週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

天神の森天満宮 阿部野神社 2015.12.29

2015年12月30日 | 神社仏閣

天神の森天満宮 大阪市西成区岸里東2-3-19
「樹齢六百年をこえる,楠木の森は(天神の森)とよばれ、茶道中興の祖武野紹鴎がこの森の一隅に茶室を作り、風月を友として暮らしたので(紹鴎森)とも呼ばれた。
秀吉公が堺政所に往来の途中天満宮西側の茶店で休息、この付近の風景を賞したことから、この地を殿下の茶店―天下茶屋と称することになり、当社も(天下茶屋天満宮)よばれることになった

 

  

拝殿

本殿

向かって右猿田彦命 中天照皇太神 左稲荷大明神

 

楠木

 

阿部野神社 大阪市阿倍野区北畠3-7-20
南朝方について各地を転戦した北畠顕家と、その父の北畠親房を祀る。建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社である

 

   

   

拝殿

本殿

懸魚祓所

 旗上稲荷社

 詩歌の道

勲の宮

 

 

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金峯山寺 2012.11.28 Archives

2015年12月29日 | 神社仏閣

金峯山寺 吉野郡吉野町吉野山
金峯山寺にお祀りされる御本尊は、金剛蔵王大権現であります。今から1300有余年前、金峯山山上ヶ岳に役行者が一千日の修行に入り、感得された権現仏であります。
権現とは権(仮り)に現われるという意味で、本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)が権化されて、過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を誓願して出現されました。また金剛蔵王とは、金剛界と胎蔵界を統べるという意味も表しています。
金峯山寺の本堂・蔵王堂には、7m余の秘仏本尊・金剛蔵王権現が三体安置されております。蔵王堂は過去6回の焼失記録があり、現在の建物は(1592年)頃の再建。
重層入母屋造り、桧皮葺き、高さ34メートル、四方36メートルという巨大な木造の建物であり、檜皮葺の建物としては世界一の大きさを誇る第一級の国宝建造物に指定されています。

銅鳥居(重文)-銅鳥居と書いて「かねのとりい」と読む。聖地への入口、俗界と聖地の境界を象徴する建造物である

発心門--黒門からの急坂を登りつめたところにあります。高さ約7.5m、柱の周囲約3.3m、すべて銅製。1348(正平3)年に高師直の兵火で焼失したあと、室町時代に再建されたものです

仁王門・国宝 

仁王門は北を正面とし、互いに背を向けるように建っている。これは、熊野から吉野へ(南から北へ)向かう巡礼者と吉野から熊野へ(北から南へ)向かう巡礼者の双方に配慮したためという。門の左右に安置する像高約5メートルの金剛力士像は1339年)、仏師康成の作で重要文化財に指定されている

仁王門

 観音堂愛染堂

蔵王堂・国宝

以下TVより

蔵王権現立像

 

蔵王権現本地堂

威徳天満宮

役行者

前鬼・夫後鬼・妻

 

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桜本坊 吉野 2012.11.28 Archives

2015年12月28日 | 神社仏閣

桜本坊(さくらもとぼう)は奈良県吉野郡吉野町吉野町吉野山1269にある金峯山修験本宗別格本山。大峯山寺の護持院5箇院の1つでもある。
本尊は神変大菩薩。山伏文化の殿堂と言えるほど多くの文化財が残されている。役行者霊蹟札所。
天武天皇が吉野離宮で修養していたとき、冬の日に桜が咲き誇っている夢を見、その後皇位に就けたことからその桜の木の下に寺院を建立、桜本坊となった

   

本堂

内陣

神変大菩薩

   不動明王  

大師堂

大師堂内

   千体地蔵尊

役行者

不動明王 

 

 

 

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高桐院 その2 2015.12.22

2015年12月25日 | 神社仏閣

     国宝浪漫 TVより

書院     

西庭「三斎井戸」

    

茶室・松向軒    書院 

ガラシャ

 

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高桐院 その1 2015.12.22

2015年12月25日 | 神社仏閣

高桐院 京都市北区柴野大徳寺町73-1   細川幽齋公の長子忠興公により1601年に建立された大徳寺塔頭の一で、開祖玉甫和尚は幽齋の弟であった。 幽齋は83歳の高齢で率去、遺言により高桐院に埋葬された。法名の松向寺殿三斎宗立は茶席松向軒の名として残されている      

