このドラマは、単に「告知をするべきか、しないべきか」なんてものがテーマのものではなかったんですね。
本当に大きな意味での『家族』を取り上げていて。(あ~、そういえば「篤姫」もこの言葉をよく使いますね)
映画でもドラマでも、本を読んででも同じだと思うんですが、登場人物の中の誰かと自分が重なって、さまざまなことを考えたり、感じたり・・そういう見方を誰でも自然としますよね。
このドラマでも、そう感じたのですが、どの人物と自分を重ねていたか?というと、不思議なことに特定の誰かではなくて、全ての人というか、あるときは十央子だったり、誠至だったり、またそのほかの人であったりと。
どの人にも自分が当てはまって、いろんな角度から観てしまうのです。
そして、一過性のドラマではなくて、あとから何日たってもふと思い出して考えてしまう・・そんなドラマでした。
うちの主人は「自分は告知してもらう」と言っています。
私は自分のこともだけれど、主人のことも絶対に私には告知して欲しくないと思っています。
(高島さんみたいになれるとはとても思えない)
ドラマを見て、多分、山口県の方ならご存知の方も多いと思いますが、がん手術から生還した陽 信孝(みなみのぶたか)さんのことを思い出しました。
きっと私も、陽さんの奥様のようになってしまいそうだからです。
注:以下、かなり長文です。すみません。
陽さんは、親友の医師からがんの告知を受けます。
そのときのことを、著書の中で「友人として告知する彼も苦しかっただろうが、私はその瞬間、目の前が真っ暗になり、彼の思いを推測するまでのゆとりはなかった」と書かれています。
そして、「日頃何気なく見過ごしてきた草花、松の梢で鳴いているカラス、走り去る野良犬など、生きとし生けるものすべてが羨ましく、愛おしく、いいようのない寂しさを感じた。そして、死への恐怖が込み上げてきた」と。
それでも陽さんはがん手術から見事に生還されます。
素晴らしい精神力で、病気と闘われたのです。
ところが、陽さんの体が徐々に回復してくるにつれ、陽さんが入院前から密かに恐れていたことがにわかに現実味を帯びてくるのです。
なんだと思いますか?
それは、奥様の異変です。
陽さんががんの宣告を受けたときに、陽さんとともに医師の話を聞いた奥様は大変な取り乱しようで、「おとうさんが死ぬ、おとうさんが死ぬ」といいながら家の中をおろおろ歩き、ただ泣くばかりであったのです。
そして、次の日から暗い部屋で、ひとりぶつぶつ何事かをつぶやきながら、ビニールの袋を十個ばかり手元に並べ、そして日がな一日、部屋の中にあるものをとっかえひっかえしては、袋に入れたり出したりを繰り返す。そして、夜になると布団の中でさめざめと泣き続ける・・そういった、常人でない奇異なしぐさが日を追って目立つようになるのです。
奥様は、大学ノートにこんな一文を残されています。
「神様、もし神様がいらっしゃるなら私の願いを聞いてください、お父さんが何か悪いことをしたのですか。あんな優しい、思いやりがあって、人の世話ばかりしてきたお父さんが、どうしてこんな目にあわなくてはならないのですか。お父さん、死なないで。お父さん、がんばって」
奥様は、大好きな大切なご主人ががんという病気にかかってしまったせいで、ものすごいショックを受け、告知された瞬間、それが脳に強い作用を及ぼし、アルツハイマー病になってしまわれたのです。
それからの陽さんは自分の病気と闘いながら、奥様の手もずっと引いて行かれるのです。
がんなどという重篤な病気なら、誰でも自分中心になって、かがままになるであろうと思います。
「どうして自分だけ?」きっと、死というものを意識して、八つ当たりしてしまうかもしれません。
でも陽さんは、そんなことかまっていられないのです。
元気な者でも、家族にアルツハイマー病の者がいたら大変だと思います。ましてや陽さんは闘病の身。
どう生活していくのか、私には想像もできません。
奥様がまだお元気だったころ、陽さんは奥様と一緒によく講演会をされていました。
奥様も必ず一緒です。お人形を持った奥さんが、陽さんの姿がよく見える場所で、いすに座って待っています。
その奥様を見つめる陽さんの優しい目。もし神様の姿が見えるとしたら、きっと陽さんのようだと・・そう思える姿でした。
大好きな大切なおとうさん、死なないで!そう祈っていた奥様の願いは叶います。
陽さんは、きちんとお仕事もされて、元気にお過ごしです。そして、そのお父さんの死を見ることなく、奥様は先に旅立たれました。
著書の中にも書かれていますが、講演会で聞いた話の中で、私がとても印象に残っているのが、「アルツハイマーという病気は、悲しいものではなく、家族とのゆっくりした別れを与えてくれるもの」という言葉です。
これは映画「ユキエ」での言葉だということでしたが、なんとこの映画は舞台が萩で、また佐々部監督が助監督をされているという・・
そして、陽さんは萩在住でNPO法人萩コミュニティシネマの理事もされているはずなので、(6月に萩ツインシネマで「結婚しようよ」の上映会があったときにご挨拶されていました)、今回もきっとお会いできるのではないかと思います。
「告知せず」のドラマを見て、陽さんのことを思い出したなんて、本当はよいことじゃないかもしれないけど、こうしていろいろなことをまた考えさせてくれたドラマに感謝しています。
そして「告知」というものが与える影響について、更に考えさえせられたように思います。
陽 信孝さんの著書「八重子のハミング」も、よかったら読んでみてください。
