瑞輪寺 -豊中市中桜塚2-2-24 住職不在
瑞輪寺は原田神社の宮寺であり、井原西鶴門下の談林派俳人・水田西吟の墓や、一休宗純の子・岐翁紹偵)の墓と伝えられる僧塚がある。西吟は延宝年間の末、岡町に落月庵をもうけ、元禄年間にかけて多くの人々が訪れて俳諧を楽しんだ。
新月の斧にちるらむ華のけふ 水田西吟爰(ここ)ぞ萬句俳諧名所の桜塚 井原西鶴
本堂
庫裏
傘塔婆型の道標
扇塚
「荒木村重の乱」で焼け残ったと伝えられる仏像
参考 Wikipedia 豊中市Home page
原田神社 豊中市中桜塚1丁目2-18
扁額
市場から
手水舎
手水
拝殿
拝殿内
本殿
明神社
稲荷社
十二社神社
本殿
境内社
御神庫
子葉句碑
裏枯れや餅にとどまるさくら塚 子葉
赤穂義士・大高源吾が落月庵を訪れたときの句
ヒイラギモクセイ
本殿 一部NET より 拝借
椋橋総社 豊中市庄本町1丁目2の-4
鯉伝説が古くから知られており、別称を「鯉の宮」ともいう
社頭
拝殿
稲荷社
出世亀菊天満宮
手水舎
三社神社
石碑
神前松原遺跡 石碑
縁結びの木
楠木
箸尾御坊 奈良県広陵町萱野652-1
櫛玉比女命神社 北葛城郡広陵町弁財天
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
四世紀末~六世紀にかけて築造された馬見古墳群の東方にあり、当社も前方後円墳の上に鎮座しています。
拝殿
元興寺 奈良市中院町11 8回目の参拝
南都七大寺の1つ。 蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都に伴って平城京内に移転した寺院である。奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退する
絵馬
山門 内側より
日本で最古の屋根瓦
萩
手水
わらはべの 夢はぐくみし おほきひと 辻村泰圓 ここに住みたる
元興寺の鬼 鬼の置物が計5体ある
閼伽棚 国宝 仏様にお供えする水などを置く棚
役行者
人集まり 鬼○集まる 泰国忌 風彦
白珠は 人に知らへず 知らずともよし知らずとも 吾し知らへば 知らずともよし 万葉集』巻6-1018)
元興寺小塔院跡 奈良市西新屋町45 今は護命僧正の供養塔が一基、虚空蔵があるのみ
門を入った辻の奥に二間四面の「虚空蔵堂」が見え、ここは元興寺の一院で、称徳女帝の百万塔を収めた所と云われ、また、境内に奈良時代から平安時代の初期にかけて活躍した護命の供養塔が在るので、護命ゆかりの寺院跡とも云われているが、1451年(宝徳3年)の土一揆で殆どの建物が焼失し、現在は江戸時代に建立された「虚空蔵堂」1つが本堂でも有り、昭和40年境内一円が国史跡に指定された
護命僧正 供養塔
境内
虚空蔵堂
南にある 地蔵堂 雨漏りの修理がまだできてない
額絵
額絵
地蔵堂内部
地蔵堂内部
誕生寺 奈良市三棟町2 非公開 要予約
中将姫が生まれた藤原豊成の屋敷が在ったので「誕生寺」と呼ばれ、中将姫に因んだ霊地ゆえ、もちろん尼寺で、姫自作の本尊「中将姫法如尼坐像」を安置し、裏庭に産湯に使った井戸があり、庭の奥の「極楽堂」へ向う所に中将姫を浄土へと導いた二十五菩薩像が立ち並んでいる。中将姫は才能が世に知られ、9歳の時、女帝孝謙天皇から三位中将の位を賜つたが、16歳の時に継母によって宇陀市菟田野の(青蓮寺)へ捨てられ、
後に狩りに来た父豊成と再会して帰宅した。
山門
庚申堂
庫裏
本堂
内陣
蓮糸 蓮の糸
中将姫
庭園
極楽堂
中将姫 石造
産湯の井戸
二十五菩薩
稲荷社
如意輪観音
参考 Wikipedia 中将姫伝説を訪ねて
称念寺 奈良市東木辻町49 事前予約
(1167年)、俊乗坊重源が入宋して善導大師の旧跡終南山悟真寺にいたり、大師の尊像を懇願した。翌年日本に戻り、この寺を再建したという。よって開基は重源とされる 後に広瀬郡細井戸村浄土寺の第3世頓誉が阿弥陀如来を祀り、浄土信仰の寺とした Wikipedia
近鉄奈良 バス9番乗り場 北京終町キタキョウバテ 降りる 徒歩2分
本堂
無縁塔
六字名号碑
愛染堂
庫裏
菊の香や奈良には古き仏たち・芭蕉
卒塔婆
卵塔