週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

隋心院 その1 2019.05.29

2019年05月31日 | 神社仏閣

 

隋心院  山科区小野御霊町35   2016.03.27は、はねず踊りで訪問               拝観料500円 朱印帳1200円 朱印500円                              第5世住持の増俊の時代に曼荼羅寺の塔頭の一つとして随心院が建てられた。続く6世顕厳の時には順徳天皇、後堀河天皇、四条天皇の祈願所となっている。東寺長者や 東大寺別当を務めた7世親厳(1151年 - 1236年)の時(1229年)に後堀河天皇の宣旨により門跡寺院となった。その後一条家、二条家、九条家などの出身者が多く入寺 している

500円 

          大乗院

            参道

              藥医門

 

               小町梅苑

            化粧の井戸

                  絵馬

                句碑

 

                庫裏

小野小町像 平安時代前期9世紀頃の女流歌人 京都市山科区小野は小野氏の栄えた土地とされ、小町は晩年この地で過ごしたとの説がある。ここにある随心院には、 卒塔婆小町像や文塚など史跡が残っている。後述の「花の色は..」の歌は、花が色あせていくのと同じく自分も年老いていく姿を嘆き歌ったものとされる

          はねず踊り

2016.03.27   はねず踊り かつては随心院の梅を「はねず」と呼んでいた

 

      仁海僧正

 

 

            

 

 

 

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戒長寺 2011.11.17 Archives

2019年05月28日 | 神社仏閣

戒長寺 宇陀市榛原戒場386  大和・奈良 かくれ古寺巡礼

戒場山のすそ野にある静かな山寺。薬師如来座像を本尊とし、俗に戒場薬師と呼ばれる。聖徳太子の創建と伝えられ、藤原時代には地方の戒律道場として栄えた。9体の藤原仏を伝来し、わが国唯一の十二神将を刻んだ銅鐘や、葉の縁に小さな実がつく奈良県指定の天然記念物の「お葉つきいちょう」が有名である

 

 

    131の階段 美の石段 百毫寺、仏隆寺

 

          本堂 1864年

              扁額

 

             宝篋印塔

              五輪塔

 

            おはつき銀杏

            おはつき銀杏

 

            十二神将の鐘楼 重文

 

 薬師如来坐像 宇陀市文化財課より

 薬師三尊

   延命地蔵菩薩

  月光菩薩

 日光菩薩

        十一面千手観音

   毘沙門天立像

  不動明王

 

             ホオノキ

            戒場神社

          戒場神社 本殿

 

           山部赤人の墓

 

 

 

 

 

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川原寺 2011.09.11 Archives

2019年05月27日 | 神社仏閣

 川原寺 奈良県明日香村川原1109      2011.09.11 2010.01.10 参拝        蘇我氏の氏寺である法興寺の後身である。本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来、開基は蘇我馬子である。山号を鳥形山と称する 。現在の宗派は真言宗豊山派。

 

 

              太子誕生所

 

 

麦飯 とろろ 住職の娘がやっている

             本堂

              本堂

             堂内

              層塔

               宝篋印塔

           瑪瑙製 礎石

 

 

        川原寺 模型

 

 

            基壇

              礎石

            心礎

             塔跡

          川原寺 模型

 川原寺裏山から出土 磚仏 以下 文献から

川原寺式軒丸瓦

         丸瓦

  塑像断片 天女頭部

磚仏 粘土板の片面に仏像を半肉に表して乾燥させたのち焼いたものである。 おもに7世紀後半から8世紀頃、すなわち飛鳥時代後半から奈良時代頃の寺院跡から出土する例が多い。 特に奈良県飛鳥地域での発見例がよく知られている。

             川原寺の三尊磚仏

 

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住吉大社 神館 2019.05.01

2019年05月26日 | 神社仏閣

 天皇陛下即位につき、神館 特別拝観

神館 普段は厳しく閉門され、けっして開放されることのない神館は、大正天皇の御即位大礼を記念して建立された玉座を有する歴史的建造物です。中世貴族が愛した御殿造りと呼ばれる木造建築で、回廊からの石庭の眺めや樹齢一千年以上の大楠の風情など、ゲストを最上のおもてなしで迎えます 大社 吉祥殿より

 

 

                神館

高井道弘宮司

             庭園

 

             大楠

            ふじ棚

 

 

 

 

 

 

 

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清賢院 穂野出 2019.05.19

2019年05月25日 | 神社仏閣

清賢院 京都市左京区一乗寺東浦町32 御朱印なし 詩仙堂と曼殊院のほぼ中間地点 浄土宗 本尊 阿弥陀如来  詳細・不詳

 

                庫裏

 

右手は錫杖を持たずに、与願印の形をとる古式の姿で、左手は通常通り宝珠を持つ。

蓮華座に立つ地蔵を厚肉彫りしている

 

 

 雲母漬老舗 穂野出 左京区一乗寺谷田町43

小さななすび漬けを買う 美味なり

 

