龍穴神社 奈良県宇陀市室生区室生1297 祭神:高龗神・竜神・竜王由緒:室生寺よりも古い歴史をもち、水の神「龍神」を祀る。奈良時代から平安時代にかけて朝廷からの勅使により雨乞いの神事が営まれ、室生寺は龍穴神社の神宮寺であった時代もある。当社の上流には龍神が住むと伝わる洞穴「妙吉祥龍穴」があり、古代から神聖な「磐境」とされてきた。延喜式(697)内の古社で、雨神タカオカミノカミを祭り、雨ごいの神として知られています。神域には龍穴と呼ばれる洞穴があって、いまでも雨ごいの行事が行なわれています。現在の祭神は、高靇神だが、拝殿には「善女龍王社」とある。
社頭
室生龍穴神社
拝殿
本殿
本殿
神饌殿
連理の杉
弘仁9年(818)祈雨のため遣使『日本紀略』
貞観9年(867)正五位下『三代実録』
神宮寺は室生寺であり、皇大子山部王(桓武天皇)が御病気に罹られた時、浄行僧をして室生の山中で延寿の法を修せしめられたところ、御病気が平癒された。その後に賢憬が仰せをうけここに山寺を創建したとある。室生寺ははじめ延寿の法を修する場であつたが、やがて八世紀末に龍穴神の宮寺の性格をもつ寺として創建されたものと考えられる。古来より当社は室生寺の支配下にあつて、祭祀は主として仏式で行なわれたようである。
龍穴神社 由緒
古代祭祀の遺跡
天岩戸
階段
龍穴
龍穴
奥宮遙拝所
招雨瀑
法輪寺 生駒郡斑鳩町三井1570
聖徳太子の子である山背大兄王が太子の病気平癒を祈るため、622年に建てた、とする。今一つの説は『上宮聖徳太子伝補闕記』および『聖徳太子伝暦』(延喜17年・917年、藤原兼輔著)に見えるもので、創建法隆寺の焼失後、百済の開法師・円明法師・下氷新物(しもつひのにいもの)の3人が建てたとするものである。
昭和三十二年、父が小説で描いた谷中天王寺の五重塔焼失を目撃した幸田文は、後年、落雷によって焼失した奈良法輪寺の三重塔の再建に奔走する。このとき、斑鳩町に仮住まいし、再建を見守った。
幸田 文
明治37年~平成2年(1904~1990)東京都出身。
父は『五重塔』の作者・幸田露伴。昭和22年、露伴の死後執筆をはじめる。同40年、当寺住職・井ノ上慶覺に会う。再建資金集めのため各地で講演活動を行うなど、当寺三重塔再建のためにご尽力いただいた。再建工事中の昭和48年6月~49年7月の期間は斑鳩町に下宿し、工事の進展を見守られた。
金堂
火災以前の三重塔
以下Post card より
十一面観音
如来
会津八一 くわんのん の しろき ひたひ に やうらくの
かげ うごかして かぜ わたる みゆ
鬼子母神と赤ん坊の像(2-3世紀頃、ガンダーラ、大英博物館蔵
三井瓦窯跡 生駒郡斑鳩町三井東山639 法起寺西側の尾根丘陵の【瓦塚2号墳】後円部の西側斜面に在る 瓦窯の操業時期としては、出土瓦と窯近くで採集された軒丸瓦が法輪寺や法起寺出土の八弁複弁蓮華文軒丸瓦と同范瓦であることなどから、七世紀後半から八世紀初め頃と考えられています
窯跡
白鳳時代(7世紀末~8世紀初)に法隆寺や法輪寺の瓦を焼いた窯です
浅井家ゆかりの養源院 京都市東山区三十三間堂廻り町656
養源院は(1594)年に浅井長政の長女・茶々が、父の菩提を弔うために、21回法要の時に夫である豊臣秀吉に願って創建した寺院。寺号の「養源院」は、長政の法名から付けられた 雨宝殿
参道
本堂 1594茶々が建立
高野山で一番大きな石碑「一番碑は「お江(崇源院)の墓」6.6m 1627年建立
法華の塔 この中に念持仏(秘仏)が安置されている TVより
浅井家・念持仏・弁才天 TVより
鎮守社
毘沙門天
毘沙門天
書院庭園
枯山水庭
石塔
獅子と象 Post card 桃山時代から江戸初期に活躍したとされる絵師・俵屋宗達
白象図 Post card
参考 京都浪漫 TV より 引用
黄梅院 京都市北区柴野大徳寺80 特別拝観
すでに指定されている本堂(客殿)は天正十六年の落成。切妻造、妻入、禅宗塔頭庫裏の一典型で、かつ、最古に属する遺構。良質で部材の残りもよい。この時期の客殿と庫裏が揃って残る例はきわめて少く、塔頭寺院の構えを知るうえに貴重。朱印 千円
山門
参道
庫裏
本堂
生死涅槃猶如昨夢
枯山水庭園
直中庭
石庭
蹲踞
襖絵
茶室
参考 TV 京都浪漫 より
我が家の ウツギ 満開
富貴寺 大分県豊後高田市田染蕗(たしぶふき)にある天台宗の寺院。山号を蓮華山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基は仁聞(にんもん)と伝える。富貴寺大堂は、近畿地方以外に所在する数少ない平安建築のひとつとして貴重な存在であり、1952年11月22日に国宝に指定されている
阿弥陀堂(富貴寺大堂)は、宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、現存する九州最古の木造建築物であり、国宝指定されている。
仁王門
大堂・国宝
阿弥陀如来
(国東塔)(市指定文化財、室町時代前期、安山岩、高さ 319Cm)
六面石幢 県指定文化財、室町時代前期)十王像は、正面と石段参道側に刻まれ、参詣者に見えるように置かれる。石殿は、当時の民間信仰を、目に見える形で説明する
不動種子笠塔婆(県指定文化財、鎌倉時代中期 文永五年 1268年、安山岩、高さ 136Cm)
小型宝塔 安土桃山
十王石殿 東殿 富貴寺入口、石段の両側に各一基置かれている石殿で、東殿・西殿の軸部に 各五体の十王像を刻み、二基一組で十王とする
十王石殿 西殿 県指定文化財、室町時代前期、凝灰岩、高さ 130Cm)
裏門
庫裏
熊野本宮大社 和歌山県田辺市本宮町本宮
当社の主祭神は、家津美御子大神(スサノオノミコト)です。
歴史を遡ると、古代本宮の地に神が降臨したと伝えられています。
三本の川の中州にあたる聖地、大斎原に社殿が建てられたのは、崇神天皇65年(紀元前33年)のことでした。奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としておまつりするようになります Home pageより
牛王神符牛玉宝印
熊野本宮大社旧社地 大斎原の石祠 中四社と下四社は向かって左の石祠 右の石祠は摂末社を祀っている
高さ33.9m幅42mの日本一の大鳥居
社前
拝殿
熊野本宮大社の社殿 (左から第一殿と第二殿を合わせた相殿(結宮)、第三殿 本殿-證誠殿(しょうじょうでん) 第四殿(若宮)
参道 158段