矢田寺 大和郡山市矢田町3549 今から約1300年前、大海人皇子(おおあまのみこ…後の天武天皇)が、 壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登られ、即位後の白鳳4年、智通僧上に勅せられ、 七堂伽欄48カ所坊を造営されたのが当山の開基
延命地蔵菩薩
開山堂
見送り地蔵
舎利堂
大師堂
十三仏板碑 室町時代末期
地蔵石仏 1585年
矢田聖天
味噌舐め地蔵
矢田寺 大和郡山市矢田町3549 今から約1300年前、大海人皇子(おおあまのみこ…後の天武天皇)が、 壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登られ、即位後の白鳳4年、智通僧上に勅せられ、 七堂伽欄48カ所坊を造営されたのが当山の開基
延命地蔵菩薩
開山堂
見送り地蔵
舎利堂
大師堂
十三仏板碑 室町時代末期
地蔵石仏 1585年
矢田聖天
味噌舐め地蔵
2/13に、興法寺 参拝 御朱印をもらうべくも、住職不在 幸い電話が通じたので、依頼する 14日に朱印依頼状を発送 26日に朱印届く
以下 パンフレットより
字体から見るに 手 が不十分に見える 御朱印が遅れたのは、入院でもされてたのか?
赤坂上之山神社 河内長野市美加の台1-25-2
行基により神護景雲元年(767年)に古稱陀洛山 神宮寺(現在の興禅寺 )の鎮守、および河内国錦部郡の総社として創建されたとされる。もともとの名前は正八幡宮であるが、地元の人々からは代々上宮(かみのみや)と呼ばれ崇敬されてきた
社務所
社殿
応神天皇御遺髪埋納伝承地
本殿
興禅寺 河内長野市美加の台1-25-1
伝承によれば行基により創建され、767年)に古稱陀洛山 神宮寺または大乗院と称し、上宮神(現在の赤坂上之山神社)を鎮守として完成した。(1699年)に曹洞宗に改め、伽藍を禅宗様式に増改築した。 池には斑蓮(まだらはす)と呼ばれるハスがあり、これは創建当時に植えられたもので、現在では全国に数箇所しかない珍しい種類のものである
白馬稲荷
白馬稲荷
釈迦牟尼仏