Bus Tour 43人
第28番 成相寺 京都府宮津市成相寺339 創建 704年 寺伝によれば704年(慶雲元年)、真応上人の開基で、文武天皇の勅願寺となったというが、中世以前の寺史は判然としない。天橋立を望む成相山の一帯は、日本古来の山岳宗教の修験場として信仰を集めてきた土地。成相寺は、文武天皇の勅願所として、704年に真応上人が創建したと伝えられている。以前は、今よりもさらに山の上部にお堂が建てられていたが、1400年に大規模な山崩れにあい、現在地へと移った。
圓通閣 本堂左甚五郎・真向の龍木鼻観音堂鎌倉後期十王堂孔雀明王閻魔大王 一願一言地蔵慈母観音 鐘楼百観音
第29番 松尾寺 京都府舞鶴市松尾532 唐の僧である威光上人が松の大木の下で修行していたところ馬頭観音を感得し、草庵を結んだのが始まり。松尾寺という名前もこの松にちなんでつけられたそうです。
馬頭尊・松尾寺 仁王門 本堂 一切経蔵地蔵堂 大師堂 石仏宮津湾
本日の作業 ・クロマメ---各5葉を残して摘芯 ・パプリカ、唐辛子---Ca,カキガラ石灰、敷き藁 ・ネギ---サプロ-ル ・トマト---がく割れ多い、日照のコントロールが難しく、家庭菜園では致し方ない 今年は天候の関係で、作物の生育が、芳しくない。
法輪寺 軽寺跡 橿原市大軽町94 PK-解りにくいがある 寺の創立年代は、明確にされてないが、寺跡から飛鳥時代後期、あるいは白鳳時代前期と思われる古瓦が発見されている。日本書紀には天武天皇朱鳥元年(六八六)に軽寺という記事があって、寺の存在がわかる。 創立者は、賀留大臣玄理(かるのおとどくろまろ)で、推古天皇の時、唐から持ち帰った薬師如来像を本尊として軽寺を建てたといわれている。
春日神社 法輪寺の北 橿原市大軽町北垣374 第十五代 応神天皇が都を置いたのは、難波の大隅宮だけではない。記紀は現在の橿原市大軽町にも軽嶋豊明宮(かるしまのとよあきらのみや)を置いたことを伝えている。父は仲哀天皇で、母は神功皇后こと息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)とされる
陵墓: 恵我藻伏岡陵(えがのもふしのおかのみささぎ:大阪府羽曳野大字誉田)