東林院 京都市右京区花園妙心寺町59 特別拝観 1600円 お茶付き 沙羅双樹は、ほとんど落花しており、期待外れ それでも、一日500人は来るという 1日で、80万円 6月30日まで
(1531)細川高国の菩提を弔うために建立。後、山名豊国が中興開基して山名家の菩提寺となる。
庭には「祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色…」と「平家物語」にうたわれた沙羅双樹の林がある 京の通称寺より
妙心寺北門から徒歩10分
山門
お茶とお菓子
掛け軸
違い棚
板絵
掛け絵
鑑賞する人
沙羅双樹はお釈迦様が入定された時、いっせいに花開き、その死を悲しんだといわれ、仏教とゆかりの深い名木です 当寺栞より
沙羅の落花
沙羅双樹 落花して残り数輪
沙羅の数珠
沙羅の落花
金勝寺 生駒郡平群町大字椣原53 寺伝によれば行基菩薩が春日神祠参籠のおり、夢枕に白髪の老人が現れ「これより西にあたりて霊地あり。建立し衆生救うべし。」とのお告げにより、天平18年(746年)、聖武天皇の勅命を賜り、境内四丁四方、寺領七百石、金堂、大講堂、阿弥陀堂、護摩堂、三重塔、食堂、その他塔頭坊舎三十六ヶ坊等の一大伽藍が建立されたと伝わっております。鎌倉時代は皇室領となり、後白河法皇の荘園となった時期もありました。 当寺 Home page
山門
本堂
内陣
境内
鎌倉後期
磨崖石仏群
磨崖仏
茶々逆修
宝篋印塔
無量寿殿
薬師如来
薬師三尊
地蔵摩崖仏
参考 当寺 Home page
千光寺 生駒郡平群町鳴川188 近鉄生駒線「元山上口」駅より、緑ヶ丘循環バスにて「緑ヶ丘北」下車。北西に徒歩25分。近鉄元山上口駅より徒歩50分 千光寺へ行く途中に鳴川石仏群がある
役 小角は、舒明天皇6年(634)元日、大和国葛木上郡茅原の郷、賀茂役氏の娘 白専女(母)と問賀介麿(父)との間に生まれ、後に成人し、金剛葛木山において仏道修業に励まれました。
西暦 660年頃、生駒明神に参詣の析りご神託により鳴川の里に入り、小さな草堂を建て、漆の木で千手観音を刻み、日夜 荒行に励まれたとのことです
山門
惣門
石造宝塔 鎌倉初期
手水
母公堂
母公堂
行者堂
大師堂
観音堂
八尺地蔵
鉄下駄
役行者
不動明王
鳴川石仏 生駒郡平群町鳴川 近鉄元山上口駅から徒歩約40分近鉄元山上口駅より バスで緑ヶ丘北下車 徒歩15分 鳴川峠に源を発した櫟原(いちはら)川が流れる鳴川渓谷は、集落のメインストリートから、少し谷を下ったところにある。渓谷の両岸には、大きな岩が切り立っており、鎌倉から江戸時代にかけて彫られた「清滝石仏群」と総称される磨崖仏が彫られている。石仏群は、聖なる場所を表すとともに、俗と聖を分け、魔が侵入するのを防ぐ役割を担う。また鳴川集落への流行病や魔の侵入を防ぐために、両岸には勧請縄が渡され、毎年大晦日に掛け替えが行われる
ゆるぎ地蔵尊
ゆるぎ地蔵
鳴川五尊摩崖仏
渓谷
法螺吹地蔵
13仏板碑
五智如来
五智如来
貝吹地蔵
はらみ地蔵
五輪塔 鎌倉末
飛鳥戸神社 羽曳野市飛鳥1023 2020.07.21
延喜式名神大社 「飛鳥戸神社は、飛鳥上の段の一角に鎮座する延喜式内の名神大社であり、雄略朝に渡来伝承をもつ百済系飛鳥戸造一族の祖神である飛鳥大神(百済の琨伎王-コンキオウ百済王の弟)を祭っている。平安時代初期には、百済琨伎王の子孫にあたる百済宿禰や御春朝臣たちの働きかけにより、貞観元年(859)8月に無位から正四位下を授けられ、翌2年10月に官社に列せられる 社頭案内
一の鳥居
入口
手水
拝殿
拝殿内
本殿
境内社
昆伎王(こんき) 477年7月)は、百済の王族。『三国史記』によれば、第21代蓋鹵王の子で22代文周王の弟であり、24代東城王の父。『日本書紀』では、蓋鹵王の弟で、東城王と武寧王の父である。昆伎王、昆枝、崑枝、崑支、軍君(こにきし)。『日本書紀』によると、雄略天皇5年(461年)、日本に人質として献上された。 Wikipedia
馬見丘陵公園 奈良県北葛城郡河合町佐味田2202
- 駐車料金、入園料 無料
馬見丘陵公園では中央エリアにある面積約3千平方メートルの菖蒲園に春の小川・千早の昔・長生殿・緑葉黄金・紬娘・大水青など江戸系・肥後系・伊勢系など約100種・3万本の花菖蒲が植えられ、青・紫・黄・白・ピンク色などの花が咲きます
般若寺 奈良市般若寺町221
山号 法性山 宗派 真言律宗 本尊 文殊菩薩(重要文化財) 創建年 伝・舒明天皇元年(629年) 開基 伝・慧灌 別称 コスモス寺 札所等 関西花の寺二十五霊場17番 西国薬師四十九霊場3番
楼門 国宝
十三重石塔と本堂
薬師如来
傘塔婆
本堂
経蔵
カンマン石不動明王
阿弥陀如来
不動明王
胎内三尊佛
石仏
地蔵尊
彼岸花
鐘楼の笈摺