週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

報恩寺 2018.12.27

2018年12月31日 | 神社仏閣

報恩寺 豊中市春日町2-6-1  
浄土真宗本願寺派の寺院。山号は甘露山。本尊は阿弥陀如来 書院玄関は麻田藩主青木氏の御殿の表玄関と伝えられる遺構で、市指定文化財

 

本堂

   

   

表玄関

陣屋長屋門

小谷氏宅門

 

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不動寺 2018.12.27

2018年12月30日 | 神社仏閣

不動寺豊中市宮山町4-7-2                                                                      寺伝によると、空海が弘仁年間に諸国巡礼をし、摂津国西生郡北野村(現在の大阪市北区兎我野町)の地で七光の石を発見、その石をもって五輪宝塔をつくり、
不動明王を表す梵字を刻んだという。その宝塔を安置する堂を建て不動堂としたのが起源であるとされている。寺は嵯峨天皇、後鳥羽院などの勅願所となったとされ、
豊臣・徳川の厚い庇護を受けるなど、兎我野の不動として、庶民の信仰を集めた。

  寺号

 

 

観音堂

 

本堂

本堂 不動明王

納経所

梵字

 

  梵字

 

烏枢沙摩明王

蹲踞

不動明王

大師堂

 

御砂踏霊地

龍神 白鹿霊神

大師

護摩堂

護摩堂

身代不動明王

 

 

 

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春日神社 2018.12.27

2018年12月29日 | 神社仏閣

今年最後の寺社めぐり  春日神社 豊中市宮山町1-10-1  
天照皇大神・天児屋根命・武甕槌大神を祭神とし、菅原道真を祭神とする天神社、薬師如来を祭神とする薬師社などを境内に有する。 社殿前の燈籠は、
(1744年)領主安部摂津守に奉献されたものである。 本社殿前に鎮座する狛犬(1824年)に少路村、内田村(今でいう小路近辺)若中より奉献されたといわれるものである 

    

拝殿

拝殿内

 

稲荷社

 

地蔵尊

  

薬師社

木造漆箔薬師如来坐像  像高83.3cm、膝張66.6cmの等身坐像で、身部にだけ漆箔が置かれている身金色  豊中市・広報より

手水舎

社務所

 

 

 

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天野の里と西行 Archives 2014.09.18

2018年12月28日 | 神社仏閣

 

天野の里は、和歌山県北東部のかつらぎ町南部にあり、国道24号線より南へ車で15分、高野山のふもと標高約450mに位置しています。四季折々のどかな田園風景が広がる天野盆地は、『にほんの里100選』にも選ばれています。
1998(平成元年)年には、環境庁(現環境省)から『ふるさと生きものの里』に認定され、初夏、
今なお清い流れを守る真国川では源氏ボタルの乱舞が見られ、豊かな自然に恵まれた地域です。

西行堂

西行石碑

妻 娘の墓

院の墓 待賢門院中納言の局   鳥羽天皇の皇后の待賢門院の墓でなく、院に仕えていた中納言の局の墓と考えられます。「山家集」には中納言の局が待賢門院の喪に服した後、京都の小倉の住まいを捨て、天野に移り住んだと記されており、久安五年(1149)の頃と推定されます。この地に庵を結び、入寂した後、里人が葬ったのがこの墓です

天野の里

 


 

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西行庵 その2 2013.10.17

2018年12月26日 | 神社仏閣

 

娘を蹴落とす西行

妻子を振り捨てて家を出る西行

西行庵への道 金峰神社から約20分

奥千本苔清水

1684(貞亨元)年には松尾芭蕉もここを訪れて  露とくとく試に浮世すすかばや 

芭蕉

 

春雨のこしたにつたふ清水哉   芭蕉

西行法師

母子堂

母子堂

西行 これまでも堪えてきたが、これからも堪えていくのだという、西行の決意

宝塔院跡 この付近に、多宝塔、四方正面堂、安禅寺蔵王堂他、大小の寺院が点在していた 明治の廃仏毀釈で姿を消した   「金峯神社」から「西行庵」へ向かう途中に有る

報恩大師 奈良時代 孝謙天皇の勅許を得て備前国内に四十八ヶ寺を創建もしくは整備したと伝えられている。地元でもあるので以前から多少気にはなっていたが、我が家の菩提寺もこのうちの一ヶ寺ということを最近知り訪ね歩いてみようという気になった。もっとも、以前にも備前四十八ヶ寺の中で参拝している寺院は多数あるのだが。そのうち一番馴染みのある寺院は、何といっても西大寺である。

