孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

遼寧省 丹東市の旅 Part2

2009年10月26日 23時47分23秒 | 旅行(中国)
鴨緑江を鴨緑江橋梁・中朝友誼橋を中心に観光する船に乗った。船は北朝鮮の川岸近くまでいった。距離にして50mくらいか・・・
以前はもっと近寄ったらしいが、人家がはっきり見える。

これらの橋に関しては、朝鮮戦争の歴史を語らざる得ないだろう。
1950年6月25日始まった朝鮮戦争で、国連軍の一部部隊は鴨緑江に迫った。
1950年10月19日に中国の人民志願軍は参戦し、10月25日、初めての戦闘を行う。
志願軍が最初に戦闘を行った10月25日は抗米援朝義勇軍記念日とされている。
今回、丹東を観光したのは10月23日・24日。
そして、参戦した1950年10月19日は旧暦で9月9日。 今年の10月26日(このUPを行った日)は旧暦の9月9日であり、チョット数字の因縁を感じた。


  旧暦9月9日と書いてあり数字の因縁を感じた。
  これが副市長の言った縁??




  断橋に北朝鮮に進む兵士の像があった。 指揮するのは彭徳懐将軍


  端の先端は観光名所になっている


  爆撃で破壊された跡と使用されたアメリカ軍の爆弾(?)


  観光客は、望遠鏡で北朝鮮の生活をながめる事に興味津々








  動いた事は無いと言われる観覧車


  よく見ると、この建物には短波帯のアンテナがある。
  北朝鮮国旗もあるし、何か政府系の建物か??

遼寧省 丹東市の旅 Part1

2009年10月26日 23時04分50秒 | 旅行(中国)
ウィキペディア(Wikipedia)によると、
丹東市(たんとう-し)は中華人民共和国遼寧省南部に位置する地級市。鴨緑江を隔てて朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と接する国境の街である。旧名は安東。朝鮮族が20万人以上居住している。中朝貿易最大の物流拠点であり、その7割以上がここを通過すると言われている。

とある。北朝鮮との国境の町程度の認識しか無かったが、人口240万の街は活気があり、今後の発展の可能性が予想された。 戦前は約3万人の日本人がこの地で生活していたと言われている。
新区の開発がこれから進もうとしていた。 大連にも近く、北朝鮮との国境沿いで鉄路は朝鮮半島と中国を結んでいる。この鉄路は、遠くモスクワともつながっている。
街のシンボルは、北朝鮮との鴨緑江に架かる朝中友誼橋と断橋。
断橋は朝鮮戦争であまりか軍の爆撃を受けて破壊された当時のままになっている。



 丹東市の地図。 白い部分は北朝鮮
 鴨緑江という川が国境線であるが、中州部分は不思議な国境線引きになっている



  中朝友誼橋(左)と断橋と呼ばれている鴨緑江橋梁(右)
  朝鮮戦争時の1950年11月8日アメリカによって爆撃され橋は破壊され、現在は観光用。 入場料20元
  橋は日本が作ったもので、断橋手前の円筒刑の建物はトーチカのようなもので当時は穴から銃口を向けていたのだろう。




  ライトアップされた橋の夜景がきれいでした


  断橋と対岸の様子 橋の延長にあたる北朝鮮側に観覧車があるが動いた事はないという


  バスが北朝鮮から中国に向かっていた。 バスに乗客はいない。不思議に思いガイドに聞くと、バスは北朝鮮への観光客を乗せて北朝鮮の対岸に向かったバスが戻ってきたのだと言う。 観光客は対岸で北朝鮮のバスに乗り換えるという。