「君は何かを待っているね、吉良君」と鵜飼は低く声を落す。
「ばかな」と吉良は答えた。
「白状したまえ、何だ。何を待っているのだ。何が来るんだ。え?」
「来るものを待ちやしないさ。もし僕が何かを待っているとすれば、そりゃ来ないものだろう」
(『花筐』)
「いけない、いけない。それは。言葉からおびき寄せられる幻影に、いのちを屠ったら、こんなばかげたことはありません」
「ばかげている?ええ、ばかげていることに、命をかけてみたいのです」
「死を克服するために、死を選ぶ?死のための克己心?いけない。いけない。そんなものがありますか。克己心というのは必ず生の側にあるものですよ」
「だから、最初の私の問いに戻るわけでしょう。何が、生きて残っておらねばならないものとして、ありますか?」
(『照る陽の庭』)
日本にもどって、はや3週間。
いまだに赤信号を渡ろうとしてしまう自分にびっくりというかあきれるというか。
今日のことばは、単なる自分用メモ。
「日本の文学」(中央公論社)解説で花田清輝氏が、檀一雄と西行・芭蕉をかさねて、「余裕があり、遊びがあり、美に対する不断の関心がある」「実用性を無視した純粋な造形性への配慮がある」といっているのは、ほぅ、とおもいました。
その点で好対照としておかれているのが、造形美だけが唯一無二の在り方であるとした当時の芸術鑑賞家たちに対抗し、実用美(あるいは実用性)をことさらに強調した坂口安吾や織田作之助。
「しかし、本当のことをいえば、芸術家としてのかれ(坂口安吾)は、実用性によって規定された造形性に、たえず関心をいだいていたのであろう。さもなければ、美文の伝統と手をきった、かれ独特の、ザックバランな文体のうまれるはずがないのである」とも。
ふむ、なるほど。
そして、織田作のこんなエピソードが紹介されています。
戦争中に文学報告会近畿支部総会が京大でひらかれたとき。川田順氏が議長になって、芭蕉三百年忌についての議事を、まるで株主総会のように能率的に、味気なく進行させていたとき、織田君がひょろひょろと立って、芭蕉もいいが一年違いで死んだ西鶴を線香一本あげず黙殺するのはちとひどすぎる。そこにおられる久米(正雄)先生はじめ皆さん西鶴には相当御恩があるはず、という意味のことを、例の皮肉な調子で発言した。幹事の諸先生の困惑ぶりが面白かった。ぼくが織田君に、とてもよかったよ、というと、彼はテレたように微笑した。
(桑原武夫 「織田君のこと」中央公論社版『織田作之助選集』附録第二号)
ちなみに檀一雄の娘が檀ふみってことは知っていたけれど、愛人(のひとり)が小森のおばちゃまってことは今日知った。へー。
しかしこの「日本の文学」。
編集委員が谷崎潤一郎、川端康成、伊藤整、高見順、大岡昇平、三島由紀夫、D・キーンて。
なんか錚々たる顔ぶれですねぇ。