週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

大和地蔵十福霊場  元興寺・印相地蔵  Archives

2019年01月31日 | 神社仏閣

 元興寺 奈良市中院町11

華厳宗の寺。本尊弥勒菩薩。初め蘇我氏によって飛鳥の地に建てられ,法号を法興寺,俗に飛鳥寺ともいった。平城遷都以後平城京内に移され,南都七大寺の一つとして栄え,三論・法相などの教学の中心の一つであったが,その後寺運衰え,現在かつての塔跡と仮堂の本堂,鎌倉時代建立の僧坊の一部極楽坊が残っている

 

印相地蔵 宝珠も錫杖も持たない印契で表現された珍しい地蔵尊です。室町時代の宿院仏師定正の作

阿弥陀如来坐像 重文

薬師如来

極楽坊 国宝

極楽坊

禅室 国宝

堂内

 

 

閼伽棚

閼伽棚

板碑

石仏

 元興寺の鬼、飛鳥時代に奈良県の元興寺に現れたといわれる妖怪

 

浮図田

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一休寺 2011.10.16 Archives

2019年01月30日 | 神社仏閣

一休寺 酬恩庵 京田辺市薪里ノ内(たきぎさとのうち)102   88歳で没
臨済宗大徳寺派の寺院である。本尊は釈迦如来。一休寺とも称される。枯山水の石庭や一休和尚の木像のほか、「一休寺納豆」でも有名。 出自は後小松天皇の落胤とする説が有力視されている 88歳で死去  

一部の画像 TVより

 

   

唐門

本堂

中央 釈迦如来

本尊 釈迦如来

  

開山堂

南を画し北を画し西東を画するのみ。風流狂いの気ちがい坊主が、遊女屋や呑み屋で気ちがい風をまきおこしておる。眼のしっかりした禅坊主がいたら、この風流狂いの坊主の心底をみとおしてみるがいい。さかだちしたってわかるものか。

 

方丈庭園 正面・観音堂

  

 

きっさこ お茶をどうぞという意味

虎丘庭園

 

    襖絵方丈 一休骸骨 一休咄狂雲集

大徳寺の住職も兼ねる 輿に乗って25kmもある大徳寺へ行った

 

森女  

  

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地蔵院  2019.01.23

2019年01月29日 | 神社仏閣

地蔵院  京都市北区大将軍川端町2                                                                                                            726年(神亀3年)行基が摂津国に建立したのが始まりと伝えられ、室町時代におきた明徳の乱(1391年)で焼失したのを室町幕府3代将軍足利義満によって衣笠山の麓へ移されたという。天正年間(1573年 – 1592年)現在地に移されて中興された。豊臣秀吉が椿を寄進したことで知られ椿寺の名で知られる

  

山門

本堂

本堂

内陣

五却思惟阿弥陀如

 

十一面観世音菩薩

地蔵堂

地蔵堂

石仏

キリシタンの墓

天野屋利兵衛 墓 元禄時代に熊本藩細川家と岡山藩池田家の大坂屋敷に出入りしていた大坂の商人

観音堂

延命地蔵尊

観音堂の隣に、右から「鎮守社」、「椿大神」、「弁財天

地蔵群

世継地蔵

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大将軍八神社  2019.01.23

2019年01月28日 | 神社仏閣

大将軍八神社 京都市上京区一条御前西入ル3西48
当社は平安京造営の際、陰陽道に依り大内裏(御所)の北西角の天門に星神「大将軍堂」を建て 方位の厄災を解除する社として創建されたという。創建当初は陰陽道のお堂として建てられた為「大将軍堂」と称し江戸時代に入り 大将軍村の鎮守社として祀られる様になった。又、その頃からそれまでの北斗妙見信仰から太白精の信仰に移り暦神と習合して 「大将軍八神宮」とも称した

 

 

 

  

本殿

      

                    祭壇

三社神社 右寄り 命婦・宗像三女神・猿田彦神社

五社神社 右より事代、稲荷、天満宮、長者、大物主

 

方位盤

大杉大神

錨 碇は縁起物とされ、厄除けなどの願いを込めて神社に収められることがあった

武将神像

大金神

社務所

豆吉(まめよし)神社のご神体

大将軍神

方位神

東帯神像

童子像

神像

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広隆寺 その2 蛇塚古墳  2019.01.23

2019年01月27日 | 神社仏閣

霊宝殿の仏像  その仏像の多くは飛鳥時代から鎌倉時代にかけて作られ国宝、重要文化財を含む50体以上の仏像が1982年に建てられた「新霊宝殿」内に展示されている 

以下 文献から

太子立像16歳像

木造不空羂索観音立像

木造十二神将立像のうち珊底羅(宗藍羅)像

地蔵菩薩坐像

虚空蔵菩薩坐像

千手観音坐像(平安・中期)

千手観音立像(平安時代初期)

阿弥陀如来坐像

 

 

蛇塚古墳 右京区太秦面影町
京福電鉄)・ 帷子ノ辻駅から、南に徒歩約7分とあるが、町が入り組んでおり、わかりずらかった 
京都府で最大の横穴式石室を有する前方後円墳であったが、墳丘封土は失われ、現在は露出した石室のみを残している 秦河勝をもって被葬者とする説もある  秦河勝の生没年は不詳だが、いずれにせよ6世紀後半から7世紀半ばにかけて活動したと思われる。推古天皇の摂政となった聖徳太子の側近として活躍し、朝廷の財政にも関わっていたといわれている

   