西行庵 西行が3年の春秋をすごしたという小さな庵

 

西行庵

 

             休憩所

 

 

 

 

 

 

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西行と吉野 その1 2013.10.17 Archives

2018年12月25日 | 神社仏閣

金峯神社 奈良県吉野郡吉野町1651     吉野山最奥の青根ヶ峰のそばにあり、吉野山の地主神を祭る。式内社(名神大)で、旧社格は郷社   吉野山の地主神、金山毘古命(かねやまひこのみこと)を祀っている。黄金の守護神として信仰を集める

 

 

金峰神社

 

拝殿内

本殿

義経・隠れ塔への道

隠れ塔 蹴抜けの塔 源義経が身を隠してい たとされる伝説の場所で、義経が、静御前と共に隠れ、そして別れの場でもあった

隠れ塔

   

 

 

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安倍王子神社 その 2 2018.12.19

2018年12月23日 | 神社仏閣

 

本殿

本殿

参集殿

拝殿

参道

経塚跡

  

北畠公園

 

  源正寺  

浄土宗源正寺」(阿倍野元町18-34) 

貞享4年(1687)年に紀州家の菩提寺として、天王寺区上本町六丁目に創建されたもので、大阪市に境内が買収されたため、大正13(1924)年当地に移転してきました。何と言っても、「竜宮造」の重厚な楼門が目につきます。 明治22(1889)年の建造。平成14(2002)年に文化庁が答申した、「登録有形文化財」です

源正寺

 

            北畠 界隈

      何の植物か?

 

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安倍王子神社 その 1 2018.12.19

2018年12月22日 | 神社仏閣

安倍王子神社 大阪市阿倍野区阿倍野元町9-4                                                                                                                  当地は四天王寺と住吉大社のほぼ中間の位置にあり、熊野参詣の街道筋の九十九王子のひとつ「阿倍王子」として、後鳥羽天皇が熊野御幸を行った平安時代には、窪津王子(大阪市中央区)、坂口王子(同)、郡戸王子(同)に次ぐ4番目の王子とされていた

    

綜合末社

 

水神社  

 

拝殿

本殿

葛の葉稲荷神社

   

 

 

 

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安倍清明神社 2018.12.09

2018年12月21日 | 神社仏閣

安倍清明神社 大阪市阿倍野区阿倍野元町5-16
安倍晴明は阿倍野の豪族だった父・安倍保名と葛の葉と名乗る白狐の間に生まれた伝説がある。葛の葉の正体が白狐であることが発覚した時に、障子に葛の葉が書き残した 歌「恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」は、あまりにも有名    晴明公は1005年9月26年京都の堀川邸で亡くなり、(享年62歳、系図では85歳) 堀川邸跡(京都市上京区堀川通一条上ル)は現在晴明神社と成っている

    

 清明水

泰名稲荷社

はらみ石

産湯井の跡

 

 

拝殿

  

本殿

http://www.kuzunohainari.com/ 信太森神社」 通称「葛葉稲荷神社」

 

 

印山寺 大阪市阿倍野区阿倍野元町9-24

  

 

彫刻

延命地蔵尊

 

 

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阿部野神社 2018.12.18

2018年12月20日 | 神社仏閣

阿部野神社 阿倍野区北畠3-7-20                                                             北畠親房公は殊に後醍醐天皇のご信任が厚く、「後の三房」と称された一人である。後醍醐天皇の吉野御遷幸のあとは、吉野朝の中心人物として伊勢、あるいは常陸において、京都回復の計画を進められた。後醍醐天皇の崩御後、後村上天皇の帝王学の教科書として、常陸国の小田城で『神皇正統記』を著した後、吉野に帰り、後村上天皇を助け奉り、三后に准じられ多が、正平九年(一三五四)四月十七日、病にて薨じられた。御年六十二歳であった

当神社は、南北朝時代、北畠顕家(あきいえ)と足利軍が戦った古戦場跡地に1882年(明治15年)創建され、北畠親房(ちかふさ)、顕家父子が祀られている

     神馬

拝殿 青い屋根は台風のため blue sheet

  

本殿

庫裏

 庫裏内

 

 

 

 

詩歌の道

北畠親房、顕家

旗上稲荷社

旗上稲荷社 拝殿

 

祖霊社

勲の宮

旗上芸能稲荷社

       

 

 

 

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