いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

選挙と政治1

2005年08月20日 18時50分01秒 | 社会全般
今回、自分が候補者公募に実際に応募してみて、色々感じたことがあった。それは、私も「人の子」(笑)であり、普通の人間であるということである。心のどこかに弱さがある。テレビドラマ「女王の教室」に登場する「馬場ちゃん」と同じように、「リーダーにさせてもらえる」「先生と仲良くしたら、特典が得られる」といった、自己利益を優先してしまう可能性があるということである。そうした、自分の弱さがあった。それ故、いつもバッサリ切るのに、何となく切れ味が鈍ってしまい、迎合しようとする傾向となったかもしれない。

「ひょっとしたら、候補者に選ばれるかもしれない」と思えば、どうしたってそういう権力には靡いてしまいがちになるだろう。私の志の重さは、その程度であったということかもしれない。本当に政治を変えたい、自分にも何か出来ることはやっていきたい、と思っていたが、実際には自民党のマニフェストと自分の政策意見が完全に一致などしていない。これも、自分に都合が悪いから隠していた。郵政民営化には賛成だが、本当は、「年金一元化」を目指してる(これじゃ、民主党案だ)とか言えないと思ったし、医療費の機械的抑制策は許容できないと考えているし、「小さな政府」の解釈にも隔たりがある(郵政民営化に反対する議員の気持ちが少し理解できたような気もする)。でも、こういったことを達成しようと思えば、自分が独裁者にならない限り不可能である。私の考えに一致した政党も存在しない。ならば、「近いもの」「似てるもの」とか、「最も実現できる可能性のあるところ」という風に考えるしかないのである。自分の中にも矛盾を抱えたままになってしまう。政党とは、そういうものなのだろうと思う。


政治の仕組みを考える時、何かを変えようと思ったり、どうにかしようと考えるならば、こちら側と向こう側の大きな隔たりを飛び越えなければならない。それが実現出来ないなら、いくら叫んでも、ブログに書いても、やっぱり変わらないような気がしたからだ。向こう側とは、当然の如く政治中枢であり、政治家、高級官僚、有力財界人、権威的学界人等によって構成される。彼らが日本のルールを作るが、一般人よりも多少優れた人(例えば、適度な知識人・評論家・マスコミ人、大学教授達・・・・)がいくら何を言っても、多くはかき消されるか、知られないままか、無視される。それは「ルールを作る側」にいるか、いないかの大きな違いがあるからだ。向こう側に力を持たなければ、大して意味がない。


国民の声も、それと似ている。但し、本格的な怒りや反発が起これば、向こう側に影響を及ぼすことが出来る。投票権は、あることで多少の意味があるが、例えば地方選挙区で国会議員を選出したところで、その人が何か変えられるかというと、そうでもない。大体は変わらないことが多い。貧しい地域は、ずっと貧しい地域のままだし、道路が良くなって一時的に土建屋が潤ったりすることもあるが、長続きはしない。今までの政治のやり方は、ほんの極僅かな人間の利益を優先して、粗方決められてきた。そういう連中は、地元に何かの手土産を持って帰ることを期待され、日本全国、津々浦々で、国からの手土産獲得合戦に血道を上げ、自己利益の為に政治を利用しようとしたのだ。それは、国民もその片棒を担いだに違いない。それに気付けないその他の国民にも責任があるし、放置したことも同様である。そうした、自分達の利益に浴することばかり考えているから、そういう議員を次々と生み出してきたのだろうと思う。そして、そういう政治システムが作り上げられた。


今回の郵政解散は、こうした過去の清算には多少役立つと思うし、これからの日本の進むべき道を占う意味で非常に大切なことは確かである。国民の為になる政治・行政が求められるのは勿論だが、これがどういう形で実現されていくのかは、注意深さが必要である。単なるお祭り騒ぎで終わるのか、国民が思慮深くなれるのか、どのような要求を国民のエージェントとなる行政府の政治家や官僚達に求めていくのか、そこら辺が重要である。


