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袋町小学校平和資料館

2008-09-02 23:23:18 | 普通の日常
仕事で、広島まで行ってきました。

広島の、原爆の爆心地から460メートルの場所にある「広島市立袋町小学校」。
時間が少しあったので、その学校に併設されている「袋町小学校平和資料館」へ立ち寄ってきました。


その学校の西校舎は、当時としては最先端の鉄筋コンクリート造りのものでした。(なんでも校舎にはダストシュートまで設置されていたそうです)
それで・・爆心地からわずか460メートルという至近距離にもかかわらず、かろうじてその西校舎だけは焼け残ることができました。
そして、そこは被災者の方々の救護所として、救護活動の重要な拠点のひとつとなりました。

この校舎の壁面には、被爆者の方々の消息などを知らせる「伝言」がたくさん記されていました。
しかし、戦後何度も校舎は改築され、そのたびに壁は漆喰で塗られ、その伝言は壁の奥へと閉ざされたままになっていました。

丈夫なはずの鉄筋コンクリート校舎でしたが、さすがにもう立て替えなければ・・と解体され新校舎を建設することになりました。
そこからあの「伝言」探しが始まりました。
丁寧に、手で、漆喰の壁を少しずつはがしていきます。それも、どこに伝言が記されているのか全くわからない状態での作業です。
教室の黒板をはずすと、そのまま伝言文字の残っていた壁もあったそうですが、ほとんどはチョークが漆喰に吸収されてしまって、文字の跡がわずかに残っているだけという。

その壁を特殊なフィルムで撮影し、そしてコンピュータ等で解析し、専門家の方々が集まって、一文字ずつ読み取られていきました。


~姉を原爆で亡くした妹さんたちが、何十年ぶりかにその伝言を見にきました。みなさんもう杖をついているおばあさんになっています。
「あぁ、お母さんが書いたものじゃね。やっと私たちが読むことができた」~ (資料館の中のビデオより)


他にも、たくさんの方々のお名前や、また生徒を心配して尋ねてこられた先生方の伝言など、たくさん記されていました。

原爆投下後の混乱の中、こうしてみんな必死で「命」の確認をしようとされていたのですね。携帯電話も何もないところで・・

校舎はもうすっかり建て替わっていますが、当時の校舎の一部がそのまま資料館に残されています。
平和記念公園からも近いので、よかったら一度、寄ってみてください。そして、伝言を、確かに未来の私たちに伝わっていることを確認してください。

袋町小学校平和資料館