風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

筑紫哲也さん 2 + 『聖者の行進』

2009-01-14 02:05:38 | テレビ


弱者の問題として格差が捉えられ過ぎるのですが、そうではなくて「そういう人間は努力しないから悪いんだ」というような非常に非情な空気、とげとげしい空気がこの国に生まれていること、私はそのことの方が大きな問題だろうと思います。

そうやってお互いが険しい形で生きていく国を作るのであろうか、もう少し情のある国を作るのかどうか、これは今後の大きな課題であります。

(2006.9.19 筑紫哲也 News23  多事争論 「非情の国」)


例えば、私が今年最大の出来事だと思っておりますサブプライムローンの話も癌と似ております。癌は元々は局部で起きた、自分の体の中で起きた事が全身に広がっていくわけでありますが、アメリカの低所得者向け住宅ローンという局部で発病したことが世界中に広がっていきました。

この出来事の最大の意味、教訓はこのところ日本を含めて世界中に支配的に呪文のように広がった1つの言葉。それが実は虚構=フィクションの上に成り立っていたという事を劇的に証明した事だと私は思っております。その言葉とは「自己責任」という言葉であります。

頭の良い人たちが金融工学の最先端のテクニックを用いて、それはサブプライムローンの債務担保の証券化というんですけれども、そうして起こした事が世界中に癌をいわば、ばらまいております。しかしながら、その責任を誰も取ろうとしないし、誰も取りようもありません。神様でしか責任の取りようもない事を含めて、何でもかんでも「自己責任」という事が世界中にすさまじい格差社会をつくりだしました。自分の能力がないから、あるいは努力が足りないから落伍するんだという形でそういう社会が正当化され、しかももっと悪い事には自分が原因でない事で起きた苦しい状況や弱者に対しても、大変情け容赦のない非常に冷酷な社会をつくりだしてしまいました。

私たちはこんな言葉の使い方から一刻も早く決別すべきです。そして、新しい年になって、私たちが目指すべきはもっと人間らしい、人間の血のかよった、そして人間の尊厳が守られる社会。そういうものをどうやってつくるかということをこれから考え始めるべきだと私は思います。

(同 2007.12.24 「自己責任」)

今の世紀がはじまった頃、21世紀は「心の時代」になるだろうと言われていました。
「物の時代」だった20世紀と対比した言葉です。

うつ病患者も自殺者数も減る気配はなく。
ヴァーチャルな世界はどんどん広がっているのに、生身の人間同士のつながりは希薄になってゆくばかり。
まさしく「心の時代」です。

人と人との関係がいやでも密だった昔ならいざ知らず、今の時代、心は、放っておいたら枯れてしまいます。
枯れてからじゃ、遅いんです。
よほど強く生まれついていれば別でしょうが、はたしてこの世界にそんな人がいるんでしょうか。
このブログのサブタイトルにも通じますが、そんな人、私はいないと思っています。
人と人とのつながりも、心と心のつながりですから、同じです。
水をあげないと、枯れてしまう。
人と人とのつながりが作るのが、社会です。





まえに命の別名を心だと歌った中島みゆきさんの歌をご紹介したことがありましたが、その歌が主題歌だったドラマが野島伸司さん脚本の『聖者の行進』です。

ちなみに私、ドラマは全編は観ていません。何回かは観ましたが、その際どすぎる描写は観るに堪えなかったのです(なので小説で読みました)。

ですが、これは、現実です。ほとんどの人が興味を示さない分野の現実です。
依然として彼らのような人間の受け皿が圧倒的に不足している現実。(障害者に限らず)弱者に無関心な、弱いことに責任があるかのような考えが蔓延している社会。
ご都合主義に見える非現実的なラストは一連の野島作品に共通していることで、この作品に関していえば、野島さんのメッセージだと思います(他の作品についてはなんともいえないものもある。。。)。「パンドラの箱の底には希望が残っている」と、私も信じたいです。
ただ、これも野島作品に共通することですが、学生の集団心理の描写は極端すぎました。エリート校か否かにかかわらず、実際にいじめがこれだけ蔓延しているんですから誰一人救いの手を差し出さない現実は理解できますが、それでもそこに残る良心は、一律では言えないはず。
でも、それでもなお、意義あるドラマだったと思います。この頃の野島作品、すきだったんだけどなぁ。。。以下にご紹介するのは、ある老弁護士のことば。
ちなみにこの老弁護士、ドラマではいかりや長介さんが演じていました(長さん、、、;;)。