政党規律を非常に厳格に保ち、それに賛成を義務付けて、その方針に従う候補者を適当に有名人から集め、人気投票みたいにするというのも、政治的方法としては決していいとは言えない。だが、公募候補も似たり寄ったりで、大して実績がないところは同じだ。世襲とかコネとかそういう議員ばかりも困るが、実績のない人達ばかりになったら、官僚達に騙される(笑)か丸め込まれるかで、行政分野で太刀打ちできないだろう。とてもじゃないが、国民の代わりに代表者として行政の監視をしたり、不正・不備を追及したり、政策要求をしたりは出来ないのではないか、との危惧もある。なので、やはりある程度のバランスが必要で、平凡な庶民の議員もいれば、タレント議員も少しいて(これも一種の職域代表?かもしれないですし)、世襲とか議員秘書とか官僚出身者といった政治・行政に強い人もいて、ということも必要なのだろう。自分が公募に応募したからと言って正当化する訳ではないが、自民も民主も公募制度によって、昔に比べれば政治家を身近なものにしたことは評価できると思う。


問題の候補者選びだが、何故衆議院と参議院があり、選挙区が細かく分かれているか、その意味合いについて考えた方がいいかもしれない。選挙区を移ったり、遠くに行くのを完全に否定する訳ではないが、敢えて「話題作り」だけでそういった手法をとるのは、如何なものか、とも思ったりする。これも自分が選から漏れたから言う訳ではないですが(笑)、地域の人々の気持ちの代弁者として相応しいかどうか、といった視点も必要であり、そこの人々とある程度気持ちを共有できる人が必要だろうと思う。例えて言えば、今まで一度も機械油や土で手を汚したこともないような「勝ち組」の人間が、泥水を飲むような思いで農業や酪農を営んでいる人々の気持ちを果たして共有できるのだろうか?


真に優秀な人々の集団である政治家が間違ったりしなければ、今の日本のような惨状はなかったはずである。みんな立派な学歴や経歴を持ち、頭も良く、色んなことを知っている人達が大半なのに、何故政治は多くの誤りを繰り返してきたのでしょう?東大卒だけ集めても、相当数いるだろう。これは官僚も同じ。個人で見れば、賢く、立派な学歴で、普通の人々よりもはるかに優秀だ。なのに、何故か組織となると、多くの間違いを犯し続ける。

結論的には、こういう賢いと思われた連中が実は馬鹿で、愚行の先導を続けたから、ということになる。もっと愚かで騙しやすい国民を、間違った方向へと進ませ、後戻り出来ない借金地獄の袋小路に追い込んだようなものだ。その荷車の両輪は、政治家と官僚だったのだ、多分。国民は愚かにも、荷車から零れ落ちるごく僅かな砂糖に釣られて(これはわざとそういう仕組みにされていたのさ、まんまと政治家や官僚達の策略に引っ掛かったのだ、笑)、まるでアリのようにその後を律儀にも付いて来てしまったのだ。そんなことが長年続けられてきたんだろうと思う。変革の必要性に気付くのが、エラク遅かったんだろう。バブル崩壊で経済・産業界はある程度の整理がつけられのだが、政界にはそれが15年遅れてきたという訳だ。

今は、袋小路に突き当たって、戻ろうにも余りに狭い袋小路の為、荷車自体が邪魔になって前後回転が出来ず、もう前を向いたまま壁を突き破って進むしかない、というような状況だ。国民は後ろからどんどんやってきて、荷車付近にいる連中が必死に後ろに向かって「戻れー、前に来るなー、バックしろー、退けー」と叫んでも、「えー、よく聞えなーい。前に進めばいいんでしょ?」とか言いながら、何も考えずどんどん前に詰めてしまった。この集団も詰まりすぎて身動きとれず、戻れない。そんな状況が目に浮かぶようです。


