いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

「女王の教室」(第8回)

2005年08月21日 23時49分27秒 | 俺のそれ
いよいよ終局が迫ってきましたね。

昨日は、がり勉組(というか私立受験組)とそれ以外のクラスメートとの溝が埋まるかどうか、でした。前に、割れたガラスを片付けるように言われたカズミちゃんを、手伝うと言って立ち上がったクラスメートは全員ではなかった。秀才君たちやガリ子は座ったままだった。

今回はそうした勉強を頑張る人達が、自分の利益優先姿勢を乗り越えられるか、一緒に汗を流して共に何かを達成できるか、そういうことが問いかけられました。

同時に、問題を解決しようと思うならば、単に「~反対」とか言うだけでは前に進まず、逆にコミュニケーションを深め、双方が歩み寄ったり解決策を模索する姿勢こそ必要なのではないか、ということも示唆されていた。まさに今の「郵政改革」問題と一致しているかもしれない。


優等生君の決意が、クラスにまとまりをもたらし、遂にクラス内の仲たがいや非協力がなくなっていきました。進藤ヒカルちゃんも頑張りましたし、勉強があまり出来ないけれど絵が上手な「馬場ちゃん」も頑張りました。きっと、クラスの中で勉強も運動も得意ではないかもしれないが、でも何かの役に立てるんだ、そういう役割を誰しもそれぞれ持っているんだ、ということを示したかったのでしょう。現実世界でも、確かに勉強が出来るとは限らない人々はいますが、思いやりがあったり、職人気質で頑張るとか、器用であるとか、正直であるとか、色々な場面でその人の良さを活かす道はあると思います。それが、決して特異なことでもなく、そういう人々を尊重し敬意を払うことが出来るかどうか、そういう視点が持てるか、そんなことを感じました。


マヤ先生の謎はまだ明らかにされていませんが、あと数回で終わってしまうとしたら、さみしいです・・・。



選挙と政治2

2005年08月21日 13時16分46秒 | 社会全般
政策を競うという選挙であるならば、各政党の比較をして「統治ユニット」(=政権)の選別を行い、有権者がどの政権に誕生してほしいか、ということを選択するということになるのでしょうか。各議員はなぜ存在するのか考えてみると、ある党首と幹部達によって政策を考える(マニフェストを決定する)時に、党内でいくつか議論があるものの(例えば「郵政民営化」賛成か反対か)党首か幹部達(だいたいは執行部かな)が決定権を持って、それに完全に賛成した人間だけを集めて政党を構成することが条件となる。このような党首と考えの合わない人間は他の政党に属せよ、ということだ。同時に執行部は異なる考えの人間には公認しないという権限によって、自分達に「YES」しか言わない人間の集団を作り出すことができる。これは、立法上の手続きとして、既に法案を決定する過程が含まれてしまう危険性もある。


また例で考えてみましょう。
ある政党の公約に「人権擁護の為の法制定」「有害情報の法的規制」「インターネット業者への捜査当局の検閲権付与」とあるとしよう。他のメインの公約が「10兆円の大型減税実施」といったエサ的なものであるとするならば、うっかり有権者も上に書いたような公約を見逃してしまうということがあるかもしれない。この党が第一党となって過半数を占めてしまうと、党首と党幹部達で決めたこのような公約を立法化して行く時には、所属議員達の反対は許されない為、必ず法が作られてしまう。ということは、この選挙で議員になった人々は立法に対してはほぼ責任を負うことも無く、単に賛成票を投じるマシンの一部と変わりない、という可能性もある。選挙終了時点で法が作られることの保障を与えたことと同じであり、抱き合わせ販売というかセット販売の弊害みたいな部分が出てくる可能性はある。下手をすれば、「マニフェスト」至上主義的になってしまうかもしれない(=大多数の議員は誰でもいい、党幹部達の数人を作り出せれば)。


マスメディアは、各政党のマニフェストが出揃ったら、この検証作業をテレビ討論形式で党幹部達にやらせているが、実際には大きく間違えたことを言ったり、単なる各政党同士の非難合戦に終わってしまって、まるで意味をなさない。当事者同士に争わせたって単に罵倒合戦的で、観てる方は気分が盛り上がるかもしれないが、マニフェスト自体の検証には何の役にも立たない。


土曜日だったか、日テレ系の朝の番組に菅直人氏と竹中平蔵氏が直接対決という形で出演しておりましたが、菅氏は竹中氏がしゃべっている時にも必ず口出しして「それは違いますよ」「全然言ってることが違う」とかぐちぐち言い、一方の竹中氏も元経済学教授とは思えないような詭弁ぶりで、誠に残念だった。

