本尊 十一面千手観世音菩薩像 TVより
経堂
傅大士(ふだいし。中国南北朝時代の僧。西暦6世紀)
多宝塔 1621年
阿弥陀堂 紅葉は前回 参拝分
釈迦堂 1885年
釈迦如来 TVより
開山堂
TVより
書院
薬師堂
東門
本坊
幸福地蔵
宝篋印塔
桂昌院
桂昌院廟
大師像
本尊 十一面千手観世音菩薩像 TVより
経堂
傅大士(ふだいし。中国南北朝時代の僧。西暦6世紀)
多宝塔 1621年
阿弥陀堂 紅葉は前回 参拝分
釈迦堂 1885年
釈迦如来 TVより
開山堂
TVより
書院
薬師堂
東門
本坊
幸福地蔵
宝篋印塔
桂昌院
桂昌院廟
大師像
大御堂観音寺 京田辺市普賢寺下大門13
京橋—JR学研・快速・木津ゆき②11駅-JR三山木
バスの便が悪いのでTaxiで行く 980円
天武天皇の勅願により義淵僧正が創建した。その後、聖武天皇の御願により良弁僧正が伽藍を増築し、息長山普賢教法寺と号し、十一面観音立像を安置したといわれている。
山門
本堂
逆さ獅子
十一面観音 国宝 post card
内陣
普賢寺--東大寺初代別当の良弁が中興したという[1]。その後、奈良の東大寺の実忠が入寺し、宝亀9年(778年)には五重塔を建てたという[2]。古代・中世には普賢寺と呼ばれた
東大寺・二月堂の修二会(しゅにえ)。その中で「籠松明(かごたいまつ)として使われている真竹を「お水取りの行」によって二月堂まで届ける。毎年2月11日の早朝、周囲が20cm、重さ100kgほどもある根付きの真竹を7本掘り起こし、観音寺で道中の安全を祈願する
本殿
鏑射寺(かぶらいじ) 神戸市北区道場町生野1078-1 JR道場駅から1.7km ずっと、上り道 仏塔古寺十八尊 この寺で仏塔古寺十八尊 すべて参拝
縁起によると鏑射寺は、聖徳太子が御生母の里であるこの地を気に入り、仏教の道場として鏑矢(かぶらや)を奉納したことから鏑射寺と命名された その後戦兵火、山火事で伽藍の大半を焼失。江戸後期勇阿上人が再建。 山内西国三十三カ所、四国八十八ヶ所石仏はその時造営されたもの
入口
客殿 右端が朱印所
庭園
本堂
八大龍王
毘沙門天
不動明王
本尊 大日如来
護摩堂
向拝軒長押の龍の彫刻、阿吽
正面
内陣
庭園
境内
大師堂
大師堂須弥壇の本尊弘法大師像坐像
毘沙門天
弁財天堂
内陣
仏塔古寺 十八尊
第1番:家原寺
第2番:叡福寺
第3番:海住山寺
第4番:岩船寺
第5番:霊山寺
第6番:慈尊院
第7番:神護寺
第8番:當麻寺西南院
第9番:久米寺
第10番:浄瑠璃寺
第11番:金剛三昧院
第12番:慈眼院
第13番:観心寺
第14番:千光寺
第15番:宝山寺
第16番:鏑射寺
第17番:神呪寺
第18番:室生寺
十二柱神社 桜井市大字出雲650番
神代の七神とその後の地神五神を祭神とする。垂仁天皇のころ、当麻蹴速と相撲を取り、勝者となった野見宿彌の五輪塔が移されている
神社境内には野見宿彌の顕彰碑や五輪塔が建てられている。また神社参道の石段を登った所にある狛犬の台座には珍しい相撲取りの人形が見られ、片方4人ずつで大きな狛犬を支えている。
参道
拝殿
境内社
野見宿祢 顕彰碑
野見宿禰は、垂仁天皇の時代に、当麻蹴速と我が国初の天覧相撲を取り勝者となった神で、この地は穴師の相撲神社とならぶ相撲発祥の地ということです。また、かって出雲集落の地場産業だった「出雲人形」は、垂仁天皇のころ土師氏の祖・野見宿禰が出雲の国から工人を連れ埴輪を作らせたことが始まりとされています。
五輪塔
松尾山神社 大和郡山市山田町683
三重塔の後ろの山を更に数分登った所にある神社。境内からは奈良時代にさかのぼる古瓦や建物跡が検出されている。春日造り桧皮葺の三社殿が並び、これに拝殿と神楽殿が配置されている。松尾大明神を本社、清滝権現・牛頭天皇を脇社として三社斎祀している。
福寿院 本坊
参道の石仏
大歳社
丹生社の祠
33か所
百八段の北参道石段
阿加井屋
松尾寺 大和郡山市山田町683 (718)、天武天皇の皇子舎人親王が、勅命による日本書紀編纂の折、42歳の厄年であったため、日本書紀の無事完成と厄除けの願をかけて建立された日本最古の厄除霊場です。親王が松尾山に参詣修行し、ご祈願の養老2年2月初めの午の日、東の山に紫の雲たなびき(瑞雲)、千手千眼観世音菩薩が天降りご出現なされたという「松尾山縁起」により、国運隆昌・国体安穏を祈祷申し上げる勅願寺として、歴代皇室の御叡信厚く、後水尾天皇も御持仏の如意輪観音を下された由緒ある寺です Home Page
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千手観音
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本堂
本堂
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七福神堂
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三重塔
不動尊
釈迦八大菩薩像(高麗時代)
笈箱
阿形
吽形
松尾神社への道