   

山門

入り口

紅葉の絨毯

南庭・楓の庭

 

袈裟形のおり蹲踞

 戒名開祖

細川忠興とその妻「ガラシャ夫人」のお墓  国宝浪漫 TVより

                                      

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建勲神社 大徳寺 2015.12.22

2015年12月25日 | 神社仏閣

建勲神社  京都市北区紫野北舟岡町49 
建勲神社は、明治2年(1869)、明治天皇の御下命により創建された織田信長公をお祀りする神社
(1875)に別格官幣社に列せられ、京都の船岡山に社地を賜った (1880)、新たに社殿を造営し、御嫡子織田信忠卿を配祀し、(1910)に山麓から山頂へ社殿を移建し現在に至っている。

 

    

拝殿

祝詞舎

本殿

貴賓館境内懸魚

社務所

敦盛

稲荷社 参道

船岡山三等三角点

 

大徳寺 京都市北区紫野大徳寺町53
京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿や法堂をはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並び、近世寺院の雰囲気を残している。大徳寺は多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院である

梶井門

金毛閣 三門

仏殿 本堂

仏殿

仏殿内

天井

法堂

法堂

花頭窓

敷石

勅使門

  勅使門

宗務本所庫裡 

正受院イブキ

 

 

 

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千本閻魔堂 上品蓮台寺 2015.12.22

2015年12月24日 | 神社仏閣

千本閻魔堂  京都市上京区千本通鞍馬口下ル閻魔前町34 
寛仁年間(1017 - 1021年)、源信の弟弟子の定覚により開山されたと伝える。現世と冥土を行き来して閻魔王とも交流したという伝承のある小野篁(802年 - 853年)を開基に仮託する説もある。文永10年(1273年)、明善律師によって中興された

 

本殿

   鐘楼   小野篁   地獄絵

 

上品蓮台寺  京都市北区紫野十二坊町33-1
聖徳太子が母の菩提寺として建立し、宇多法皇が中興したという

 

本堂

大師堂

玄関

庫裡釣瓶 寶泉院

  

 

 

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北野天満宮 臥牛 蟇股 2015.12.22

2015年12月24日 | 神社仏閣

北野天満宮 菅公をお祀りした総本社 北の天神様と呼ばれている。

拝殿

楼門

三光門

臥牛           

有栖川宮・霊元天皇寄進灯篭老松社

 (台石)に蓮弁

この鳥居は京都三珍鳥居の一つに数えられる、珍しい鳥居 この鳥居は鎌倉時代に造られ、重要文化財に指定

地主神社蟇股地主神社

拝殿蟇股鳳凰

木鼻 

 

本殿蟇股    

 

三光門蟇股

  

  

 

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千本釈迦堂へゆく 2015.12.22

2015年12月23日 | 神社仏閣

今年最後の京都 

 千本釈迦堂 京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町1034
大報恩寺 千本釈迦堂と通称される。おかめの物語や、12月の風物詩である大根焚きで知られる。また、智積院能化の隠居所として、護持された鎌倉時代初期の1221年、求法上人義空によって創建された。義空は藤原秀衡の孫で比叡山で修行の後、当寺を建立した 本堂 国宝

    

本堂・国宝

本堂

 内陣応仁の乱・刀傷・柱

釈迦如来不動堂 経王堂

おかめの枡組  庭園

ぼけ封じ観音

霊宝殿・六観音  仏像・TVより

   

 

大日如来 毘沙門天地蔵菩薩

十大弟子

 不動明王

 

    枡組

   

 

 

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千光寺 2012.03.19 Archives

2015年12月21日 | 神社仏閣

千光寺 生駒郡平群町鳴川188 
役行者が(大峰山)へ入山する以前に修行したと伝わるお寺 天智天皇の時代に役行者が千手観音を刻んで祀ったのが始まりとされる その観音様から千光が発せられたので千光寺となずけられた

   

     いたるところに役行者の石像がある

お願い地蔵 子宝授与

大師堂

観音堂

行者堂母公堂手水

石造宝塔・鎌倉初期

 不動明王弁財天

胃癪大師

 

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