郵政民営化については、民主党案は上限引き下げで「半分は民に金が流れる」であり、残りは「赤字だったら税金を入れればよい」といういい加減さで、且つ縮小スピードの早さと雇用の関係については何の説明も根拠も責任もない、というもので、竹中氏に突っ込まれたら菅氏は「じゃあ、自民党は職員を残してそれで効率化ができるんですか」と言ったが、これは民主党案が自民党案よりも優れてることの証明にはなっていない。竹中氏も「自民党は民営化するから、340兆円全部民間資金です。全部官から民へなんです」などという、とんでもないデマというか詭弁を弄して、国民を騙そうとした。確かに資産管理法人も郵貯銀行も民間になるから保管というか資金管理は民間所有となるが、その金の大部分は、実際には国債や財投債購入原資として使われ続ける訳で、川上から川下へ流れていく過程の行き先は「官」部分にかなりの額を流しこまなければならない、ということを言わなければならなかった。都合の悪いことを言わないようにするのは双方とも同じであり、こういうのをいくら国民に見せても正しい判断の基準にはなり得ない。もっときちんとした専門家などに数人依頼して、学術的検証結果などを正しいデータ等に基づいて提示する方がましだ。それが出来ないメディアというものにも失望を感じる。


民主党の公務員給与2割削減もある程度意味があるし、漫然と続けられてきた公務員制度の改革は必要だろう。だが、国家公務員は給与総額が少ない上に、天下り先の回収を止める方向性を考える方が重要で、官僚のコア部分をいくら削ってみたところで人件費はたかが知れてる。それよりも、財投先機関での人件費(これは多分10兆円程度の規模であろうと予想される)を先に何とかするべきだろう(それには国庫からの援助資金を漸減して将来的には無くすことだ)。大学や病院などの「公益性」の高いところから大ナタを振るって国から切り離し、官僚権益の強い「うやむや領域」だけ隠し続けるのもかなりオカシイぞ。地方公務員にしたって、まずは住民への情報開示を進めて、地域住民の協力を得られるものはそちらに移行させたり、民間人が出来ない部分を削ることなんて不可能なんだから、ただ客寄せ的に数値目標を掲げるのもどうかと思う。ある程度の根拠とか見通しを言うべきだ。


道路公団廃止については、談合などがなければ落札が現状の7割程度が妥当(適正?)価格であるから、少なくとも3割削減でき、これを財源とすれば通行料がなくても公団運営費程度が捻出できる、というのは説明として順当だ(道路公団問題は参院選の前に相当検討したので、議員自身で理解ができているからこのように根拠のある説明ができるのだろう。俄仕込みの安易な政策はボロが多いのできちんと説明が出来ないのだ)。このような基本的な理解を国民が出来るように、ある程度根拠を提示するべきである。竹中氏は、この発言を聞いて揚げ足取りをしていた。「公団がなければ道路補修は誰がやるんですか?国ですか、なら公務員でしょ。「小さな政府」に賛成だ、と言いながら、それなら官業でしょ。民じゃないでしょ」という見当ハズレな子供みたいなことを言っていた。元経済学教授であるなら、このような言葉尻を捉えて反論するのは明らかにオカシイ。「国がやる・担当する」=「大きな政府」じゃないのに、公団廃止=大きな政府だろ、っていうことがまるで違うのに、国民にワザと誤解を植え付けようとした根性が嫌だ。


社民・共産は主として「~~に反対」「~~を守る」というなら、現状が最も良い政治ってことだ。馬鹿だな、本当に。大企業や財界(笑、さすが勤労者の為の共産党)に負担を求める、というならば、どこの財源不足をどういう規模で賄うのか、法人税率をいくら上げていくらの負担増を求めるか、それによって企業収益に与える影響はどのような規模になるのか、その結果雇用者賃金に与える影響はどうなのか、GDP成長率の押し下げ要因としたらどのくらいのインパクトがあるのか、そういったことも考えておくべきだろう(GMショックみたいに従業員の医療費が企業業績の悪化要因ともなるのだから。結果的に大きなリストラ圧力となったぞ)。



多くの方々のコメントに感謝致します

2005年08月21日 13時12分45秒 | 経済関連
意外に多くの方々に関心を持って頂けて、驚いております。

こんなにコメント頂いたことも少ないので、誠に失礼と存じますが、この場をお借りしまして御礼とさせて頂きます。


今回のチャレンジでは、公認結果を見れば「女性候補」という所に重きがあったようで、やはり「見栄えのしない男」よりも「マドンナ候補」というイメージ戦略が重要視されたのではないかな、と思います。

それを上回れる魅力というものが、わたくしには無かったのだと思っています。


いっそ、国民新党からでも出てみようかな???笑
冗談です。

政治信条・理念を共有出来ないし・・・

ブログを続けられるのは、落選したからですので、良かったような悪かったような・・・微妙な心境です。


これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。