そして、映画「ユキエ」も。
本当に大きな意味での『家族』を取り上げていて。(あ~、そういえば「篤姫」もこの言葉をよく使いますね)
映画でもドラマでも、本を読んででも同じだと思うんですが、登場人物の中の誰かと自分が重なって、さまざまなことを考えたり、感じたり・・そういう見方を誰でも自然としますよね。
このドラマでも、そう感じたのですが、どの人物と自分を重ねていたか?というと、不思議なことに特定の誰かではなくて、全ての人というか、あるときは十央子だったり、誠至だったり、またそのほかの人であったりと。
どの人にも自分が当てはまって、いろんな角度から観てしまうのです。
そして、一過性のドラマではなくて、あとから何日たってもふと思い出して考えてしまう・・そんなドラマでした。
うちの主人は「自分は告知してもらう」と言っています。
私は自分のこともだけれど、主人のことも絶対に私には告知して欲しくないと思っています。
(高島さんみたいになれるとはとても思えない)
ドラマを見て、多分、山口県の方ならご存知の方も多いと思いますが、がん手術から生還した陽 信孝(みなみのぶたか)さんのことを思い出しました。
きっと私も、陽さんの奥様のようになってしまいそうだからです。
注:以下、かなり長文です。すみません。
陽さんは、親友の医師からがんの告知を受けます。
そのときのことを、著書の中で「友人として告知する彼も苦しかっただろうが、私はその瞬間、目の前が真っ暗になり、彼の思いを推測するまでのゆとりはなかった」と書かれています。
そして、「日頃何気なく見過ごしてきた草花、松の梢で鳴いているカラス、走り去る野良犬など、生きとし生けるものすべてが羨ましく、愛おしく、いいようのない寂しさを感じた。そして、死への恐怖が込み上げてきた」と。
それでも陽さんはがん手術から見事に生還されます。
素晴らしい精神力で、病気と闘われたのです。
ところが、陽さんの体が徐々に回復してくるにつれ、陽さんが入院前から密かに恐れていたことがにわかに現実味を帯びてくるのです。
なんだと思いますか?
それは、奥様の異変です。
陽さんががんの宣告を受けたときに、陽さんとともに医師の話を聞いた奥様は大変な取り乱しようで、「おとうさんが死ぬ、おとうさんが死ぬ」といいながら家の中をおろおろ歩き、ただ泣くばかりであったのです。
そして、次の日から暗い部屋で、ひとりぶつぶつ何事かをつぶやきながら、ビニールの袋を十個ばかり手元に並べ、そして日がな一日、部屋の中にあるものをとっかえひっかえしては、袋に入れたり出したりを繰り返す。そして、夜になると布団の中でさめざめと泣き続ける・・そういった、常人でない奇異なしぐさが日を追って目立つようになるのです。
奥様は、大学ノートにこんな一文を残されています。
「神様、もし神様がいらっしゃるなら私の願いを聞いてください、お父さんが何か悪いことをしたのですか。あんな優しい、思いやりがあって、人の世話ばかりしてきたお父さんが、どうしてこんな目にあわなくてはならないのですか。お父さん、死なないで。お父さん、がんばって」
奥様は、大好きな大切なご主人ががんという病気にかかってしまったせいで、ものすごいショックを受け、告知された瞬間、それが脳に強い作用を及ぼし、アルツハイマー病になってしまわれたのです。
それからの陽さんは自分の病気と闘いながら、奥様の手もずっと引いて行かれるのです。
がんなどという重篤な病気なら、誰でも自分中心になって、かがままになるであろうと思います。
「どうして自分だけ?」きっと、死というものを意識して、八つ当たりしてしまうかもしれません。
でも陽さんは、そんなことかまっていられないのです。
元気な者でも、家族にアルツハイマー病の者がいたら大変だと思います。ましてや陽さんは闘病の身。
どう生活していくのか、私には想像もできません。
奥様がまだお元気だったころ、陽さんは奥様と一緒によく講演会をされていました。
奥様も必ず一緒です。お人形を持った奥さんが、陽さんの姿がよく見える場所で、いすに座って待っています。
その奥様を見つめる陽さんの優しい目。もし神様の姿が見えるとしたら、きっと陽さんのようだと・・そう思える姿でした。
大好きな大切なおとうさん、死なないで!そう祈っていた奥様の願いは叶います。
陽さんは、きちんとお仕事もされて、元気にお過ごしです。そして、そのお父さんの死を見ることなく、奥様は先に旅立たれました。
著書の中にも書かれていますが、講演会で聞いた話の中で、私がとても印象に残っているのが、「アルツハイマーという病気は、悲しいものではなく、家族とのゆっくりした別れを与えてくれるもの」という言葉です。
これは映画「ユキエ」での言葉だということでしたが、なんとこの映画は舞台が萩で、また佐々部監督が助監督をされているという・・
そして、陽さんは萩在住でNPO法人萩コミュニティシネマの理事もされているはずなので、(6月に萩ツインシネマで「結婚しようよ」の上映会があったときにご挨拶されていました)、今回もきっとお会いできるのではないかと思います。
「告知せず」のドラマを見て、陽さんのことを思い出したなんて、本当はよいことじゃないかもしれないけど、こうしていろいろなことをまた考えさせてくれたドラマに感謝しています。
そして「告知」というものが与える影響について、更に考えさえせられたように思います。
陽 信孝さんの著書「八重子のハミング」も、よかったら読んでみてください。
そして、映画「ユキエ」も。