「だちょう」さんのブログで知った(選挙戦へのつぶやき3)のですが、民営化反対派の荒井議員が語っていた反対論について述べたいと思います。
論点としては大きく分けると2つで、民営化そのものの問題、4つの事業会社分割の問題ということであった。これについてそれぞれ考えてみたい。既に書いたことが殆どですけれども。
1)民営と官営の問題
「市場の失敗」があるので、民営化は有利とは言えない、という主張であると思いますが、これは当然そうでしょう。ただ、民間会社には全く失敗がない、ということがないのと同じように、官営が全く失敗がないということもないですね。民間会社の失敗例として、JR西日本の事故やエンロン事件を挙げており、確かに運営主体の会社そのものに多くの責任があったと言えますが、一方ではそれを監督する省庁の法令や制度(規制・指導等でしょうか)の問題でもあります。予め事態を想定したり、監督強化を必要とする部分については必要な手当てを考えるのが行政の役割でもあるので、そうした監督指導を行ってこなかった責任は存在すると思われます。また、行政が失敗の責任をとることというのは殆どなく、エンロン事件のように厳しい処罰を受けることはあっても、日本の省庁の人間が何か責任をとらされたことは何かあったでしょうか。
こうした事例をもって、民営化の決定的な否定根拠とはなり得ないと思います。言えることは、「民間会社は失敗が有り得る」ということだけで、それをもって官営が有利という結論にはならないと思います。
2)事業会社の4分割
荒井議員が盛んに主張していたのは、「約7割程度の郵便局は郵便・郵貯・簡保(収益比率は2:6:2と示してました)の3事業を1人が行っているから4つに分けるのは間違いで、収入の大半を占める郵貯と簡保をなくすのはおかしい」ということ。これもいくつか分けて考えましょう。それと、局の設置については、郵便局の収益状況の平均だけを見てもダメでしょうね。地域、或いは局ごとに判断が必要です。
まず、郵便事業だが、全国の約9割が赤字(郵政民営化の考察7)ですね。これは事業の構造上予想されることです。ただ、漫然と赤字でいいか、というとそうではなくて、効率化を図り出来るだけ赤字幅を減らす必要がある。そうであれば、例えば過疎地で民家も散在しているところであれば局舎を無くして、例えば移動郵便局として郵便配達業務とそれ以外の業務(貯金を下ろす、買い物・通販品を一緒に配達する、保険業務・・・他色々)を行っていく、といったことも考えていく必要があるということです。このような場合には、窓口会社が請負うことになりますから手数料収入も当然入ってきます。こういう効率化が必要でしょう、ということです(高齢者なら、家に来てもらえる方がよっぽど親切だと思いますが。苦労して遠路はるばる郵便局に出かけていくより)。他に競合会社が存在しなければ、当然住民の殆どは利用するので、こういう地域の郵便局が消滅することなどないでしょう。何たって、独占的地域なんですから。
民営化では、地方都市や大都市圏とかその近隣地域などで、利用客が非常に少ない郵便局はなくなる可能性が有り得ます、ということを言っているのです。何故なら、他の銀行、保険や宅配等をその地域の人が利用してしまい、郵便局そのものを必要としていないからでしょう。もしも、住民が「無くなったら困る」という重要な局は、多くの人が利用するはずです。ところが、需要が無いというのは、「あってもなくてもそれほど困らない」ということの裏返しなのではありませんか、ということです。ならば、民営化後に整理統合されるかもしれないですね、それは民営化会社が判断して下さい、ということになるでしょう。ゆうぱっく取扱のコンビニはかなり増えてますし(笑)。郵貯が銀行になってしまえば、ATMもコンビニで済んでしまいますね。
郵便局の設置は、昔の―仮に50年前の水準に戻してもいいのではありませんか、役割を終えた局は整理してもいいのではありませんか、ということです。50年前の日本には今ほど郵便局は存在しなかったはずです。人口が減少していきかつての時代に戻ろうとしているのなら、それに合わせて段階的に50年前程度の郵便局数に戻すことがそれほど理不尽なことなのでしょうか。独占的地域は当然残すのですから、それ以外の地域で需要があまりなければ、例えば今まで4人配置だった郵便局を2人配置にしてあとはATMがあれば事足りるのではないですか、そういうことを民営化会社に判断してもらう、ということですね。
