八尾戎神社 八尾市本町四丁目2番45号 天満宮と同じ敷地内
拝殿
天満宮
右・天満宮
戎殿内部
社務所
稲荷
八尾天満宮 八尾市本町四丁目2番45号
創建の年月に就いては文永年間とも、慶長年間とも二説が有って不詳であるが、
旧八尾町大字八尾の開発は、慶長年間であるから河内名所図会所載の如く、
八尾天満宮は慶長年間 片桐東市正且元の造営であること正史に副うものとの確証が強い。 Home page
三社
稲荷社
琴平社
大物主大神
拝殿
拝殿内
境内は 神代さながら 月おぼろ
遙拝所
参集殿
役行者
八尾御坊大信寺 八尾市本町4-2-48 御朱印はナシ
(1606)、久宝寺村の森本七郎兵衛貞治ら17人は、東西本願寺の分立に際して、東本願寺の教如上人に属したため、久宝寺村を出て八尾庄四町四方の地を与えられて移住しました。そこに八尾御坊を建立して、八尾寺内町をつくり、現在の八尾の発展の基を開きました。(1660)に現在の場所に移転し、寺域が拡張されました。(1788)に京都の本山が焼けたときに、大信寺の本堂を京都に移して仮御影堂に代えましたが、十年後再び戻りました。 昭和28年(1953)3月3日に本堂がくずれたため、全面改修となり、現在の姿になりました。境内北側には河内県庁跡(かわちけんちょうあと・府史跡)の碑があります。八尾市八尾市文化財情報システム 文化財詳細
沿革
古絵図
本堂
本尊
境内
其角の句碑 河州八尾娶そしり〜うすら氷やわずかに咲る芹の花
念仏寺 八尾市久宝寺3-4-25 融通念仏宗
平野の大念佛寺の末寺で、1341年念佛寺として僧盤龍上人によって創建されました。もともと久宝寺の末院であったというこの寺には、鎌倉時代末頃の作といわれる十一面観音菩薩がありますが、これは許麻神社の宮寺であった観音院の本尊として祀られていたものです。本堂となりには滝谷不動の流れをくむ不動堂があり眼病平癒の霊像として信仰されています
十一面観音菩薩 河内西国霊場より
内側より
彫刻
本堂
廊下
内陣
手水
境内
不動堂
不動堂内部
庫裏
地蔵尊
四天王寺 大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
寛政10年の伽藍
極楽門
五重塔内部
太子像
石槽
金堂
講堂
廻廊
中門
仁王の足
仁王の足
見真堂
木鐘堂
南鐘堂
六時堂
丹波神社 東大阪市日下町1-4-46
由緒~
この神社は江戸時代に大坂西町奉行で日下村の領主となり、この土地を愛しこの土地で没した
曽我丹波守古祐をまつっていますお願いキラキラ歴史上実在した人の霊位を神として奉斎したもので、丹波守の遺徳を偲ぶ村人たちが25回忌の時墓を立て、後年その墓碑の上に社殿が建てられ神社となりました。
善政により村人に感謝された人物で現在もこの地でまつられています。上記案内版より抜粋
正面
日露戦争記念碑
扁額
社務所
日下太鼓台蔵
八幡神社
玉雲院
八幡神社
途中のニャン 人懐っこい
犬と猫 仲良し
日下公園
大龍寺不動院 東大阪市日下町8丁目3-21
大龍寺の前の道の坂道を登り切ったところに「大龍禅寺不動院」、「神変大菩薩」、「日下不動尊」と刻された三本の石柱が建つ境内地があります。
本堂 建物はこれしかない
全体
玉七大神
二尊仏
上へ登る
上へ登る道
祠が見えた
役行者
大龍寺 十一面観音 河内西国霊場より
第28番 大龍寺 東大阪市日下町8-3-57 黄檗宗
大龍寺は推古六年(598)聖徳太子により創建された寺で、太子が自作の観音像を安置したと伝えられています 元禄四年(1692)大阪の豪商天王寺屋吉兵衛の寄進により建立され、泰宗元雄禅師がその師である慧極道明禅師を開祖に招き、開山しました。開山堂には、泰宗、慧極と檀越の天王寺屋浄悦居士の像が祀られています。
十一面観音 河内西国霊場より
案内板
道標
外観
山門
扁額 瑞雲山
玄関・斎堂
斎堂 寺務所
開梆
雲版
仏殿
仏殿内
仏殿内
開山堂
萬霊塔
手水舎
役行者
行者堂
層塔
寺務所内 額