法輪寺 生駒郡斑鳩町三井1570
聖徳太子の子である山背大兄王が太子の病気平癒を祈るため、622年に建てた、とする。今一つの説は『上宮聖徳太子伝補闕記』および『聖徳太子伝暦』(延喜17年・917年、藤原兼輔著)に見えるもので、創建法隆寺の焼失後、百済の開法師・円明法師・下氷新物(しもつひのにいもの)の3人が建てたとするものである。
昭和三十二年、父が小説で描いた谷中天王寺の五重塔焼失を目撃した幸田文は、後年、落雷によって焼失した奈良法輪寺の三重塔の再建に奔走する。このとき、斑鳩町に仮住まいし、再建を見守った。
金堂
以下Post card より
十一面観音
三井瓦窯跡 生駒郡斑鳩町三井東山639
法起寺西側の尾根丘陵の【瓦塚2号墳】後円部の西側斜面に在る
白鳳時代(7世紀末~8世紀初)に法隆寺や法輪寺の瓦を焼いた窯です