談山神社 桜井市多武峰319 拝観料 500円 PK-Free 雨が降っており、参拝客はまばら ゆっくり撮影できた。
鎌倉時代に成立した寺伝によると、藤原氏の祖である中臣鎌足の死後の678年、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を摂津安威の地から大和のこの地に移し、十三重塔を造立したのが発祥である。(680年)に講堂(現在の拝殿)が創建され、そこを妙楽寺と号した。(701年)、十三重塔の東に鎌足の木像を安置する祠堂(現在の本殿)が建立された。談山の名の由来は、中臣鎌足と中大兄皇子が、(645年)5月に大化の改新の談合をこの多武峰にて行い、後に「談い山(かたらいやま)」と呼んだことによるとされる。
東大門
左・本殿右・拝殿
総社本殿
総社拝殿
福禄寿
権殿
拝殿・舞台作
三大字墓 桜井市八井内 昔の土葬のころ、この墓地は、八井内、飯盛塚、鹿路という三つの村のお墓だった。大字三つの村の共同の墓だから、「三大字墓(さんだいじばか)」と言われている。
八井内地蔵堂石仏群 八井内の交差点、トンネルの手前にある
地蔵堂
不動延命の滝 奈良県桜井市大字八井内
南無阿弥陀仏岩
鹿路天一神社 奈良県桜井市大字鹿路94番 PK-可
本殿は無く、杉の巨樹が御神体 創祀・由緒など不詳
石燈籠は正徳2年(1712)・正徳4年が有る
桜井市観光課から送ってもらった地図
拝殿
本殿は無く、杉の巨樹が御神体
気都倭既神社 高市郡明日香村上(かむら)172 PK-可
明日香村に流れる冬野川の守護神である。社の鎮座している地域は茂古森と呼ばれる拝殿はなく一段高いところに祠が二つ。一つは明治末年に合祀された春日神社 けつわけの「けつ」は食物を意味し、豊受の「ウケ」、ケツミコの「ケツ」と同じだとも言う 645年の大化改新で中臣鎌足(藤原鎌足)が飛鳥板蓋宮で暗殺した蘇我入鹿の首に追われて、ここまで逃げ込み「もう来ぬだろう」といったことに由来すると伝えられている。鎌足が腰をかけたと伝えられる石も残る。
入り口
左・本殿 右・春日神社
本殿
春日神社
灯籠
屋根つきの石龕を組み、身の丈30cm程の小さな地蔵立像