構造改革は、その正当性や方法論も含めて色んな意見があると思うし、それが全員一致することなどないと思うが、途中で政権に軌道修正をさせられる可能性があるのは、国民側からの圧力しかないだろうと思う。だって、今後は政党のマニフェストに同意署名したり、一切反対しないということを約束させられる為、今回のマニフェストが実質的に決定事項となりますからだ。国民が選ぶ時だって、郵政民営化賛成ということに同意できても、憲法改正には同意出来ないとか、組み合わせが色々で、何も自民党議員を選んだからといって民営化賛成かつイラク派遣賛成かつ憲法改正賛成、ということに信認したことを意味する訳ではない。でも、誰かの名前、或いは何処かの政党名を書かねばならないのですから、仮に民主党議員と民主党と書いてあったとしても、年金改革と道路公団廃止には賛成できるが、郵政改革と東アジア構想・国連軍には反対、という場合だって有り得るということです。なので、たとえ選挙で勝利した政党があったとしても、それは国民の同意の「総取り」を意味するものではない、ということですね。その公約の決定過程で、国民は重要な議題については、一件ごとに明確な意思表示が必要となるはずです。それを伝えるのは、メディアの役割です。


自民党公募体験談(爆)~その3

2005年08月20日 13時51分52秒 | 俺のそれ
それから、志望動機とか、家族の話とかを聞かれたりして、10分程度話したでしょうか。政治の話や政策などについては何も聞かれませんでした。「では、以上でよろしいですか・・・」とS議員が他の議員達に確認して、特に質問がなかったので「はい、結構です」と、退室となりました。

その後、再びもと来た階段を上がって5階の部屋で待機するということになりました。「こちらでお待ち下さい」と言われて、少し広い会議室でただひたすら待つことになったのです。1人ぽつんと。

持ってきた本や、来る途中で買った「東洋経済」も読んでしまい、暇を持て余しておりましたが、何度か人が入ってきて、「もう暫くお待ち下さい」とか、「お茶をどうぞ」とか言われて、缶に入ったお茶を4本くらい飲みきってしまいました。だいたい面接が終わってから、2時間半くらい待っていました。その後に、「もう一度来て下さい」と党職員が呼びに来て、再び4階の応接室に呼ばれました。


入っていくと、安倍代理とS議員が残っていましたが、武部幹事長はいませんでした。何処かへ行ったんだろうなー、と思いました。
S議員が切り出しました。「率直に言って、どのくらい票が取れそうですか?」
私は、自分が生まれ育った地域ですし、それなりに友人達はいることなどを告げました。地域の知人関係は、ある程度期待できることも話しましたが、「会社経営をしている友人とかはいませんか」と聞かれると、これはさすがに「いる」とは言えませんでした。だって、大きい会社はいませんよ、さすがに。5人以下の小さい人ならいますけれども(笑)。有力な後援者の存在が多分重要なのでしょう。

「そうですか、わかりました。今夜調整などがあり結論が出せないので、今晩泊まることは出来ないでしょうか」とS議員に聞かれたので、「あー、えっええ」とやや歯切れが悪く答えてしまいました。でも、決定の重要な分かれ道だと考えて、思い切って「泊まっても大丈夫です」と言い、仕事のことが「まいったな」と思いましたが、その後に休みの手配をすればなんとかなるだろう・・・。まさか、こんな事態になるとは、と想定の範囲外でした(笑)。S議員は党職員に向かって「宿の手配してあげて」と言い、東京に泊まることになりました。


5階の元の会議室に戻って、また「こちらでお待ち下さい」と言われました。小一時間程してから、「これから食事の用意をしますので。ホテルは手配いたしました。ホテルには後ほどご案内します」と親切でした。
それから30分くらいすると、うな重と缶のお茶を運んでくれました。私の時間は、このうな重に置き換わってしまったんだな、と思いました。味は普通でした。東京であっても、うな重は驚くほど美味しいということもなく、私の地元で食べる評判の店の方が格段に美味しいと思いました。それに柳川に行った時に2度食べた、セイロの方がうまいと思う。これは、何も関係ないんですけれども。