「強くなることはないです。弱い自分に苦しむことが大事なことです。人間は元々弱い生き物なんです。それなのに、心の苦しみから逃れたくて強くなろうとする。誰か自分より強いものにすがろうとする。言葉を真似し、ファッションを真似する。自分をなくすんです。強くなるというのは鈍くなるということです。痛みに鈍感になるということです。自分の痛みに鈍感になると人の痛みにも鈍感になる。所詮は錯覚なのですが……。強くなったと錯覚した人間は他人を攻撃する。痛みに鈍感で優しさや思いやりを失う。いいんですよ、弱いままで。自分の弱さと向き合い、それを大事になさい。人間は弱いままでいいんです。いつまでも……。弱い者が手を取り合い、生きていく社会こそが素晴らしい」

(野島伸司 『聖者の行進』)

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筑紫哲也さん 1

2009-01-12 04:17:05 | テレビ


「論」も愉し
近ごろ「論」が浅くなっていると思いませんか。
その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。
そうやってひとつの「論」の専制が起きる時、
失なわれるのは自由の気風。
そうならないために、もっと「論」を愉しみませんか。
二〇〇八年夏 筑紫哲也

(Web多事争論 公開に寄せて


そんなことより、むしろ変わらないのは、長い間みなさんの支持によって作られたこの番組のあり様であります。それを私たちは「ニュース23のDNA」と呼んできました。

力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること、それから、とかく1つの方向に流れやすいこの国の中で、この傾向はテレビの影響が大きいんですけれども、少数派であることを恐れないこと、多様な意見や立場をなるだけ登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと、そういうことが含まれています。

それを実際に、すべてまっとうできたとは言いません。しかし、そういう意志を持つ番組であろうとは努めてまいりました。この18年間、人は変わったんですけど、そのことでは変わりはありません。同じようにこれからも松明は受け継がれていきます。

(News23 多事争論「変わらぬもの」 2008年3月28日)


2007年5月、筑紫哲也さんはNews23で癌を告白されました(番組を見た夜に書いたブログはこちら)。
筑紫さんが亡くなったことはロンドンで知りました。
筑紫さんが亡くなられたときには特番があったでしょうし、多くの方がブログも書かれた思うので今更だとは思いますが、私なりに思うことなどを少し書いてみようと思います。

起業家とジャーナリストを比べるのもなんですが、Steve Jobs氏のようなスピーチもすごくいいけど、筑紫さんの話し方を見ていると、日本人独自の魅力というものはちゃんとあるなぁと思います。
いい意味での真面目さとか、誠実さとか、穏やかさとか。
プレゼンテーションはもちろん上手にこしたことはありませんが、最後に意味を持つのは結局は人間性ですよね。
その人がどういう人生を歩んできたか、どういう風に生きているか、どういう意見を持っているか。

Jobs氏にしろ、筑紫さんにしろ、その言葉に説得力があるのは、努力と知識、経験に裏付けされた、ぶれない自分の意見をきちんと持っているからだと思います。

私は、同じ2007年にこんなブログも書きました。
ただの本の感想文ですが、その余談で、ある元国連大使の方が言っていた言葉をご紹介しました。
もう一度、ここに載せておきます。
政治のこと、経済のこと、日本のこと、世界のこと、もっとちゃんと知りたいなぁとあらためて思ったりしています(好きなのでつい文学ばかり読んじゃうんですけどねぇ)。

「大切なのは自己のアイデンティティを持つことである。アメリカ人と同じように流暢な英語を話し、同じような価値観を持つことは要求されてはいない。自国に対する認識をしっかり持って初めて彼らと同じテーブルを囲むことができる」

「日本人として、一人の人間として、自分の意見をいつもはっきり持つこと。そうでなければ、これから日本人が立っていく国際社会の舞台で意見を言うことはできない」


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You are already naked.

2009-01-11 03:20:12 | テレビ

死を意識することは、人生において大きな決断をする価値基準となる最も大切なことです。
何故ならほとんど全て、外部からの期待やプライド、恥や失敗への恐れ、これらは死によって一切なくなるのです。
あなたが死を意識することが、失うことを恐れない最良の方法なのです。
あなたたちは既にありのままなのです。
思うままに行動しない理由はないのです。

……

今、新しきは君たちです。
しかし、そう遠くない未来に君たちも古きものとなり消えていきます。
とてもドラマチックな言い方で申し訳ないですが、それは全くの真実なのです。
君たちの時間は限られている。
だから無駄に誰かの人生を生きないこと。
ドグマに捕われてはいけない。それは他人の考え方と共に生きるということだから。
他人の意見というノイズによって、あなた自身の内なる声、心、直感をかき消されないようにしなさい。
最も大事なことは、あなたの心や直感に従う勇気を持つことです。
それら内なる声、心、直感はどういうわけか君が本当に何になりたいか既に知ってるのです。
それ以外のものは、二の次でいい。

