風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

鷺沢 萠 『葉桜の日』 1

2006-04-13 21:14:11 | 

 判っていたのだ。きっとかなり以前から。ダークスーツで武装して徒党を組んでやって来るおやじたちの「まっとうさ」に健次がときどき唾でも吐きかけてやりたくなるのは、健次自身がそれに対する執着を捨てきれずにいるからだ。膜に覆われて何にも気付かないふりをしながら、けれど膜のいちばん敏感な部分では、健次はいつも思っていたのではなかったか。俺はここにいるはずじゃないんだ、と。
 「まっとう」な奴らが、結局は勝ちだ。けれど健次は、連中は不戦勝なのだと声に出して言いたい。行きたくても行けなかった奴だっているのだ。お前たちはラッキーだったのだと、心臓の鼓動の熱さでもって叫びたいと健次は想う。 
 火照った頬を、健次はグラスの氷で冷えた指で叩いた。こうなってしまった自分を考えると涙が出そうになった。それはけれど、誰のせいでもない。言ってみれば、深緑に混濁した汚れた川の苔むしたコンクリートの岸に、しがみついていられる強さを健次が持っていなかったせいであるかも知れない。 
 
オールも持たずに下流へ下流へと流されていけば、舟はやがて海へ出て沈む。
「だから何だってンだ」

(鷺沢 萠『葉桜の日』)

 いつも何かが足りないような焦りや苛立ちを感じていた10代の頃、鷺沢さんの本をよく読みました。彼女の本の中で一番好きだったのがこの『葉桜の日』です。表題作も好きですが、上の文章はこの本の最後に収録されている「果実の舟を川に流して」より。この作品は当時の自分の心情にとても重なっていて、初めて読んだときは涙がとまりませんでした。そして、すごく気持ちが楽になったのを覚えています。あれから10年以上たち、今は当時のような気持ちで読むことはありませんが、葉桜の季節になるといつも思い出し、読み返したくなる一冊です。

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