 

 

 

 

 

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禅華院 2019.05.19

2019年05月24日 | 神社仏閣

禅華院 京都市左京区修学院烏丸町20 住職不在     禅華院略縁記 当院は解脱山禅華院と号し臨済宗大徳寺派にて本尊釈迦如来左右に地蔵観音二菩薩を安置 し、昔は比叡山三千坊中にて寛永年間開祖清厳宗謂大和尚(大徳寺第百七拾世)の創建に よる。 文政9年修学院離宮(中御茶屋)御建物を拝領修覆其後本堂は昭和御大典御建物の一部下 賜され昭和4年に再建さる。 昔楠正成卿の信仰ありし圓通観音、三面大黒天等も安置されている。山門兼鐘楼は構造様 式優雅にて離宮からの眺めは格別、庭は小堀遠州公の作とも伝えられている。 山門内北側に釈迦如来、地蔵菩薩二体の大石佛は鎌倉時代の作として特に有名である。 

 

                                        山門 二層は鐘楼

 

 

               庫裏

            本堂

         釈迦如来      地蔵菩薩  鎌倉時代

 

       小堀遠州の作庭

 

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鷺森神社 2019.05.19

2019年05月23日 | 神社仏閣

鷺森神社 京都市左京区修学院宮ノ脇町16                                               (859年 - 877年)の間に創建されたとされる。最初は比叡山麓、赤山明神の付近に祀られていたが応仁の乱の兵火で罹災し、今の修学院離宮の山林中に移されたが、 離宮造営の為、霊元天皇の思召しにより現在の鷺の社に社地を賜り、元禄2年6月御遷座になり修学院、山端の氏神社として今日に至っている

鬚咫天王 すだ てんのう

         八雲殿

        社務所

 霊元天皇 御製 をりふるを見し 鷺森 すぐかてに わけきて今日はむかふ神垣  

                絵馬

                拝殿

             絵馬殿

 

             拝所 本殿

       天照皇太神宮    熊野皇太神     

       八幡大神       住吉大明神

           本殿

 

          本殿

                           

 

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修学院離宮参観 2019.05.19

2019年05月22日 | 神社仏閣

上離宮

        上離宮の入口

 畑 

景観を守るために 買い上げて ( 昭和39・1964年 ) 付属農地とされた 

水田や畑地は 8万平方メートル もあって 田畑の管理は農家に 委託されている

 

 

 

  浴龍池 千歳橋 中国風の石橋で,19世紀前半に京都所司代から献上されたもの

鳳凰

                     窮邃亭

 

 

    

 

              窮邃亭 post card

           後水尾上皇 扁額 宸筆

 

隣雲亭の深い軒下のたたきは、漆喰に小石を一つ、二つ。三つと埋め込み、俗に「一二三石」などと呼ばれています

              土橋

 

              浴龍池 post card

 

 

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修学院離宮 2019.05.19

2019年05月21日 | 神社仏閣

中離宮

 

 

楽只軒光子内親王の朱宮御所の最初の建物であり,その後,御所は拡張整備されて林丘寺となった

 

    後水尾上皇 扁額 宸筆

パンフ

 パンフ

(1682年)に移したもので,一の間の飾り棚は,大小5枚の棚板が,いかにも霞がたなびいたように見えることから,「霞棚(かすみだな)」と呼ばれ,桂離宮の「桂棚(かつらだな)」,醍醐三宝院の「醍醐棚(だいごだな)」とともに「天下の三棚」の一つに数えられています。パンフ

鯉の絵 パンフ

 

            蹲

客殿 楽只軒の東南の高みに工夫のある階段でつながれた客殿がある。延宝6(1678)東福門院が亡くなられた後,天和2(1682)光子内親王のために女院御所の奥対面所から移築したものである

 

客殿

            客殿

          襖絵 パンフより

 パンフ

祇園祭の鉾の絵を描いた杉戸の筆者は住吉具慶と言われ,鯉の絵の筆者は不祥であるが,鯉の絵の網だけは円山応挙の筆と伝えられている。

 竹の樋 瓦は菊の紋

 

 

 

       

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修学院離宮参観 2019.05.19

2019年05月20日 | 神社仏閣

修学院離宮 左京区修学院薮添  PCから応募                     1653年承応2年) - 1655年(承応4年))に後水尾上皇の指示で造営された離宮(皇居以外に設けられた天皇や上皇の別邸)である。谷川を堰き止めた人工池を中心とした広大な庭園とその関連建物からなる。

身分証明書が要る

               パンフ

 

 

             パンフ

               パンフ

以下 下離宮

               入口

            入口 右横

             休憩所

             総門

 下離宮の御幸門

柿葺の屋根で,花菱紋の透かし彫りが施してある板戸

            寿月観への石畳

     後水尾上皇の宸筆

 寿月観   後水尾上皇の御座所に当てられた数寄屋風の建物。

          パンフ

           パンフ

 

     

 

 

 

  

 

                       

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