食べ終えてからも、またひたすら待機となり、翌日の仕事を休む連絡などをしたり、妻に電話すると、「そんなに休んで大丈夫なの?」とか、何処に泊まるのかとか、ニュースには何にも出なかったわよ、とか、色々話して、武部さんや安倍さんとかに会ったことを告げると、「写真一緒に撮ってもらえば」などという冗談を言われたりしました。生まれて初めての有名人との対面でしたから、それは私のような田舎者にとっては、大変な出来事に違いありませんでした。


大体8時半くらいだったかな・・・会議室で待機を続けましたが、党職員の方がやってきて、「今日はもうホテルに戻られて結構です」ということになりまして、ホテルまで案内してもらいました。警官は(別な警官でしょうが)、昼夜立っているんですね。ご苦労なことです。マスコミ中継車も、まだいましたね。ずーっと張り付いてる記者達も、特にネタがなければひたすら待機してなけりゃならないから、飽きるだろうな、と思いました。きっと、ネタが何か出た時に大騒ぎするのは、こうした耐えて待つ時間が長いことの反動なんではないか、とも思いました。昨日の「ホリエモン出馬」みたいな、トップネタが出るのをひたすら待つんですから。まさに、いま時風に言えば、「キタ―――」といった感じになってしまいやすい心理状況なのでしょう(笑)。


自民党本部の裏手にある全国町村会館というホテルでした。名前からして、きっと陳情団が地方からやって来たら、きっとここに泊まって、党本部や議員会館回りをしたり、都道府県東京事務所などに向かったりするんだろうな、と思いました。そういうホテルなんだろうな、と(客はえらく少なく、客室稼働率はかなり低そう。でも、官業っぽい運営だろうから(笑)、不採算・非効率でもきっといいのだろうと思います。党関係者とか地方からの陳情団には大切なホテルということなのだろうと思います)。そりゃそうだな、一般人が党本部や国会議事堂近くに部屋をとっても、観光や遊びに行くとかには不便なだけだもんね。

そういう訳で、会館に泊まりました。「翌日電話します」という党職員の指示に従うことになりました。朝までに結論が出るということなんだなー、と思いました。ニュース番組を見ると、その日にはムネオさんとこの新党結成が大きく報じられていて、ナルホド、これを避けて発表日を遅らせたのか、と思いました。また、ホリエモン出馬が決まっていなくて、恐らく最後は小泉さんとホリエモンの直接対談で決するという段取りだったのでしょう。ショーの準備を官邸でシナリオ書いているから、そういうことになったんだろうと思いました。ただ、私が候補者として選ばれるのかどうかは全く別の話題で、これは個人の資質等によって揉めてるんだろうな、と思いました。競合候補がきっといるのだろう、と。嫌な夜を迎えることになりました。

部屋の中は結構暑くて、室温が29度前後で、寝るときに空調を止めないと鼻や喉が痛くなるので、スイッチを切ってベッドに入ったのですが、暑苦しくて目が覚めました。室温は30度以上になっていました。でも、水を飲んで、我慢して寝ました。


翌朝(金曜日ですね)ホテルで指示あるまで待機して、党職員から10時半に昨日と同じ場所に来るように、との連絡を受けました。いよいよ結果が判るのかな、と思いました。党本部にいくと、門の入り口付近に党職員が待っていて、警備員に説明していたら迎えに来てくれました。昨日の5階の会議室で待つことになりました。

この日は待ち時間が結構短くて、20分かその位待っていたら、面接したS議員とK議員が入って来ました。早速要件が伝えられました。
「調整の結果、今回は見送らせてもらうということになりましたので」
「はい、判りました」
「折角遠くから来てもらったのですけれども・・・」
「いいえ、・・・」

あとは何某か少しお話して(議員さんですから、宣伝を忘れません)
「自民党の為に、ご協力宜しくお願いしますね」
「これから別な選挙でお願いすることもあるかもしれませんので、その時はどうぞ宜しくお願いしますね」

