木嶋神社 正式名称は木嶋坐天照御魂神社 右京区太秦森が丘町50
京都に三珍鳥居がある 蚕の社の三柱鳥居,北野天満宮境内の伴氏社の鳥居,御所内の厳島神社の鳥居の3つです 鳥居の中央には、組石の神座があり、ここに神が降臨すると言い伝えられている。現在ある三本足の鳥居は、実は、天保二年(1831年)に再建されたものだ。現在ある鳥居は、石造りなのだが、それ以前は木造であった。 されたものだ。 現在ある鳥居は、石造りなのだが、それ以前は木造であった。
【秦河勝】渡来人 七世紀前半、推古朝の人。聖徳太子の舎人。推古天皇一八年(六一〇)新羅の使者の接待役を勤めた。また、広隆寺(蜂岡寺)を創建したといわれる。生没年不詳。
正面 鳥居
社号標蠶神社・「蠶」は蚕、養蚕の事庫裏
稲荷社
狛狐 末社
白清社
舞殿
木嶋坐天照御魂神社 拝所
左・本殿 蚕養神社(右)
本殿 提灯・二葉葵の神紋
蚕養神社(こがいじんじゃ)
八社
2016.08.03の時は、水が張ってあったが、今はない
三柱鳥居中央に石が積まれ御幣が立つ
三柱鳥居がなぜこのような形になったのかについてはまだ他にも説がある。それは三柱鳥居のそれぞれの向きに意味があると考える説です。この三柱鳥居はそれぞれ「下鴨神社」「伏見稲荷神社」「松尾大社」の方角を向いており、どちらも当時このあたりの勢力者であった秦氏に関係のある神社です。伏見稲荷神社と松尾大社に関しては、神社の創建を秦氏が行っています
北斎
かいこのやしろ