風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

太宰治のコトバ

2009-01-29 04:15:40 | 


「外史のところへでも行ってみたの?」
「うむ。いない。そよぐからねぇ、外史は」
例の通り太宰は、不思議な表現をあやつりながら笑っている。

……

また、ヨーヨーの前で太宰が立ち呆けた。ちょうどヨーヨー売出しの頃だったろう。
「泣ける、ねえ」
何の傷心があばかれたのか、太宰は例の通りそう云いさしてから、
「檀君。こんな活動写真を見たことない?海辺でね、チャップリンが、風に向かって盗んだ皿を投げるんだ。捨てたつもりで駆け出そうとすると、その同じ皿が、舞い戻ってくるんだよ。同じ手の中に。投げても投げても帰ってくるんだ。泣ける、ねえ」

……

太宰が一度ちょうどこの辺から図書館の大建築を見上げながら、
「檀君。ここの屋上から、星を降らせたことがある?」
「星?星って何?」
「ビラさ」
「アジビラか?」
「うむ」
「君、やったの?」
「うむ。チラチラチラチラ、いいもんだ」

(檀一雄 『小説 太宰治』)

……


加うるに太宰治から書簡があり、これは亦太宰流に形式美学と巧言令色を巧みに併用した文書で、
「冗談もいいかげんにしないか」
からはじまっていた。
ちょっと人の感傷をさそった上で、そこから生まれる愛情に釘を打ち、おもむろに「現代文学」という雑誌の説明があり、俺も院外団ぐらいのところでやるから、是非君も何か書けと、なるほど院外団らしい口吻を洩らした手紙だった。

※満州にいる檀へ帰国をすすめる手紙

(檀一雄 『小説 坂口安吾』)


まわりから見たら些細なことでも、その人にとっては大問題というのはよくあることで。
まわりが何を言っても、してあげても、本人にしか見つけられないものはあるわけで。
でも、そんな心の内をそのまま叫んでも、芸術でもなんでもなく、素人の作文と同じなわけで。

余分なものをそぎ落として、芸術へと昇華させる才能。
ことばにおどらされず、ことばを自分流に操れる力。
それが加えられてはじめて「文学」とよべて、人や時代を超える普遍性がでてくるのだと思うのです。


さて。
太宰の心の中にあったものは苦しいほどわかるけれど、太宰その人や作品の内容に共感しきれないところがあって、昔数冊読んだきりだったのだけれど、、、

わたしは太宰と太宰ファンをちょっと誤解していたかもしれない。

ロンドンで仲良くしていた友達が熱烈な太宰ファンだったこともあり、帰国後またいくつか読んでみて、気が付いた。
ずっと、太宰ファンは太宰の退廃的・破滅的な部分と、弱さと、優しさと、お伽草子のような作品や日常生活で垣間見せる不思議な明るさと、そういう人間性に惹かれるんだろうと思っていたのだけれど。
それはもちろんそうなのだろうけれど。
もっと基本的なところでは、

この人のコトバの使い方、面白いですね。


ダザイはやっぱり伊達じゃないのですね。
まぁ、「生れて、すみません」を盗っちゃったりもしてるけど^^;
この人の作品は、力を抜いて読むと(例えばマックで人を待ちながら文庫本で読むとか)、意外といいかもしれない、と思いました。

ところで、昭和21年11月、坂口安吾&織田作之助との座談会で太宰が言ってる言葉は、ちょっとあったかい気持ちにさせられます。
結局、この1年半後に死んじゃったのですけど。。。

その十一年前の作品『玩具』の一節と併せて、ご紹介。


ものの名前というものは、それがふさわしい名前であるなら、よし聞かずとも、ひとりでに判って来るものだ。私は、私の皮膚から聞いた。ぼんやり物象を見つめていると、その物象の言葉が私の肌をくすぐる。たとえば、アザミ。わるい名前は、なんの反応もない。いくど聞いても、どうしても呑みこめなかった名前もある。たとえば、ヒト。

(太宰治 『玩具』 昭和10年)


太宰 :ぼくはね、今までひとの事を書けなかったんですよ。この頃すこうしね、他人を書けるようになったんですよ。ぼくと同じ位に慈しんで――慈しんでというのは口幅ったい。一生懸命やって書けるようになって、とても嬉しいんですよ。何か枠がすこうしね、また大きくなったなアなんと思って、すこうし他人を書けるようになったのですよ。
坂口 :それはいいことだね。何か温たかくなればいいのですよ。

(昭和21年11月 坂口安吾・太宰治・織田作之助 座談会「歓楽極まりて哀情多し」)

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