宗我坐宗我都比古神社 (そがにます そがつひこじんじゃ) 橿原市曽我町1196 創建は不詳。『五郡神社記』では、推古天皇の時に、蘇我馬子が武内宿禰と石川宿禰を祀る神殿を蘇我村に創建したとする 一方で社伝では、持統天皇が蘇我氏の滅亡をあわれみ、蘇我倉山田石川麻呂の次男である徳永内供には紀氏を継がせるとともに、内供の子の永末には祖神を祀るための土地を与えて社務・耕作を行わせたことをもって創建とする
蘇我氏の本家は、六世紀半ばの蘇我稲目の時に、急速に勢力を拡大した。蘇我氏の本家は、稲目、馬子、蝦夷、入鹿の四代でほろんだ。蘇我氏の本家の滅亡は、大和朝廷の古い伝統の終わりを意味するものであった。
拝殿
本殿
本殿
拝殿内
磐余神社 奈良県橿原市中曽司町521
創祀は古代までさかのぼり 真菅(ますが)の地に神武天皇を祀る古社
祭神 神日本磐余比古命(かむやまといわれひこのみこと、初代神武天皇)
拝殿 拝殿は寛文2年(1662)に新築、明和2年(1765)に修理
本殿
本殿
「真菅よし 宗我(そが)の河原に鳴く千鳥 間無しわが背子 わが戀(こ)ふらくは」(柿本人麻呂 巻12-3087)