにて
何かしら海外の映画監督が自作のプロモーションのために来日してきて、「日本は楽しい、いい国だ・・・」なんてインタビューされてましたけれども

「お人よし・・・」の国でいつまでいられるかですかね。

それでも北アフリカの政変をみると
そんなことは起こりそうにもない日本
まだまだ、余裕! のある国なんですね。

と言ってる間にアジアを中国やら韓国やらに席捲されようとも・・・

朝がたはコメントが浮かばず時間切れでしたが、

My bossの日記が英語に関してでしたから、ちょっと考えてみました。

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official language (noga)
2011-02-01 16:59:34
英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
英語環境がととのっていれば、そのうちに、英語も上達する。

我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしがなりたたない。

日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境がととのはないからである。
一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
日々の学習努力も賽の河原の石積みとなっている。

日本の学生のために英語環境を整えることが、語学力を増すことにつながると考えられる。
それには、英語を我が国の第二公用語にするのがよい。
国民も政治指導者も、英語の使用を日本人のあるべき姿と考えることが大切である。

国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しく行われている。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。
英語を実用の言語とする政治指導者のさきを見据えた努力が大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。

英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。

一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。

「感情的にならず、理性的になれ」と国民に訴える指導者がいない。
「国民の感情に反する、、、、、」と言うのでは、主張の論拠にならないが、それのみを言う。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。

大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生は、平和ボケ・太平の眠りの中にいる。
「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。

日本人は、国連中心主義が好きなようだ。
国連の議場で世界の人々を説得するためには、自己の言葉が冴えわたる必要がある。
議論のできない人があえて国連中心主義を唱えるのは、自己の他力本願を表明するための手段ということになるのであろうか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


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