急に思いたち、動画を作成しました。
久しぶりとなる動画制作ですが、今回は合唱曲の「群青」を信長貴富氏による混声四部の編曲版にて、各声部を1回ずつ歌唱し、重ねました。
この「群青」についての概要は以下の通りです。
福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生と、音楽教諭の小田美樹によって作られた曲。
2011年3月11日は、3年生の卒業式が行われ、午前中で学校は放課となった。その数時間後の14時46分、東日本大震災が発生、津波によって小高の街は甚大な被害を受け、後に小高中の生徒が4名死亡した。そのうち1年生は2名死亡した。
また、福島第一原発事故によって、小高区が半径20km圏内の警戒区域に指定されたことから、小高中学校も小高区外に避難することとなった。その際、津波で犠牲となった2名を除く104名の1年生も、大半の97名は小高中学校を離れ、北は北海道、南は長崎県まで、全国に散り散りとなった。
友だちが全国に散り散りとなり、原発事故で小高に戻れないことなど、様々な不安が生徒たちにのしかかり、わずか6・7名の2年生も、心を痛め、音楽の授業では歌が歌えなくなっていた。音楽の授業を受け持っていた音楽教諭の小田美樹も歌うことができなかった。皆が歌うことの難しさを感じていた。
ある日、歌が歌えなくなった生徒たちの授業を受け持っていた小田が、小高中を離れた生徒がどこにいるのか把握するため、大きな日本地図に生徒の顔写真を貼り付けていたら、生徒たちが口々に「遠いね」「どうやったら行けるの」「〇〇さんはどうしているだろう」「〇〇市はどんなところなんだろう」「でも、この地図の上の空はつながってるね」など、気持ちを露わにした。そこから、歌うことができなくなった2年生の生徒たちと小田による詩づくりが始まった。そして、2年生の生徒たちが3年生に進級する。
小高中学校では毎年、卒業式の時に卒業生が希望や未来を語った歌を合唱することが、毎年の慣例となっている。
津波で2名の同級生を亡くしたり、遠い疎開先から今もなお戻ってこない同級生などを思ったりする3年生が、思いを綴った日記や作文、他愛もないおしゃべりから、3年生の思いを地道に小田は書き留めていき、それをつなぎあわせて、「群青」の大筋の歌詞が出来上がった。
この詩に、小田が作曲して、平成24年度卒業生のための卒業式の歌「群青 - 平成24年度 小高中学校卒業生に捧ぐ」が完成した。2013年2月のことであった。
「群青」という題名は、小高中学校の校歌に「群青」という言葉があることのほか、小高中の野球クラブの「小高群青クラブ」、小高中の文化祭の「群青祭」といった、小高中を象徴する言葉であることから、「群青」と名づけた。
生徒たち自ら作詞したこの曲を練習するにつれて、長い間歌が歌えなくなっていた3年生の生徒たちも、徐々に歌声を取り戻し、卒業式ではできるかどうか危惧されていた学年合唱で、「群青」を合唱することを成功した。
それ以降、この曲は小高中学校の在校生たちに代々受け継がれている。
-wikipediaより引用
この「群青」を初めて聴いたのは、実は今月のことです。
人の想いの一端に触れ、触発された、ということでしょうか。
急に「これ、歌いたい!」と思い立ち、すぐに制作に取り掛かりました。
思えば、仕事用以外で楽譜を購入したのは随分と久しぶりのことです。
とあるテノールが「群青」(混声四部)をひとりで歌ってみた
↑こちらの演奏会
5月6日 Laboratorio141-4431 再【ka:i】
→お申込専用フォーム
【その他お問い合わせ】
teatrogoloso@zoho.com
Fax 03-6745-9117(芹澤)
人の耳は空気の振動を鼓膜で捉えてから耳小骨、あぶみ骨、キヌタ骨を介して脳に届き、「聴こえる」ということになります。
つまり芹澤の声が両耳を支配している、ということです(笑)
良い曲ですよね~( ・∀・)
正確にお答えすると、アルトパート、テノールパート、バスパートはお利口さんです!
ソプラノパートを歌っているテノール芹澤が高音で自己主張をしてしまうのが「隠しきれない我欲(テノール感)」なのです(笑)
#両の耳小骨に芹澤
は、そのままの意味です(笑)
両耳から芹澤の声が侵入してくるでしょ?(笑)
じしょうこつ、と読むのだけはわかりました(^^;;
そして、素晴らしい歌声♪♪♪
某所で書いておられますが...
ソプラノ、アルト、バスは良い子達なのに、テノール君は、ちと暴走気味な所がある子なんですね(笑)
#両の耳小骨に芹澤
って、何ですか(・・?)