What A Wonderful World

毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

楽天対巨人戦 10-6 で勝利!

2007年06月27日 11時04分20秒 | スポーツ
“星くず”が爆発 田中を強力援護(スポーツニッポン) - goo ニュース

 【楽天10―6巨人】“星くず”にも意地があった。楽天打線が11安打で10点。ルーキー田中を強烈に援護した。前日の球宴ファン投票最終中間発表で楽天勢が7部門でトップに躍り出た。これに野村監督が「これじゃオールスターダスト(星くず)や」。指揮官の皮肉に打線が発奮した。

 「とりあえずボールに食らいついていこうと思っていた」と本拠地初お立ち台に興奮する嶋に野村監督は「野球だね、意外性のスポーツだね」。爆発した“星くず打線”ににんまりだった。

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 もう田中君のピッチングを観ていると苦しくて苦しくて、レベル的には福盛さんが登板して来た瞬間とどっこいでしたよ(笑)打たれても必死でね~、決して良い内容じゃなかったんですが、気持ちが伝わってくるピッチングでした。

 野村さんが仰るように、オールスターファン投票の中間結果は、正直大丈夫なの?と思わざるを得なかったです。でも嶋君が謙虚に「こんなの駄目。(ロッテの)里崎さんに申し訳ない。このままなら辞退」とコメントしてたのを見たら、良いじゃないかと思いました。ファン投票なんですよ?個人の努力や成績だけでは出場出来ないオールスターですもの、選ばれたんなら胸を張って出場すれば良いんですよ。そもそも中間結果ですから、ここから奮起する各球団のファンの皆様もおいででしょうし(笑)最終結果を楽しみにしましょう。
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八木山ベニーランドがコスプレの聖地?!

2007年06月27日 09時22分29秒 | 日常
河北新報ニュース 夢弾むコスプレの聖地 仙台・八木山ベニーランド

 いやちょっと待ってくれ(滝汗)いつからそんなことになってたんだ、八木山遊園地!四・五年は遊びに行ってないからなぁ・・・道路向かいの動物園とセットで、田舎らしいマイナーな家族の行楽地だったのになぁ。

 コスプレ好きな方には大変申し訳ないと思います。が!こんな腐れな私ですが、二次元の三次元化が苦手なんです。そしてその極みたるコスプレに至っては、回れ右してダッシュで走り去るくらいの勢いで耐えられません。あぁ、足元でこんなことになっているとは、まさに灯台下暗し。
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「どうしてできないの?」はプロの言葉じゃない

2007年06月27日 09時19分39秒 | ブログ
いやしのつえ様で、以前の仕事を思い出すお話がありました。


>『上京十年』(益田ミリ著・幻冬舎文庫)より「譲れないこと」というエッセイから

 今年に入って習いはじめたピアノを少し前にやめた。別にピアノが嫌になったわけではないのである。

(中略)

 どうしてできないの?

 学校で、習い事で、塾で。子供の頃、よく大人からそんな言葉をかけられたものだ。言う側は別に怒っているのではなくポロッと出るのだろうが、言われたほうはできない自分を責めてしまう。幸い、うちの親は口にしなかったけれど、わたしは、ずーっとこのセリフがおっかなかった。どうしてできないの? と大人たちに言われて、子供に一体どんな答えがあるというんだろう。わたしは久しぶりにその言葉を聞いて、なんて無意味なのだとあらためて思った。

 ひとつ後悔しているのは、先生に自分の気持ちを伝えずにやめてしまったこと。焦らないで教えてくださいって言ってみればよかった気もする。子供の頃は大人にそんなことを言えるわけがなかったが、今のわたしは子供じゃないのだ。

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 私はとても不器用で頭の回転の遅いたちなので、先生の言われることが理解できず、練習不足もあって遅々として課題の進まない子どもでした。15年以上指導して頂いた先生ですので、流石に私というものを理解なされたのでしょうね、人より倍以上手のかかる私に、根気よく付き合って下さいました。

 そんな私が未熟ながらも指導する立場になった時「脅すこと」と「不条理をおしつけること」を出来うる限りしないよう、心がけていました。先生は決してその二つのことを、子どもだからといって私になさったことはありませんでしたから。
 幼稚園児だろうと小学校低学年だろうと「おかしい」と感じることは大人となんら変わりません。言葉に出来なくとも、その時は意味が判らなくとも、澱となって心の底に溜まって行くものです。それが大きくなるにつれて、他人と信頼関係を築けなかったり、自分を卑下したり枠に押し込めてしまったりする根っこのように思います。

 「どうしてできないの?」という言葉は、なんとも不条理です。大人でさえ答えに窮することもあるでしょうに、お子さんにできない理由が自分で判るのならなんの苦労もないし、できるように教えて欲しいからそこに居る訳です。なかには自分の気持ちを躊躇無く伝えられるお子さんもおいでですが、経験上そうそう大人に(しかも”先生”に)例えば「練習不足で指に筋肉がついていないから、このテンポでは弾けません」と言えるお子さんは居ませんでした。

「できなかったら、買ってやらないぞ」(ペットじゃないんですから、モノでつる必要なんかありません)

「先生に怒られるから、静かにしなさい」(親の責任で公共の場で他の人に迷惑をかけてはいけないと教えれば良いでしょう)
「せっかく○○してやったのに」(自己満足を押し付けるのは止めましょう)

 挙げたらきりがないほど、よく耳にする親から子への「脅し」です。おかしいでしょう?おかしいと思わないくらい、日常生活で使われているのだろうなと思いました。

 「どうしてできないの?」という言葉は、指導を職業とする者にとっては、自分の至らなさ未熟さを露呈する以外の何ものでもありません。何故できないのか?どうすればできるようになるのか?自分の持つあらん限りの力で応対してこそ、お金を頂いていることに相応しいと、私は思います。
 何よりもまず第一に「子どもを観察すること」から指導は始まります。相手の気持ちがどこに向いているのか、楽しいことがあったのか、辛いことがあったのか、色んな話のキャッチボールをして、その場で出来ることを一緒にします。
「レッスンは練習じゃない」と仰る先生がおられます。それは中級者以上の場合で、30分椅子に座っているのも大変な小さいお子さんには通用しません。同様に「反復練習が出来なくては上達しない」と仰る先生もおられます。単調な繰り返しはつまんないですよね?そんな時は合奏したりスタッカートをつけたりと工夫すると、子どもの表情にすっと興味がわく瞬間があります。その興味を膨らませて行くのが、私の仕事でした。

 こちらがどんなに頑張っても働きかけても、いっさいご家族からの協力がなかったり本人のやる気がなかったりして、辞めてしまう場合はあります。勿論、自分の力不足にがっかりしますが、その子が何か夢中になれることを見つけられれば良いなと思ったものです。私の指導はコンクールで勝つ為のものや、職業にする為のものではありませんでしたが、自分の為に演奏する喜びを感じるものであったと思っています。


 でも、ここまで聞いて頂いてなお言わせて頂ければ、「先生も人間だ」ということです。体調の悪い時もあれば面白くないことが重なっている日もあります。なるだけ平常心で接しようと思っていても、上手くいかない場合もあります。もしかして、益山さんの先生もそんなお気持ちの日だったのかな?とも思うのです。生徒さんに「焦らないで」と言われたら、成る程と受け取られたかもしれません。やはり「二人の会話」がまずあってこそだと思います。

 

 







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