全体  蛇塚古墳の全長は約75m、前方部幅約30m、後円部径約45mと推定される

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広隆寺(再訪) その1 2019.01.23

2019年01月26日 | 神社仏閣

広隆寺 京都市右京区太秦峰岡町32   霊宝殿 800円
京都市右京区太秦にある真言宗御室派の寺。山号は蜂岡山。(603)秦河勝が聖徳太子の命を奉じて創建したと伝える。国宝の弥勒菩薩半跏像をはじめ多数の文化財を所蔵する

前回の御朱印

 

仁王殿

 

薬師堂

上宮王院太子殿

以和為貴

太子殿 扁額 大悲救世

上宮王院太子殿

     

講堂

 

太秦殿

  

地蔵堂

書院の門 非公開

書院

  能楽堂

霊宝殿入口

弁天社

      霊宝殿 桂宮院

桂宮院本堂 国宝 聖徳太子を信仰の対象とする太子信仰に伴う建築の一つであり、聖徳太子像(現在は霊宝殿に移動)をまつる。一辺が7尺(2.1m)の小規模な八角円堂である。周囲に縁を廻らして、その下に亀腹が覗く。屋根は檜皮葺であり、軒の反りが強い。東西南北の面に扉を設け、扉のない面には盲連子の窓を設ける。法隆寺夢殿を参考にして建造されたものと思われる。

図録より

泣き弥勒

韓国 国立中央博物館 宝冠弥勒菩薩半跏像

中宮寺

河勝夫妻

停留所にあったmonument

 

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木嶋神社(蚕ノ社) 再訪 2019.01.23

2019年01月26日 | 神社仏閣

木嶋神社   正式名称は木嶋坐天照御魂神社  右京区太秦森が丘町50  

京都に三珍鳥居がある 蚕の社の三柱鳥居,北野天満宮境内の伴氏社の鳥居,御所内の厳島神社の鳥居の3つです   鳥居の中央には、組石の神座があり、ここに神が降臨すると言い伝えられている。現在ある三本足の鳥居は、実は、天保二年(1831年)に再建されたものだ。現在ある鳥居は、石造りなのだが、それ以前は木造であった。 されたものだ。 現在ある鳥居は、石造りなのだが、それ以前は木造であった。

【秦河勝】渡来人 七世紀前半、推古朝の人。聖徳太子の舎人。推古天皇一八年(六一〇)新羅の使者の接待役を勤めた。また、広隆寺(蜂岡寺)を創建したといわれる。生没年不詳。

正面 鳥居

社号標蠶神社・「蠶」は蚕、養蚕の事庫裏

稲荷社

狛狐 末社

 白清社 

舞殿

木嶋坐天照御魂神社 拝所

 

左・本殿 蚕養神社(右)

本殿 提灯・二葉葵の神紋

 

蚕養神社(こがいじんじゃ)

八社

2016.08.03の時は、水が張ってあったが、今はない

三柱鳥居中央に石が積まれ御幣が立つ  

三柱鳥居がなぜこのような形になったのかについてはまだ他にも説がある。それは三柱鳥居のそれぞれの向きに意味があると考える説です。この三柱鳥居はそれぞれ「下鴨神社」「伏見稲荷神社」「松尾大社」の方角を向いており、どちらも当時このあたりの勢力者であった秦氏に関係のある神社です。伏見稲荷神社と松尾大社に関しては、神社の創建を秦氏が行っています

 北斎

かいこのやしろ

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麟祥院(妙心寺塔頭) 特別公開  2019.01.23

2019年01月25日 | 神社仏閣

 麟祥院  右京区花園妙心寺町49  特別公開 ~3/18 600円     麟祥院は、妙心寺の塔頭。 (990~995年)に源頼信が創建した天神社を(1634年)に徳川家光が乳母の春日局の追福を願って建立した。開山は碧翁愚完(へきおうぐかん)。 当初、木辻菖蒲小路に香華所として創建された。 江戸幕府から寺領200石が与えられ、歴代住職は黒衣のまま江戸城白書院の出入りを許された。 (1897年)に現在地に移転。            

 春日局は幼名を「福」といった            

     

    

 

 

山門

参道

庫裏

庫裏

御霊屋

 

御霊屋

方丈

 随身

 

方丈

方丈庭園

花頭窓からの庭園

 

鎮守社

 春日局 名は福。父は明智光秀の重臣齋藤内蔵助利三、母は刑部少輔智道明の女で、はじめ稲葉佐渡守正成の妻となり、正勝、正定、正利の三子をもうけたが、(1604)三代将軍家光公の乳母として召出され3千石を賜った

パンフより  春日局墓石

龍図 海北友雪 パンフより

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金刀比羅宮  2019.01.09

2019年01月24日 | 神社仏閣

 金刀比羅宮 香川県仲多度郡琴平町892-1 
香川県仲多度郡琴平町象頭(ぞうず)山に鎮座。旧国幣中社。大物主命,崇徳(天をまつる。全国に散在する金刀比羅神社,琴平神社等の総本社。社伝によれば1001年の創建という。古来金毘羅大権現と称され,江戸時代以来,航海守護・開運の神として信仰され,国内有数の大社となる

 

随身 右

随身 左

一の坂鳥居

 

 

金刀比羅本教総本部

大門 

神馬

 

 

御書院

遊虎図(円山応挙

瀑布及山水図(円山応挙筆)

 

時間がなかったので、引返す 以下の写真は NETより拝借

鼓楼

賢木門

絵馬殿

遥拝所

四脚門

旭社

                本宮 拝殿

 

 

 

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千光寺 その3 2019.01.08

2019年01月23日 | 神社仏閣

千光寺 文学のこみち  翠松の間をぬって1kmあまり、花崗岩の岩肌に、この地を訪れた人々の詩歌や小説の断章が刻まれている

 

眺望

福猫

 

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする