体性院 たいしょういん 「西大寺奥の院」 奈良市西大寺野神町1-6-10 西大寺北門 北西10分 貸し自転車屋のオッチャンもこの場所を知らなんだ 西大寺の中興の祖と言われる興正菩薩・叡尊の五輪塔が境内の中央に建っている この五輪塔は日本一大きい 地蔵堂は江戸中期の造立 室町時代建造の木造瓦葺の骨堂もある 境内は、西大寺境内とともに国の特別史跡
山門
骨堂
地蔵堂
阿弥陀堂
叡尊五輪塔 342cm
奥院五輪塔(鎌倉後期335cm
弘澄大和尚 五輪塔
西大寺に貢献した僧侶の五輪塔が三基
西大寺墓地五輪塔
信空慈道上人の墓
西大寺墓地
明暦二年(1656)と万治元年(1658)の刻銘が入った墓塔
野上神社 奈良市西大寺野神町一丁目 「(1702)奉造立野神社」と右の石灯籠に刻まれている。左の石灯籠には「(1702)奉造立愛宕大権現」
大正三年八月に十五社神社に合併が決まり、後に届けも出されたが、野神町の人々は祀り続けている
十一面観音石仏
西大寺 奈良市西大寺芝町1-1-5
西大寺は764年称徳天皇が当時強大な権力を誇った藤原仲麻呂の反乱鎮圧を目的に、戦勝祈願のため7尺の金銅四天王像の造立を発願したことに始まる。
創建当時は、百数十棟に及ぶ大伽藍を誇り、東大寺に対する西の大寺に相応しい規模だった。
その後平安時代に再三の災害に遭い衰退したが、鎌倉時代中期の名僧叡尊(興正菩薩)が諸堂の再建に力を尽くし、西大寺を真言律の根本道場として生まれ変わらせ、西大寺中興の祖と称えられている。しかし、これら再興の諸堂も戦国時代の戦火で失い、現在の本堂や四王堂、愛染堂などは江戸時代に再建されたものだが、伽藍の配置や安置されている仏像などの殆どは、叡尊が復興・整備した頃のものを今に伝えている
石落神社 東門前の道を隔てた東北にある小祠。仁治3年(1242)叡尊が三輪から少彦名命を勧請したと伝えられ、呪薬法会などに奉祀されてきた
本殿
南大門より金堂を望む
南門より
本堂
本堂
護摩堂
愛染堂
東塔跡
護摩堂
護摩堂・不動明王
本堂と蓮