孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

愛人のメモから Part 6

2013年01月15日 23時59分58秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)
1999年12月28日にパソコン通信(懐かしい死語)にUPした内容です。


孫文先生愛人の亭主メモから 1999.12.28

=== 男社会 ===

先日の2・6・2の法則は、フォーラム内で思いがけぬRESもあり、反響も有りましたが、もう1つ、少し古い新聞記事から感じていることを書きます。

10月21日と23日の神奈川新聞に女性記者の憤慨が書かれています。
神奈川県の某自治体での議会の問題に付いて取材に行ったところ、「女ごときに町をかき回されてたまるか!」という抗議が、本人ではなく上司に対して来たと。
記者と言う本質(職務から)問題を追求し、読者に対して明らかにする事に対して男性記者ならいざしらず、女性記者の手で暴かれるのが許せなかったからだろう。
その憤慨した文章が「女ごときに…」というタイトルで女性記者の署名入りで書かれていた。
記者が、「なにぃ? 女ごときで悪かったなぁ」と小気味良い啖呵をきっているのを読み、拍手喝采したくなった。 
会って見たいなぁ!!
世の中は、男性と女性しかいない。 決して男性と女ではない。
私の会社でも上司に女性の管理職の職場がいるし、外資系の部門と話をすると責任者が女性というケースが多々有るが、だからといって仕事に何の支障も無い。
その自治体は、女はお茶くみと事務職程度をやらせておけばという旧態以前とした感覚が隅々まで染み付いているのだろう。
そう思うと、我が自治体も似たり寄ったりのところがあるが。

そういえば、以前書いたかもしれないが、女性のISO9000審査員が、女性と言うことを理由に審査に来ないでくれと要望した事があったと、その本人から聞いたことがある。 
会った事も無い審査員に対し過去の職種・経歴等で審査回避を申し出るのは正当性があるが、性別が理由というのは、その企業の体質に?が付くと思う。  
(注:その審査員本人から聞いた話であるが、彼女は優秀の部類に入る審査員です)

さて、話を戻して、この女性記者の事を書いた10月23日の神奈川新聞の記事(照明灯)の後には、こんな事が書いてある。  そのまま引用すると、

60年前の米映画、ジェームス・ステュアートの「スミス都へ行く」を思い出す。
ダム建設で巨利を得ようと謀る有力者がいる。 それを若き上院議員スミスが壇上で告発する。 演説は延々23時間半に及び、彼は倒れてしまうが、有力者の一人が心を動かされ、すべてを告白する。 土壇場で勝ったのは、〝若造ごとき〟〝田舎者ごとき〟の正論だ。


 男女雇用機会均等法も施行されたし、象に立ち向かう蟻のひと噛みの言葉も有る、旧態以前とした悪癖は2000年には無くなって欲しいものだが、朱に交わればあかくなるの言葉も有る。
悪癖に関して上司を見習い、いつまでも甘い汁を求めたり女性蔑視の体質は、日本の近代化を損ねていると、海外に出て日本を見るたびに思えてならない。
   孫文

 ******************

パソコン通信の時代には、某ビジネスフォーラムで7000人程度のフォーラム参加者を相手に毎晩丁々発止していた。
最近はずいぶん腕が鈍ってしまったのを感じる。