船宿寺 御所市五百家484 花の寺 PKあり
今から千二百年有余年前の神亀2年(725)に、行基菩薩がこの地にこられて庵をむすび、薬師瑠璃光如来をおまつりになったのがはじまり。
心や身の病、悩みをお救いになる薬師如来をおまつりになったので、この地を医王山といわれた。 石楠花・ツツジは4月
船宿寺 御所市五百家484 花の寺 PKあり
今から千二百年有余年前の神亀2年(725)に、行基菩薩がこの地にこられて庵をむすび、薬師瑠璃光如来をおまつりになったのがはじまり。
心や身の病、悩みをお救いになる薬師如来をおまつりになったので、この地を医王山といわれた。 石楠花・ツツジは4月
巨勢山口神社 御所市古瀬宮ノ谷303 山の途中にPKあり
他の山口神社とともに貞観元年(859)、従五位下から正五位下に昇叙され 同年9月8日には風雨祈願のため官使を遣わされ、幣を賜っている
川合八幡神社 御所市古瀬川合 PKなし 「引合餅」の奇祭で有名な神社 創建由緒等は不詳 本殿棟札に文明18年(1486)のものが有る 祭神;誉田別命、気長足姫命、大倉比売命 境内社:春日神社、住吉神社
八紘寺 御所市朝町92 P *台(日蓮宗)南都山「八紘寺」昭和23年に登記して開基本尊;南妙法蓮華経 「朝町川」に架かる「太子橋」を渡った所に注連縄を飾った簡素な木の鳥居が有る
大穴持神社 御所市朝町112 PK路駐 三輪明神とも云われ、平安時代の「延喜式」神名帳葛上郡の「大穴持神社」に比定され、祭神は、大己貴(おおなむち)命
水泥南古墳 御所市古瀬塚の前 路駐
被葬者:巨勢氏関連?6世紀前半の築造とされる 巨勢氏は、孝元天皇から派生する氏族の中で、武内宿禰の子である小柄宿禰を祖とする
葛木御歳神社 御所市東持田269 PKあり
高鴨社(高鴨神社)、下鴨社(鴨都波神社)に対して、「中鴨社」と呼ばれ、平安時代の1159年(平治元年)9月2日の東大寺文書(大和国目代下知状案)に「大三歳社」と記され、御祭神は、御歳神、大年神、高照姫命
安楽寺 (再訪) 御所市大字稲宿イナイド1080 PKあり
太子四十六院の随一で、八大伽藍のひとつとして栄えた(高野山真言宗) 元禄9年(1696)の「葛城寺縁起」によると
「稲屋村阿弥陀山葛城寺(亦名、妙 安寺)貞心院は聖徳太子の創建で後に葛木臣に賜うた」とある
安楽寺塔婆 重文 安楽寺近く 建築様式から寺は鎌倉時代頃に建てられたと推定される、はっきりとした建立の年代はわからない
建築当時は三重塔であったが、延宝年間(1673~81)に上部二層を失って初層だけが残った
御霊神社 御所市稲宿字宮谷(古安寺)PKあり 本殿は極彩色を施した春日造り 祭神;国常立命、天常立命 境内社;妙見宮、
権現宮、水天宮 本殿内には藤原時代の作と思われる御神像が祀られているそう
巨勢寺塔跡 御所市古瀬361 駐車場;路駐 聖徳太子の創建で、「日本書紀」に巨勢寺の名が見られ、当時の寺院としては、かなり大規模で塔の礎石もあり、その後、平安時代に奈良興福寺の末寺で、1308年(延慶元年)所有財産を春日大社に寄進し、その頃から荒廃の一途をたどった
大日堂内部石仏心礎
阿吽寺 御所市古瀬327 無住 P 20台
椿の名所としても有名 境内に、万葉集に歌われた歌碑が建っている 「巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を」この歌は、701年秋9月、女帝の持統天皇が紀伊国へ御幸の際「巨勢寺」に立ち寄られた時、坂門人足(さかとノひとたり)が詠った歌
多治速比売神社 堺市南区宮山台2丁3番1号 PK-500円
当神社は和泉国大鳥郡の延喜式内社二十四座のひとつで、西暦530年頃の御創建と伝えられ ている。本殿は室町時代の建造物(1539年~1541年に再建)で国の重要文化財に指定されている。 当神社は荒山公園の中心として緑の森に囲まれ、今は梅が満開である
法道寺 堺市南区鉢ヶ峰401 PK-Free 法道寺は、飛鳥時代に法道仙人(空鉢仙人)が開山となって創建したと伝えられる。
南北朝時代創建、多宝塔が重要文化財に指定されている
感応寺 堺市南区富蔵380 PKあり 日蓮宗の寺。上神谷妙見(にわだにみょうけん)と通称される。山号は妙見山、本尊は妙見菩薩。旧本山は、堺妙国寺。堺法縁。
七宝瀧寺(しっぽうりゅうじ)泉佐野市大木8 PK-Free 道路は狭く、クネクネ道 対向車が来れば難儀
不動口館に沿って下って(徒歩での渓流沿いの入山の入口)行ったところにも駐車場(500円)がある。ここから犬鳴川の参道沿の滝、史跡等を眺めながら歩くと約40分位で本堂にたどりつく。わたしは、7時5分に着いたので対向車もなくうまく行けた。
661年、役小角によって大峰山山上ヶ岳の6年前に開山したと伝わり、元山上と呼ばれている。古くは犬鳴山を含む和泉山系全体を「葛城」と呼び、その中でも犬鳴山は西の行場、東の行場を持つ葛城二十八宿修験道の根本道場。山中には、大小48滝がある。
入り口参道難切不動尊厄除十二面観音堂堂内金剛華菩薩 一願地蔵弁財天不動明王神変大菩薩水子地蔵学事地蔵尊 地蔵菩薩観世音菩薩と不動明王
水呑地蔵 泉佐野市土丸水呑地蔵907-1 PKあり 七宝瀧寺へ行く途中にある 土丸水呑にあり、正式には水呑清水地蔵。昔、この泉には大蛇が住んでいて、高野詣での旅人や近くの住民を苦しめていたところ、ここを通りかかった弘法大師により封じ込められ、以来大蛇は白住龍神王と呼ばれる地蔵の使者となり人々を守護するようにこなったと伝えられている。 西国札所
火走神社 泉佐野市大木1534 PKあり 水呑地蔵よりすぐのところにある 七宝瀧寺まで 2.2km
一時、瀧大明神と呼ばれた。また社名の火走は祭事に男巫が火上を走る故としている。共に、葛城修験道の根本道場であった犬鳴山の七宝瀧寺に由縁がある。 明治四十一年に周辺の神社を多く合祀している。