醍醐寺 京都府京都市伏見区醍醐東大路町22 創建は(874年)本尊は薬師如来、開基は理源大師聖宝である 世界遺産に登録されている。伏見区東方に広がる醍醐山に200万坪以上の広大な境内をもつ寺院である。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られている
石津神社 大阪府堺市堺区石津町1丁15-21
社伝では、八重事代主神が五色の石を携えてこの地に降臨したとしており、そこから石津の地名ができたという。孝昭天皇7年8月10日に勅願により創建され、垂仁天皇の 時代に天穂日命の子孫である野見宿禰を神主としたとしている。 八重事代主神が携えた石は神社の前に埋められており、天変地異のあるときには地面から出て浮き上がると 伝えられる
社頭
明神鳥居
樹齢千年
小祠
標柱
野見の宿祢社
天満宮
拝殿
本殿
本殿
祈願板
猿田彦社
石津太神社 いわつたじんじゃ 堺市西区浜寺石津町中4丁12-7 この地は元は浜辺であり、伝承では、伊奘諾命・伊奘册命によって流された蛭子命がこの地に漂着し、携えてきた五色の神石を置いたという。蛭子命が漂着した場所を 「石津の磐山」、「五色の石」を置いた場所を「石津」という。鳥居の前の交差点に「五色の石」を地下に埋めたとされる場所があり、その場所を示す地上部分に石が 置かれている。Wikipedia
拝殿
割拝殿
本殿
本殿
磐山稲荷社
八幡宮
神木
社務所
戎神之御腰掛石
白蛇社
仙洞御所 上京区京都御苑内. 当日参観 午後1:30開園まで 1時間30分待った
皇位を退かれた天皇(上皇(じょうこう)という)の御所。江戸時代初期(1630年)に完成。1854年の大火で焼失後、上皇がおられなかったこともあり、その後茶室 以外の御殿等の建物はなく庭園だけとなった。庭園は江戸時代の有名作庭家・小堀遠州も携わったが、その遺構(いこう)はほぼ残っていない。現在は宮内庁の管理と なり事前予約で参観可能。遺構:痕跡
受付
パンフ
お庭口門
御車寄
八つ橋と藤棚
柿本社
八つ橋と藤棚
醒花亭
醒花亭
朝鮮灯籠
キリシタン灯籠
又新亭
阿古瀬渕
又新亭
又新亭 庭
又新亭
又新亭
又新亭
又新亭
紅葉の南池 Post card
紅葉橋 Post card
北池
蘆山寺 京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町397 天台系の単立仏教寺院。天台圓淨宗の本山。本尊は阿弥陀如来。寺号は詳しくは廬山天台講寺(ろざんてんだいこうじ)と称する。紫式部の邸宅跡として知られる
藥井門
元三大師堂
元三大師堂
元三大師堂 正面
本堂 玄関
本堂
紫式部と娘の大貳三位藤原賢子の歌碑。 左紫式部の歌 めぐりあひて みしやそれとも わかぬまに くもがくれにし 夜半の月影 右大貳三位の歌 有馬山 ゐなのささはら 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
鬼大師
紫式部
源氏庭
桔梗
桔梗
内陣
パンフ
紫式部邸宅址の石碑.
以下 Post card より
阿弥陀如来 平安
阿弥陀如来
鬼大師
光秀 念持仏地蔵菩薩
勢至菩薩
毘沙門天
本禅寺 京都市上京区寺町通広小路上る北之辺町394 法華宗陣門流の本山。山号は光了山。塔頭が三院ある(心城院、詮量院、玄妙院 )
心城院・御朱印
伽藍図
縁起
山門
石薬師御門
地蔵さん
遺魂道場
遺魂道場 本堂
内陣
鎮守社の三十番神
鎮守社の三十番神
玄関
渡り廊下(書院と立像堂をつなぐ)
大久保彦左衛門の墓
宝篋印塔
宝篋印塔の扉
弁財天
本坊
釈迦堂 扁額
釈迦堂 縁起
pamphlet
釈迦堂 内陣
釈迦堂 獅子
心城院 塔頭 本禅寺の御朱印 ここでもらう
心城院
心城院 本堂
心城院 庫裏
本禅寺 詮量院 塔頭
清浄華院 京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町395
手水舎
水掛不動
左・御影堂 右・是心堂
大堂 御影堂
寺務所
大方丈
大方丈 パンフ
内陣
涅槃図
慈覚大師 円仁―[794~864]平安初期の天台宗の僧。下野(しもつけ)の人。最澄に師事。入唐し、多くの書を請来した。比叡山に総持院・常行三昧堂を建立、第3世天台座主に 任ぜられ、興隆の基礎を確立。著「入唐求法巡礼行記」など。71歳で没
身代泣き不動尊
pamphlet
泣き不動絵巻 パンフ
パンフ
パンフ
永代祠堂の骨仏
仏堂 阿弥陀三尊像が祀られている