宝積寺 京都府乙訓郡大山崎町銭原1 天王山中腹にある真言宗智山派の仏教寺院。山号は天王山または銭原山本尊は十一面観音である。724年、聖武天皇の勅命を受けた行基による開基と伝える 聖武天皇が夢で竜神から授けられたという「打出」と「小槌」(打出と小槌は別のもの)を祀ることから「宝寺」(たからでら)の別名があり、大黒天宝寺ともいう。閻魔堂 400円
山門
本堂
本尊・十一面観音 パンフより
小槌宮
小槌宮 内陣 パンフより
不動堂
弁財天堂
閻魔堂
パンフより
十七烈士の墓 禁門の変(1864年)の時、戦いに敗れ天王山中で自刃した隊長真木和泉守以下十七名の眠る墓
山崎城跡 天王山
旗立展望台からの古戦場跡
山頂
竹林のこみち
酒解神社 自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)は京都府乙訓郡大山崎町にある神社。
通称酒解神社(さかとけじんじゃ、さかときじんじゃ)。 天王山の頂上近くに鎮座する。式内社(名神大)で、旧社格は郷社。
天王山登山コース(大山崎) 約7.5km
JR山崎駅--大山崎町歴史資料館200円--離宮八幡宮--妙喜庵(要予約)--宝積寺(閻魔堂400円)
旗立松展望台--十七烈士の墓--酒解神社--天王山山頂--小倉神社--阪急西山天王山駅
離宮八幡宮-石清水八幡宮の元社にあたる神社。八幡大神を祭神とする 本邦精油発祥地
荏胡麻油生産の会所、自治都市・大山崎の中心として繁栄した
総門
河陽離宮
中門
本殿
内陣
妙喜庵
正面 要予約
大念寺は京都府乙訓郡大山崎町にある浄土宗の仏教寺院。山号は見仏山。 大山崎山荘美術館の下、宝積寺のすぐ下にある。天王山ハイキングコースへの急な坂道を登ると、さらに急な勾配抜群の石の階段を登る。 要予約
本堂
阿弥陀如来立像
仁和寺 京都市右京区御室大内33 500円 1244坪あり、とてつもなく広い
宇多天皇が仁和4年(888)に完成させて以降皇族との縁が深く、正式名称は「仁和寺御所跡」。
退位後の宇多上皇がすんだ僧坊の跡地には、いまも大正3年に完成した近代初期の宮延び風寝殿「仁和寺御殿」が建つ
全景
本坊表門
三門
参道
二王門
二王門
勅使門
勅使門と二王門
金堂・国宝
金堂
金堂・本尊
黄石公が乗っている亀 -金堂
口が開いている
御殿入り口
御殿 活花
五重塔 遠景
五重塔・天邪鬼
中門
宸殿の北庭
▲宸殿より庭園を望む
▲宸殿正面から
宸殿内部
板戸絵 羅陵王・雅楽の曲目の一つ。管絃にも舞楽にも奏される
襖絵
襖絵
白書院東の南庭
上・遼廓亭 下・飛濤亭
霊明殿
内陣
九所明神拝殿
御影堂
龍安寺 右京区龍安寺御陵下町13 500円 300円 石庭で有名な世界遺産 白砂の上に15個の自然石が配された禅の精神が凝縮された枯山水庭庭を囲む油土塀。庭の奥に行くほど塀の高さが低くなっており、その高低差は最大50センチ
山門
庫裡手前の石段
庫裡
屏風
蹲踞・吾唯足知
方丈
▲方丈
方丈内部
▲方丈内部
仏殿
仏殿
仏殿の前に鐘楼
石庭模型
石庭・左端 無造作に置かれたように見える15個の石。その中で最も大きいのは東側の入り口付近に置かれたもの。次に大きいのが方丈から見て一番手前に置かれた石。庭を見る人に近い石を大きくすることで遠近感を強調しているの
油土塀・庭の奥に行くほど塀の高さが低くなっており、その高低差は最大50センチ。手前側は高く、奥は低くするというトリックによる目の錯覚で、庭は実際より広く見える
勅使門
阿弥陀如来石造
西の庭・層塔
水琴窟
北庭
仏殿
納骨堂
金閣寺 京都市北区金閣寺町1 400円 開門前から多くの人が並んでいた。
建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿は金閣、舎利殿を含めた寺院全体は金閣寺として知られる。相国寺の山外塔頭寺院である
金箔の量
舎利殿の2層と3層に漆の上から金箔が張られていて、1987年の秋に漆の塗り替えや金箔の張り替えが行われて2003年の春に屋根の葺き替えが行われた。
このときの修復作業で使われた金箔の量は20キログラムで総工費は7億円を超える額であった
総門
参道
唐門
大書院
Post Card
高台から
鳳凰
Post Cad
三層
三層の桟唐戸 Card
初層内部
方丈 TV
舎利 TV
襖絵 TV
左・義満公 中・釈迦 右・歴代住職 TV
TV
銀河泉・義満がお茶の水に使ったと伝えられる泉
厳下水・義満が手洗いに用いたと伝えられる泉
龍門滝
金閣寺垣
西園寺家の鎮守といわれる石塔
夕佳亭
不動堂
内陣
旧岩床神社 平群町越木塚 岩床神社より50M 下ったところ 社殿のない神社で、磐座の前に鳥居のみの原始信仰の社。 作物の豊穣を祈る原始信仰の巨石(高さ6m・幅10m超)があり この裂け目を性崇拝の対象としていた。 現在の神社は大正13年に素戔嗚命を祀っていた境外摂社の消渇神社の所在地の現地に遷された
ほかに 平群神社 岩床神社 消渇神社 訪問
御神体の岩坐
巨岩の裂け目 鳥居の正面にある
平群神社 生駒郡平群町西宮(城山)617 武内宿禰が神功皇后とともに朝鮮出兵前に戦勝祈願として大山祇神を祀ったと伝わる
本殿
神社正面
拝殿
消渇(しょうかち)神社 生駒郡平群町越木塚字井戸ノ上 石床神社の南
消渇神社は、本来は地域の産土神である正勝(まさかつ)の神として祀られていた。
室町時代に、旅の僧信海が腰の病を治してもらってから下半身の病気に御利益があるとして村人に信仰されるようになる。 江戸時代には社名から女性の病気や性病に効果があるとして京都祇園からの参拝者もあり、参道に茶店が出るほど賑わったという。
割拝殿
社殿
平群石床神社
石床神社拝殿
本殿
本殿
檜皮葺流造本殿
割拝殿
七社神社の社殿
本殿
土塀
七社神社社殿
本殿
拝殿と本殿