とか言われて、退室することになりました。党職員に案内されて、エレベーターに乗り込みました。
「どうも、お世話になりました。有難うございました」
言葉を残して、ドアが閉まりました。

党本部を出ると、テレビ中継車が既に待機しており、昨日と同じように暑い中を耐えているんだろうな、と思いました。また、出口を映すカメラが一台設置されていて、出入りする人間に注意しているんだな、と思いました。きっと、大きな発表がある、という事前情報があったのでしょう。

地下鉄駅に向かいながら、自分の挑戦が終わったな、と思いました。よくこんな所まで来れたけれど、残念でもありました。きっと自分には、議員には向かない何かの要因があったのだろう、とも思いました。カメラ映り?(笑)話し方?どういったことが決定的な要件であったかは判りません。ですが、こんなことなら、仕事を休んでまで残るべきではなかった、とも思いました。時計は11時過ぎ頃だったと思います。初めから、選ばれること自体が奇跡的なのですから、まあ、国会議事堂も自民党本部も総裁応接室も見ることが出来たし、武部さんや安倍さんにも会えたし、人生に二度とない体験が出来たのですから、こういうものかな・・・とか、思いました。自分の実力不足でしょう。


何故か一刻も早くその場を立ち去りたい心境に駆られました。それは、落選とは非常に恥ずかしい、という思いだったからなのか、非常に暑い環境から逃れたいという体の要求だったからなのか、よく判りません。きっと選挙に敗れた議員の心境も、こういうものなのだろうか、とも思いましたが、私はこれといって死に物狂いで頑張ったとか努力した訳でもありませんので、落選議員よりも落胆は少ないのかもしれません。


結果を聞いた後に、議員さん達が「次の機会に~」というのは、単なる決まり文句か「カラ手形」に過ぎないのだろうと思いました。次の機会なんて、果たしてやってくるのかと思えば、それは、きっと無理な話かなと思いました。


帰りの移動途中でホリエモン出馬のニュースを知りました。ああ、午前中まで自分がいた、あの党本部で大混乱だったんだ、と思うと、何だか可笑しくなりました。それから、残りの公認も発表されたということでした。これは、家に帰ってから知りました。



今朝の新聞発表を見ると、ひょっとすると私が選ばれたかもしれない選挙区に公認が出ていました。何だか釈然としない気分でした。私の実力不足なんだから仕方がないのですけれども。たとえ私を選んだとしても、何の話題にもなりませんし(笑)。でも、最後の最後で競合に負けたこと自体が非常に悔しい。それと、なぜ夜に引き止めたのだ?とも思いました。だったら、早くに結論を出してくれればよかったのに・・・どちらにしても、ホリエモン騒動でニュースは埋められたでしょうけれども。

という訳で、残念な結果(日本にとっては、その方が良かったんだよ、ボケ、という当然の非難も聞こえてきそうですが、笑)に終わったのですが、政治の現場を垣間見れただけでも良かったのかな、と思います。何たって、あの「総裁応接室」は、恐らく今までにも度々戦場の作戦司令部みたいな混乱した状態になることも多くあったことでしょう。額縁の中でじっと見つめる歴代総裁達も、様々な政治ドラマ、人間模様、闘争劇などを目の当たりにしてきたことでしょう。こうして、日本が動いていくんだな、と実感したような気がしました。


政治は難しいです。自分ではどうにも出来ない。どうなれば、何処が変えられるのか、何が出来るようになるのか、現実的な取り得る手段はどうでしょうか。それと、今回の選挙については、もう少し考えてみたいと思います。何たって、ホリエモン出馬ですからね。



