玄清寺 東大阪市東山町11-17
玄清寺は額田の地名由来となった古代額田氏の子孫が創建した寺で、額田首高内氏の菩提寺です。織田信長に従い大坂石山本願寺との戦いに参加した後、その戦没者の霊を弔うために慶長2年(1597)に建立した
山門
本堂
内陣 阿弥陀如来
観音堂
左から、聖徳太子二歳像・観世音菩薩・地蔵菩薩
観音
庫裏
地蔵堂
地蔵
鐘楼
玄清寺 東大阪市東山町11-17
玄清寺は額田の地名由来となった古代額田氏の子孫が創建した寺で、額田首高内氏の菩提寺です。織田信長に従い大坂石山本願寺との戦いに参加した後、その戦没者の霊を弔うために慶長2年(1597)に建立した
山門
本堂
内陣 阿弥陀如来
観音堂
左から、聖徳太子二歳像・観世音菩薩・地蔵菩薩
観音
庫裏
地蔵堂
地蔵
鐘楼
浄向寺 東大阪市立花町15-4
浄土真宗本願寺派末寺。惣道場の時代を経て、元禄2年(1689)、住職釋大安の時に本山より寺号を許可されました。本尊阿弥陀如来立像は(1701)本願寺仏師「渡辺康雲(わたなべこううん)」作で、木造漆塗、背面に寺号を許される前の呼称「河州河内郡額田村惣道場」が記されています Home Page
沿革
山門
大瀛和上(だいえいわじょう)
庫裏
内陣
太子像
モミジアオイが咲いた
ヒマワリ
セミの抜け殻
芙蓉
唐辛子
妙徳寺 東大阪市額田町2-32 住職不在
寺は黄檗宗で竜王山と号し、五百羅漢を安置し、俗に羅漢寺といわれていた。本堂は入母屋造、本瓦錣葺で、黄檗建築の特色をよく伝えている。本尊は阿弥陀如来坐像です。別に旧本尊の仏手と思われる漆箔のものが遺されている。墓地には貝原信進(益軒の八世孫)寺田屋騷動で知られる薩摩藩永田佐一郎その他文人画家の著名人の墓がある
山門
彫刻
本堂
大師堂
大師
庫裏
扁額
弁財天
大灯籠
古絵図
四国八十八ヶ所 第36番青龍寺 高知県土佐市宇佐町龍旧寺山601
寺伝によれば(810年 - 824年)に(弘法大師)によって開基されたとされる。入唐求法の遣唐使として、恵果和尚より真言密教の奥義を伝授された空海が帰国の折、有縁の地に至るように祈願して独鈷杵を東方に向かって投げた。空海はその独鈷杵がこの山中の松の木にあると感得し、嵯峨天皇に奏上。(815年)に恵果和尚を偲び、唐の青龍寺と同じ名の寺院を建立したという
土佐龍温泉 三陽荘 旅館からの眺め
三面大黒
風呂場の絵
多宝塔
本堂
内陣
大師堂
四国八十八ヶ所 第35番清瀧寺 高知県土佐市高岡町丁568-1
(723年)行基が本尊薬師如来を刻み、寺を開創し、景山密院繹木寺と称したという。その後(弘法大師)が巡錫、五穀豊穣を祈願して山中で一七日(7日間)の修法を行い、満願の日に金剛杖で前の壇を突くと清水が湧き出て鏡のような池になったことから醫王山鏡池院清瀧寺と改めたという。
Artist Kawamura
山門の龍
内陣
本堂・右 大師堂・左
大師堂
大師堂・龍鼻
龍鼻
平和観音
厄除け薬師
厄除け・台座
仁淀川
My garden 2021.07.21
芙蓉 今年初めて咲いた
南瓜の花
南瓜
ミニトマト
フウセンカズラ
パプリカ
ハイビスカス
四国八十八ヶ所 第 34番 種間寺 高知県高知市春野町秋山72
安産祈願の寺 寺伝によれば用明天皇在位(585年 - 587年)の頃、四天王寺を建立するため来日した百済の仏師が帰国の際に暴風に襲われてこの地に近い秋山の港に漂着、航海の安全を祈願して薬師如来刻んで本尾山頂に安置したのが起源であるという。その後、(810年 - 824年)に(弘法大師)が巡錫し、堂宇を建立し仏師が刻んだ薬師如来を本尊として安置して開基したといい、その際に唐から持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから寺号が定められたという
Artist Kawamura
本堂
薬師堂
大師堂
子育観音・底の抜けた柄杓を奉納
子育観音
地蔵群
仁淀川
参考 四国八十八ヶ所 TV