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映画『悪人』

2010-09-22 21:59:31 | 最近観た映画
「あんた、大切な人はおるね?」
「その人の幸せな様子を思うだけで、自分まで嬉しくなってくるような・・」

古湯映画祭で、映画『悪人』を観てから、すっかりはまっています。正直に言うと、妻夫木くんに。
帰ってからすぐに原作の文庫本(上・下)を購入し、即読んで、その夕方にはもう一度映画館に行ってしまいました。

感想を詳しく書くとネタバレになるので、それは【追記】で書くとして、まずは映画のシーンとそのロケ地の写真を紹介します。

<映画のシーンが紹介してある写真は、佐賀駅構内に掲示されていたパネル展の画像です>

◆「11時に佐賀駅で・・」というメールの約束で、祐一と光代が初めて逢うシーン。



写真を撮ったあと、深津さんの気分になってこっそり座ってみましたが、妻夫木くんは現れてくれませんでした。


ものすごいスピードで、ここに祐一のスカイラインが入ってきて、ぴたっと停車します。↓↓


◆映画の中の車はこれです。 (いや、それにしても、後ろの風景がまったく変わっていないことに驚きです)


ちょうど同じ位置に車がやってきました。送迎用に一時的に停車してもよいようです。


さて、また前の位置にもどりますが、この視線の先に光代がいます。
光代は車の音で祐一が来たのに気付きますが、ドキドキした気持ちを隠すかのように、このモニュメントの後ろにそっと隠れてしまいます。


先に声を掛けるのは祐一の方。
「ぁ、・・清水やけど・・」  (英語字幕はyuichiとなっていたと思います。清水=祐一というのが説明しにくいからかも)

では、感想はこちらから↓↓↓ ネタバレになると思うので、まだこれから観ようと思われている方は気をつけてくださいね。




【以下ネタバレを含む感想です】

「あんた、大切な人はおるね?」
「その人の幸せな様子を思うだけで、自分まで嬉しくなってくるような・・」


これは、柄本さん演じる、殺された女の子のお父さんの言葉なんですが。

私なりの解釈だと、この言葉がこの映画の全てだと思うのです。
こう思えない人が、本当の「悪人」なんじゃないかと。

海の側に暮らす祐一は、光代と会ったばかりのときは「海の先には、もう何もないように感じる」と言っていました。
それが、最後、光代と一緒に見つめた海の先には、光代に「見せたい!」と思った夕日がキラキラと輝いていました。
大切な光代がこれから先、ずっと幸せであって欲しい。光代が幸せであればいい。例え、その幸せの中に自分がいなくても・・
いや、自分がいると光代は幸せにはなれない。
それは、客観的に見ても、主観的に見ても、どこから見ても、自分の存在が光代から完全に消えなければ。
なぜなら自分は殺人犯だから。

二人が隠れていた灯台に、ひたひたと警察の足音が迫ってきます。
もう、自分の存在を光代から完全に消さなければなりません。
そのとき祐一の取った行動は、ただただ光代のことだけを考えていたのだと思います。

光代にはそれが通じたかどうかはわかりません。

第一、本当に祐一のことを思っているのであれば、自首しようとしたときに止めるべきではなかったと思います。
「少しでも一緒にいたい」というのは、未来のある光代だから言えることで。
自首しなければ、もう未来は断ち切られてしまう祐一とは立場が完全に違っていたと思うのです。
だから自分のことしか考えていない光代が、実は一番「悪人」だったりするのかもしれません。

そうですね、この映画では誰もが「自分は悪くない」と思っているような。自分だけは「悪人」ではないと。

「確かに自分は女の子を峠に置き去りにした。しかし、それで死んだわけではない。だから自分は悪くない」そう笑う増尾。

うわべだけで生きている佳乃。出会い系でお金をもらっているなんて、親が知ったらどれほど悲しむだろう・・なんてこと、多分考えてなんかいない。

祐一の祖父母も母親も。


その中で、「光代と逢わなきゃ、こんなこと思わなかった」と、自分の中の「悪人」を自覚する祐一は、やっぱり怖いですね。



という訳で、これが2度ほど観た段階での感想です。
多分、すぐに3回目を観に行ってしまうと思うので、そうするとどう感じ方が変わるのか?自分の気持ちにも関心があります。