「がんは面白い病気でね、これくらい個人差があり、気持ちに左右されるものはない」と言う。「心臓が急に止まるのと違い、余命率がどれくらいという、一種予約つきの人生になる。年数はわからない。ラッキーだと延びるし、短い人もいる」
日々、「ありがたい」と思うことがある。「倒れるまで、一日、一日なんて、特に考えないで過ごしてきたけど、先が限られていると思うとね。例えばきょう一日も、とても大事というかね。うん。お墓には何も持っていけないから、大事なのは、どれくらい、自分が人生を楽しんだかということ。それが最後の自分の成績表だと」
今は週に1回、立命館大で講義し、あとは『源氏物語』を猛烈な勢いで読んでいるそうだ。
「入院中にじっくり読んだのは新渡戸稲造の『武士道』。古典が面白くてね。それと、仏像や日本画をしみじみと見るというのかな……。これって、なんだろうと思う。これから先、見ることはないという、見納めの心理も働いているんでしょうが、すべてにありがたさを感じる。そう思いながら味わえる何日かが、あとどのくらい続くか分からないけど。その日々、月日があるというのは、急に逝くよりいいんじゃないか、なんて思うんです」
(筑紫哲也氏 インタヴュー 2007年11月27日 毎日新聞)
昨年末、友人が癌の手術を受けました。
勉強家で、多趣味な、一緒に旅行も行ったりする、とても気の合う友達です。
これまでは、このままずっとおばあちゃんになっても同じようにわいわいやっているんだろうなーと当たり前のように想像したりしていたので、癌になった後、その友人が自然に口にした「5年生存率」とか「再発可能性」という言葉に内心どきっとしました。
彼女が先かもしれないし、私が先かもしれない。
明日かもしれないし、50年後かもしれない。
残された時間がどれだけなのかは誰にもわからないけれど、ひとつだけ確かなことは、誰にとっても、時間は有限だということ。
誰ひとりとして、例外はないということ。
どんなに長くてもせいぜいあと数十年。
それなら、怒ったり嘆いたり卑屈になったりするよりは、できるだけ楽しく、素直な、明るい気持ちでいたいものだと思います。
ところで、この『源氏物語』は、ご友人の瀬戸内寂聴さん訳のものでしょうか。
私は昔与謝野晶子訳で挫折したので、瀬戸内訳で再チャレンジしてみようかしら。
、、、、、、ていうか、思い出した。
本棚、もう本が1冊も入らないのだった。
、、、図書館で借ります、、、(T T)
そだ、もひとつ。
新渡戸稲造。
みなさま、5000円札の顔にもなったこの人、どんな人かご存じでしょうか?
はずかしながら、わたしはずっと名前くらいしか知らなくて、むかし岩手を旅行したときに記念館のようなところへ行って、そこではじめて興味を持ったんですよ。
大学入試で面接官から将来の希望を聞かれて、「太平洋の橋となりたい」と言った人。
百姓みたいな名前と『武士道』なんて右ちっくな著作タイトルからはかけ離れた、とてもグローバルな生き方をした人です(『武士道』もなんと英文で書いています)。