楊柳青は天津市の中心部から16kmの距離にあり、北京から天津までは約130km。
隣の市までちょいとバス旅行を行った。
北京市内は曇っていた(PM2.5の影響??)が、天津に近づくにつれ天気は快晴になってきた。
石家大院は楊柳青博物館となっているのだが、清朝末期(1875年創建)の建築物。邸宅跡で、邸宅と言っても、その広さは、敷地7200平方メートル、建築郡が占める面積は2000平方メートルの広さ。国民党時代には軍の駐留、文化大革命での荒廃が続き、1987年から6年の歳月と560万元の費用を投入し修復し現在は博物館となっている。
楊柳青
石家大院の中では、あちこちに白菜の置物がありました。 結構大きく立派なものでした。
中国人は白菜好きですからねーー 何故好きかって?
その理由は、白菜の中国語の発音が、「発財」や「百財」など多くの財を生むという意味合いの単語と似ているからです。
当時使用のものが展示されていました
中華人民共和国初期時代、この扇風機や電話機(机に2台ある)のが贅沢として、この主、粛清されたとのこと。 当時の人が今の中国の贅沢ぶりを見たら、何と思うだろうか??
青年画などみやげ物やが並んでいました。
関帝廟がありました
関帝廟で獅子の化粧直し中??
隣の市までちょいとバス旅行を行った。
北京市内は曇っていた(PM2.5の影響??)が、天津に近づくにつれ天気は快晴になってきた。
石家大院は楊柳青博物館となっているのだが、清朝末期(1875年創建)の建築物。邸宅跡で、邸宅と言っても、その広さは、敷地7200平方メートル、建築郡が占める面積は2000平方メートルの広さ。国民党時代には軍の駐留、文化大革命での荒廃が続き、1987年から6年の歳月と560万元の費用を投入し修復し現在は博物館となっている。
楊柳青
石家大院の中では、あちこちに白菜の置物がありました。 結構大きく立派なものでした。
中国人は白菜好きですからねーー 何故好きかって?
その理由は、白菜の中国語の発音が、「発財」や「百財」など多くの財を生むという意味合いの単語と似ているからです。
当時使用のものが展示されていました
中華人民共和国初期時代、この扇風機や電話機(机に2台ある)のが贅沢として、この主、粛清されたとのこと。 当時の人が今の中国の贅沢ぶりを見たら、何と思うだろうか??
青年画などみやげ物やが並んでいました。
関帝廟がありました
関帝廟で獅子の化粧直し中??