(Steve Jobs' Commencement address @ Stanford University)

これが昨日You tubeで探してたインタヴュー、じゃなくてスピーチ。
2005年に、アップル創始者のSteve Jobs氏がスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチです。
有名なスピーチのようなのでご存じの方も多いかもしれません。
昨日の話題とすこしかさなっているので、ご紹介してみました。
ちなみにうちの子は林檎じゃなくて窓です(笑)

いいスピーチです。
個人的には、「今日が人生最後だとしたら、今日やることは本当にやりたいことだろうか」と毎朝鏡を見て自問自答するというのはすこしやりすぎな気もしますが。。
本を読んでてもテレビを観てても落ち着かない気分になっちゃいそう。。
「ちょっと読んでみたい本だけど、人生最後の日でも読みたいかといわれたら、それほどでもないかも。。。」とか。
一見無駄なことから意外な宝石が出てきたりするしなぁ。
ま、そういうちょっと無駄に思えることをするときも、ただするんじゃなくて、ちゃんと覚悟をもってしろっていうことかもしれませんね。
これからは昼寝するときも「これが最後の日でも後悔しない?」「うん、しない!」って感じで昼寝してみようかと思ったり思わなかったり(けっきょく昼寝はする)。

それにしても、アメリカ人のプレゼンテーションのうまさにはほんと感心です。
Stay Hungry. Stay Foolish.
カッコイイ。

Steve Jobs' Commencement address @ Stanford University (2005)
 You Tube→part1  part2
 Text(英語)→click!

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『風のガーデン』 最終回

2009-01-10 06:22:37 | テレビ

父さん。家庭って、いいもんですね。
  ――ああ。いいもんだ。

この前、ふと思い出したんです。
中学生だった頃、僕が駄々をこねてこの部屋にテレビを入れてくれって、強引にテレビ買ってもらった。
初めてこの部屋で、一人でテレビ観た。
確か、ドリフターズの「全員集合」だったような気がします。
一人でげらげら笑いながら観てて、突然、ふっと寂しくなった。
不思議な、強烈な寂しさだった。
誰も一緒に笑ってくれない。笑ってくれる者が一緒にいない。
情けない話ですが、泣いたんです、その時、僕。
みんながいる居間にすっ飛んでって、
もうテレビなんかいならいって言おうと思った。
思えば、それは僕が自分から家庭を捨てた日だったって思うんです。

このまえルイと岳から「裸足になろう」って言われましてね。
ガーデンで、みんなで歩いたんですよ。裸足になって。二人と手をつないで。
あいつらの手の温かさ、柔らかさ……。
気付いたら涙が溢れだしてきた。
何も知らなかったんですね。
何も知らずに、あいつらに何もしてやれなかった。

  ――過去形で言うのはまだ早いよ。これから君は、最後の戦いを闘う姿を見せて、あいつらに勇気を教えてやるんだ。

そうですね。本当に、そのとおりだ……。

(『風のガーデン』最終回より)



ドラマの最終回、終末期医療に携わる父親と末期癌の息子の会話です。

日本にいなかった私はこのドラマを観ていないのですが、昨年祖父が死に、昨日親戚が亡くなり(2人とも癌)、お通夜へ行く準備をしている母親に「最近立て続けに人が亡くなるねぇ」と言ったところ、まだベッドの中でぬくぬくしていた私に母親はいかにこのドラマが良かったかということとあらすじを延々語った末、「はいっ」ってご丁寧にDVDの再生ボタンまで押して家を出て行きました。
え、ちょっ、今見る予定はなかったんだけど……!
でもまぁ、せっかくなので、最終回だけですが観てみました。

……中井貴一さんの演技、めちゃくちゃ上手ですね。
なんでしょう、このリアルさ。
昨年の祖父を思い出した。。。
すごいや、さすが俳優だ。。。
緒形拳さんは言うまでもなく。

で、このシーンです。
もう病状もいよいよ末期のこのシーン。
中井さんの最後の登場シーン。
うちの家族もまぁほんとうにいろいろと問題があるんですが、それでも、この「家庭って、いいもんですね……」って……、泣くというより、うまく言えないけど、ちょっと考えさせられました。家庭か。。。家庭ね。。。
いつまでもあると思うな親と金、ってことばを思い出しました。
いや、まじなはなしです。
人ってふしぎなほど自分だけは、自分の家族だけは死なないんじゃないかって思ってしまうんですよね。もちろんそんなわけないのはわかっているんですが。
死に対してふしぎなほど鈍感。
敏感だったらとても生きてなんていけないから、神様がそうしたのかもしれません。
でも、自分が年を重ねているということは、同じだけ親も年を重ねているということで、それを時々は意識しなければいけないなぁとおもいます。
わたしの時間も家族の時間も有限だから。
人生のひとつの正体は時間って言ったのはだれだったっけ?
まぁとにかく、後悔はできるだけしたくないですもんね。
ほかにもいろいろ、ぼんやりとですが、考える機会をくれたドラマ(最終回)でした。