自民党公募体験談(爆)~その2

2005年08月20日 01時53分54秒 | 俺のそれ
時間が近づいたので、いよいよ自民党本部に入っていくことにしました。門の前には警官と警備員がそれぞれ別に立っていて、行き先を尋ねられました。「今日、4時に来るように言われまして」「何処ですか?」と聞かれたりして、「公募で来ました」とか色々答えると、一階の受付に行くように言われました。中に入ると、テレビで時々見ることの出来るエレベーターホールがあって、そこから5階へ行くように言われました。上がると、人気のないガランとした感じの所でした。とりあえず、誰か人を見つけて何処に行けばよいのか聞いてみようと思いました。通りかかった人に声をかけようとしましたが、ダッシュで何処かへ行ってしまいました(その方は、後で判ったのですが議員さんでした)。次に廊下に現れたのは年配の女性の方で、時間まで待機する部屋に、とかそういうことを言われまして、案内された部屋で待つことになりました。そこは、実行本部長室(だったかな、そういうような名前だったと思います)で、割と広い小奇麗な部屋でした。大きな窓からは国会議事堂のてっぺんが見えました。ここに陣取る議員さんは誰なんだろう?などと思いながら、ひたすら待ちました。


途中で、飲み物を持って来てくれました。小さな缶のお茶で、すぐさま一本を飲んでしまいました。持ってきていた本をカバンから取り出して、読んでまっていました。党の職員の方が交通費です、とか、予定などについて簡単な説明をしに入ってきたりしましたが、待っている時間は非常に長く感じました。きっと、面接の議員さん達が忙しくて、時間が取れないからなのかな、とか思いました。事前に面接する議員の方々のお名前は伺っておりました。武部幹事長、安倍幹事長代理、二階議員、S参議員、K参議員の5名ということでした。テレビでしか観ることのない、武部・安倍両議員という有名人に会えるということで非常に嬉しく思っておりました。


その一方では、結構緊張していて、人生の中で最も緊張したと言えます。読んでいる本の中身が頭に入ってこないような感じでした。


40分くらい待ったでしょうか。党職員の方が呼びに来られて、「それでは、行きます。こちらへどうぞ」と言って、後について廊下を進み、階段を降りて行きました。いよいよ面接会場へと向かいました。「マスコミが待っていて、見つかりますから、裏から入ります」と職員の方が話しておりました。階段を降りた先には、多分SPの方と思われる耳にイヤホンのようなものをした男性が、部屋への入り口の前に立っていました8これを書くと、防犯上というか、警備上の問題がありそうで、ちょっと気が引けるのですが)。赤い絨毯が敷かれた階でした。ちらっと部屋の入り口の上にかかっている札を読むと、「総裁応接室」(だったと思いますが、ひょっとして間違いかも)となっていました。ドアが開けられて、内部の様子がとちょっとだけ見えました。歴代総裁の写真入りの額がずらっと並んでいて、大きな机が置いてあり、その机の前には更に高さの低い大きなテーブルがあって、そこには、面接をする議員さんが並んで座っておりました。幹事長や安倍幹事長代理も座っておりました。党職員の方が「では、入ります」と言って、内部に入るよう促されました。


私が座るイスが一つあって、テーブルの反対側には中央に武部幹事長、向かって右側に安倍幹事長代理、そのさらに右にS議員、武部さんの左隣は空席で、その左側にはK議員が座っておりました。因みに、その時にはK議員の名前は思い浮かびませんでした。でも、最初に5階の廊下ですれ違った人でした。そうか、議員さんだったのか、と思いました。

「失礼致します」とか言って、入りました。幹事長や安倍議員が「こんにちは」と声をかけてくれました。「こんにちは」と答え、イスに座るように言われました。で、座ると、S議員が「では、座ったままで結構ですので、自己紹介をお願いします」と言われました。簡単に自己紹介をしました。すると、武部幹事長が「この選挙区は非常に厳しいよ。落ちても何回も挑戦できる?」と聞かれ、「はい」と答えました。


武部幹事長は、勿論初めてお会いしたのですが、顔が大きく、エネルギッシュな感じで迫力はありました。「政治家」って感じで、気圧される感じがありました。安倍代理は幹事長の隣に座っていると、かなりスマートな感じで、顔の大きさが倍ほども(安倍代理の名前の駄洒落ではなく)違う印象でした。