孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

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東京オリンピック

2009年10月10日 10時10分10秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)
1964年10月10日 東京の上空をブルーインパルスのF-86Fが五輪の輪を描いた。 本番の為の練習で何回か東京上空で演習していた気がする。
当時は、今のオリンピックのように政治が複雑に絡み合うような事はなかった。(・・・のだろうか)

10月10日は1964年のオリンピック開会式の日、ふと昔を思い出す事にした。
オリンピックは1945年の終戦から僅か19年後に行われ、日本の復興を示すものとなりその後の70年代の経済の発展につながる。
オリンピックの聖火リレーは、の大戦で日本が迷惑を掛けた国への謝罪の意味でコース作りをしたという話も聞いたことがある。

> ギリシャから日本までは、イスタンブール(トルコ)→ ベイルート
>(レバノン)→ テヘラン(イラン)→ ラホール(パキスタン)→
> ニューデリー(インド)→ ラングーン(ビルマ)→ バンコク(タイ)
> → クアラルンプール(マレーシア)→ マニラ(フィリピン)→
> ホンコン(ホンコン)→ 台北(台湾)と、11の中継地を経て、
> 9月7日に沖縄に到着した。

そして、日本の聖火リレーは沖縄から始まった。 
 (注: 当時沖縄はアメリカ占領下にあり返還前)
出展は下記URLから
http://www.joc.or.jp/past_games/tokyo1964/story/vol01_02.html

中国は当時IOCに加盟していていなかったが、加盟していて国交が正常化していれば中国も聖火リレーのコースになった事だろう。しかし、その説明だと、このコースには隣国の韓国が無いなぁ。と、今気が付いた。

聖火の最終ランナーは広島県出身の坂井義則氏が行った。この広島県出身というのも原爆にたいするアピールととれる。
そして、市川崑総監督が制作した『東京オリンピック』の映画の感動は今も忘れない。

さて、2016年のオリンピックは、東京に決まらず残念の結果になった。
もし開催国が東京なら、どのような聖火リレーのコースにしたのだろう。
そして、東京オリンピックは実は先の大戦に対する日本のメッセージという政治的な意図が隠されている。
2016年のオリンピックに対して誘致を行った関係者は、どのような政治的なメッセージを込めようとしたのだろうか?
今はこういった各国の投票で決める行為は武器を持たない戦争である。環境に配慮などの理念は良いが、それだけでは賛成は難しい。
一票を投票してもらえるように諸外国に対していかなるロビー外交を続けていたのだろうか?国際社会で日本が受け入れられる国なのか、2016年の東京オリンピック失敗で再考する必要があるのではと感じる。

それはともかく、1964年10月10日の東京の天気は見事な快晴だったなぁ。