ところでイギリスの田舎の風景は、北海道ととてもよく似ていました。
もちろん食事の味は比になりませんが。
北海道、いいところだよねぇ^^

最後に、中井貴一さんのインタビューより。

 「僕はガキのころから、命は天から与えられたもの以外の何物でもないと思ってきた。ある患者のがんが早期発見できるのは、それを神が決めたから。その人はいま死ぬ寿命じゃないからがんが早く見つかった、ということなんです」

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木内 昇 『茗荷谷の猫』

2009-01-09 01:10:46 | 



「今日の日の魂に合ふ
 布切屑をでも探して来よう。」
ひとりになってから、さっき健坊から聞いた言葉を口の中で繰り返した。

(木内昇 『茗荷谷の猫』)



今年の初読書^^
去年Amazonからのメールで新刊が出たのは知っていたのですが、当然ロンドンでは手に入らず、拷問のような思いをしたものです。

木内さんの本をよむのはこれで4冊目だけれど、はずれがありません。
独特の空気をもってる素敵な作家さんだとおもいます。

好きな本の趣味がわりとわたしと似ていて、この方が書く書評を読むとうんうん、そうそう~とうれしくなるのです。

木内さんの本はいつも装丁のセンスがいいのだけれど、今回もとーってもきれい。
表紙カバーは薄ピンクの桜の樹。
本体の表紙は濃い紫に散る薄桜色の花びら。

この本の登場人物の多くは、現実世界の一本となりの道をあるいているような人たち。
まわりから見たら全く意味がないようなことに強いこだわりを持っていて(いわゆる変人)、読んでいるうちに、でも意味がある生き方ってなんだろ?みたいな変な気分になってくる。
そんななので当然孤独。
そんな彼らも、時間や空間を超えて誰かとつながってる。
でも、そのつながりはとてもささいで儚くて、きちんと意識されることもないまま、時の流れのなかへ消えてゆく。
うすぼんやりとした夢の中をただよっているような、ふしぎな余韻が残る
連作集です。

ちなみに上に引用した中の「今日の日の・・・」のくだりは中原中也の詩集『山羊の歌』の一節。
言葉ってほんと芸術だ。鳥肌たつもん。。
登場人物の一人に「好きな言葉があればご飯もいらない!」みたいな男の子がいるんですが、わかってしまう、その気持ち。
もちろんご飯はいりますが(いま夜中の一時半。おなかすいた。。。)。

精神科医の春日武彦氏による読売新聞の書評はこちら→click!
ここに書かれている「取るに足らないけれども痛切な心情の連鎖」ということば、すごくよくこの物語をあらわしてると思います。さすがだなぁ。

最後に、"プロフェッショナルな仕事"にこだわる木内さんらしい一文を本文からご紹介^^

「手作り風」でなにかするくらいなら、いっそなにもするなかれ

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あけましておめでとうございます

2009-01-08 03:53:09 | 日々いろいろ

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

って、もう七草粥も食べ終わってますね。
ご挨拶が遅くなってもうしわけない。

3日に、無事日本に帰りました。
BA(ブリティッシュエアウェイズ)の機内手荷物制限が『大バッグ1個+ハンドバッグ』のなか、大バッグ3個を持ち帰った者です。
前夜にわたしの荷物を見たBA職員の大家から「No....incredible....」との言葉を承り、tryしたいならしてもいいけど絶対にムリだよ、と太鼓判を押されていたのだけれど、なんとかなったよ!
チェックイン時にちょっとウソついちゃったけどネ。
重すぎて死ぬかと思ったけどネ。
ロンドンの友人間では「cookieちゃんはヒースローを通過できなくて、まだ空港のホテルにいるんだよ」ときめつけられていたらしいけどネ。

さて、そんなこんなで戻った日本。
うん。よいですよいです。
気候はおだやかで、食べ物は信じられないくらいおいしくて、とくに一年間まっていてくれた友人たち、ほんとありがたいです。
離れてわかったよ、気の合う友達の存在がどんなに貴重か。。
全然やってける。
ノープロブレム。
どこでもなんでも自分次第ってことなのだね。

ではでは。
2009年がみなさまにとって最高の1年でありますように!
いい年にしよーねー^^

写真:アイルランドの夜明け

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