また、保険業務は「簡易保険」と全く同じ商品設計、制度があれば、運営主体が民間会社か官営会社かは利用者に大きな違いは存在しないのではないでしょうか。保険会社窓口が家のそばに存在しないからといって、例えばアリコの保険契約者が激減したりしてますか、ということです。ところが、郵政には保険外務の人員を無駄に置いていることもあるかもしれない。そうなれば、そういう非効率は改める必要が出るでしょう、ということなのです。
これらを急激に行えば、当然リストラの嵐です。しかし、完全民営化までの時間の中で、経営努力をして収益基盤の強化が図れるならば、存続局も増やせるかもしれないし、別なビジネスモデルも出てくるかもしれない。早期退職奨励や自然減である程度の職員数削減は図れます。団塊世代が退職していけば、当然相当数の高給取りの頭数が減るわけで、そういうことでマイルドに縮小しましょう、ということですね。民主党案のように急激な改革を行えば縮小効果は出るでしょうが、弊害の方があまりに大きくなり過ぎて、一般国民には受け入れがたい状況となるでしょう。NTTだって、相当数の人員削減を行いましたが、国鉄ほどの修羅場とはなりませんでした。国鉄の雇用問題は裁判も長期化し、労組との争いは双方に大きな傷跡を残しました。あのような事態を避ける意味でも、郵政民営化は必要だと思います。放置すれば、準備期間が短くなるだけで、問題解決には繋がらないでしょう。
ちょっとはずれますが、固定電話の不採算地域の維持の為に、各事業会社に総務省が資金拠出を求める、ということが先日報じられていました。このような行政の措置によっても、不採算地域のユニバーサルサービスを維持することは可能であろうかと思います。参入企業への一定の規制(という言葉が適切なのか判りませんが)というか、制度上の義務を設けることで国民が受けるサービスの大きな偏りを防ぐこともできるということなのだろうと思います。
論点としては大きく分けると2つで、民営化そのものの問題、4つの事業会社分割の問題ということであった。これについてそれぞれ考えてみたい。既に書いたことが殆どですけれども。
1)民営と官営の問題
「市場の失敗」があるので、民営化は有利とは言えない、という主張であると思いますが、これは当然そうでしょう。ただ、民間会社には全く失敗がない、ということがないのと同じように、官営が全く失敗がないということもないですね。民間会社の失敗例として、JR西日本の事故やエンロン事件を挙げており、確かに運営主体の会社そのものに多くの責任があったと言えますが、一方ではそれを監督する省庁の法令や制度(規制・指導等でしょうか)の問題でもあります。予め事態を想定したり、監督強化を必要とする部分については必要な手当てを考えるのが行政の役割でもあるので、そうした監督指導を行ってこなかった責任は存在すると思われます。また、行政が失敗の責任をとることというのは殆どなく、エンロン事件のように厳しい処罰を受けることはあっても、日本の省庁の人間が何か責任をとらされたことは何かあったでしょうか。
こうした事例をもって、民営化の決定的な否定根拠とはなり得ないと思います。言えることは、「民間会社は失敗が有り得る」ということだけで、それをもって官営が有利という結論にはならないと思います。
2)事業会社の4分割
荒井議員が盛んに主張していたのは、「約7割程度の郵便局は郵便・郵貯・簡保(収益比率は2:6:2と示してました)の3事業を1人が行っているから4つに分けるのは間違いで、収入の大半を占める郵貯と簡保をなくすのはおかしい」ということ。これもいくつか分けて考えましょう。それと、局の設置については、郵便局の収益状況の平均だけを見てもダメでしょうね。地域、或いは局ごとに判断が必要です。
