孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

承徳の旅 Part1

2010年07月12日 00時10分16秒 | 旅行(中国)
北京から北東に250km。 7月10日(土)、清の時代の皇帝の避暑地だった承徳へ日帰りのたびをしてきた。
北京から承徳まで片道250km。 前夜にCDの音楽をたんまりDLして携帯電話に詰め込み、往復500㎞のバスの中での対策はバッチリ。 天気は曇りで今にも雨が降りそう。 そして、昨年秋に全面開通した京承道路を順調に向かう。道路は天候のせいなのかすいていた。 うーーん、道は良いなぁ。 こんな道をピンクのポルシェかオレンジ色のカウンタックで飛ばしたら気持ち良いだろうなぁ。
承徳は、明清の時代の皇帝の避暑地として有名であり、先週は元の時代、今週は明清の時代と、急に歴史のたびが続いたなぁ。
承徳へはなかなか行く機会が無かった。 理由は距離的に中途半端。 旅行会社の人に聞くと、例えば日本人の北京ツアーで日程が短い場合には承徳へは、往復丸1日必要なので行かないそうだ。 例として、中国人の日本観光で関西に行く場合、京都・大阪は定番であるが、奈良にはなかなか行かないのと同じとのこと。 旨い比喩だなぁ。。

避暑山荘:
中国四大名園の一つで、世界一大きい宮廷の庭園とか。 面積はいわいえんの2倍とのことなので、広さは想像がつかない。 避暑地として、皇帝は執務や狩を楽しんだそうだ。
その際、各地方の者も参加させ皇帝の力を見せ付け、皇帝に反抗する気力を失わせたそうだ。 そして、狩は軍事訓練と後継者を定める試験の場。 避暑って言っても実態は熱い戦いがあったのね・・・
さて、その避暑山荘、総面積5460平方km、周囲の城壁は10㎞。

これ、顔の部分をナデルト金持ちになれるそうだ。 だから、顔や口の部分が剥げている。 お尻の部分は、何に効果があるのだったかなぁ… 聞いたけど、忘れた。 顔とお尻と両方触ってきました。


四知書屋
書屋というから書庫というわけではない まず四知という言葉は“君子知微、知彰、知柔、知剛、万物之望”に由来。 これは乾隆帝の治世思想であり、柔=温和政策、でも従わなかったら剛=武力で制圧しちゃうぞ!!
皇帝はここで着替えをしたり、日常の政務や会見をしたようだ。
避暑山荘の建物は、皇帝が住んでいた場所という割には色具合は質素だ。
また中国の建物にはつきものの屋根の上の動物の飾りも避暑山荘にはない。 これは、避暑地であり、周囲との調和を優先したかららしい。 避暑山荘って環境配慮型建築の元祖だったのね…



江南地区の庭園を思い浮かべるのどかな雰囲気
遠方の不思議な山(少しかすんでいる)は分かりますか? この山(棒錘山)に登ると130歳まで生きられるそうだ。 見ただけで93歳まで生きられるそうだ。 御利益あるのかなぁ?? だとすると、承徳の人は平均年齢93歳以上ってことになるが・・
垂直、いやオーバーハングの山(きっと岩山なんだろう)で、遠くから見たら大きな皇帝の椅子に見える。今回は時間が無くて、この山は遠くから見ただけ。




当時の衣装と靴を履いていた女性。 靴の部分を良く見てください。
約10㎝位の底上げ靴(当時のハイヒール?)です。 そして良く見たら、中国の衣装の内側はスパッツ姿…  チラリを期待したのに…  @_@;;;