まず、郵便事業だが、全国の約9割が赤字(郵政民営化の考察7)ですね。これは事業の構造上予想されることです。ただ、漫然と赤字でいいか、というとそうではなくて、効率化を図り出来るだけ赤字幅を減らす必要がある。そうであれば、例えば過疎地で民家も散在しているところであれば局舎を無くして、例えば移動郵便局として郵便配達業務とそれ以外の業務(貯金を下ろす、買い物・通販品を一緒に配達する、保険業務・・・他色々)を行っていく、といったことも考えていく必要があるということです。このような場合には、窓口会社が請負うことになりますから手数料収入も当然入ってきます。こういう効率化が必要でしょう、ということです(高齢者なら、家に来てもらえる方がよっぽど親切だと思いますが。苦労して遠路はるばる郵便局に出かけていくより)。他に競合会社が存在しなければ、当然住民の殆どは利用するので、こういう地域の郵便局が消滅することなどないでしょう。何たって、独占的地域なんですから。
民営化では、地方都市や大都市圏とかその近隣地域などで、利用客が非常に少ない郵便局はなくなる可能性が有り得ます、ということを言っているのです。何故なら、他の銀行、保険や宅配等をその地域の人が利用してしまい、郵便局そのものを必要としていないからでしょう。もしも、住民が「無くなったら困る」という重要な局は、多くの人が利用するはずです。ところが、需要が無いというのは、「あってもなくてもそれほど困らない」ということの裏返しなのではありませんか、ということです。ならば、民営化後に整理統合されるかもしれないですね、それは民営化会社が判断して下さい、ということになるでしょう。ゆうぱっく取扱のコンビニはかなり増えてますし(笑)。郵貯が銀行になってしまえば、ATMもコンビニで済んでしまいますね。
郵便局の設置は、昔の―仮に50年前の水準に戻してもいいのではありませんか、役割を終えた局は整理してもいいのではありませんか、ということです。50年前の日本には今ほど郵便局は存在しなかったはずです。人口が減少していきかつての時代に戻ろうとしているのなら、それに合わせて段階的に50年前程度の郵便局数に戻すことがそれほど理不尽なことなのでしょうか。独占的地域は当然残すのですから、それ以外の地域で需要があまりなければ、例えば今まで4人配置だった郵便局を2人配置にしてあとはATMがあれば事足りるのではないですか、そういうことを民営化会社に判断してもらう、ということですね。
また、保険業務は「簡易保険」と全く同じ商品設計、制度があれば、運営主体が民間会社か官営会社かは利用者に大きな違いは存在しないのではないでしょうか。保険会社窓口が家のそばに存在しないからといって、例えばアリコの保険契約者が激減したりしてますか、ということです。ところが、郵政には保険外務の人員を無駄に置いていることもあるかもしれない。そうなれば、そういう非効率は改める必要が出るでしょう、ということなのです。
これらを急激に行えば、当然リストラの嵐です。しかし、完全民営化までの時間の中で、経営努力をして収益基盤の強化が図れるならば、存続局も増やせるかもしれないし、別なビジネスモデルも出てくるかもしれない。早期退職奨励や自然減である程度の職員数削減は図れます。団塊世代が退職していけば、当然相当数の高給取りの頭数が減るわけで、そういうことでマイルドに縮小しましょう、ということですね。民主党案のように急激な改革を行えば縮小効果は出るでしょうが、弊害の方があまりに大きくなり過ぎて、一般国民には受け入れがたい状況となるでしょう。NTTだって、相当数の人員削減を行いましたが、国鉄ほどの修羅場とはなりませんでした。国鉄の雇用問題は裁判も長期化し、労組との争いは双方に大きな傷跡を残しました。あのような事態を避ける意味でも、郵政民営化は必要だと思います。放置すれば、準備期間が短くなるだけで、問題解決には繋がらないでしょう。
ちょっとはずれますが、固定電話の不採算地域の維持の為に、各事業会社に総務省が資金拠出を求める、ということが先日報じられていました。このような行政の措置によっても、不採算地域のユニバーサルサービスを維持することは可能であろうかと思います。参入企業への一定の規制(という言葉が適切なのか判りませんが)というか、制度上の義務を設けることで国民が受けるサービスの大きな偏りを防ぐこともできるということなのだろうと思います。