政治には、人々を幸せにする責任があると思う。そういう心積もりがなければ、昔のような一部の利益優先のオカシナ政治だけが続けられる。それを排除するのは、誰かがその異常さを見つけ出し、警告を発することであり、それに対して国民の審判を与えることである。また、多くの研究者達や学界の知恵のある人々が沢山いるのですから、実社会にそうした成果を活かせるように常に考えて欲しい。政府の委員とか審議会の委員とか、そういった所だけではなく他の専門家だってごまんといる訳で(例えば経済学者ですね、笑)、理論的に正しいかどうかをいつも考えて欲しいと思う。そうした叡智を集めなければ、いい解決方法なんて思い浮かばない。それに御用学者が都合のいい答えを用意していても、それを一般国民が看破するのは容易ではないですし。
農業だって、離農者が多くなっているし、かつての名人達の知識も経験も受け継がれないまま、それが廃れてしまうならば、非常に残念です。自民も民主も、農業についてのマニフェストが出ていますが、昔のような立派な農道や用水路をバカ高い金額で作ったりするのではなくて、もっと人々が幸せになれるような政策を考えていったらどうでしょうか。
私が農家の人だったら、精魂込めて農作物を生産して、それが豊作の為に値崩れしてしまい、出荷出来ない、などという事態が一番悲しいと思う。キャベツやレタスだって、畑のままブルドーザーで全部潰したりするのって、どんな気持ちか考えると胸が痛くなる。画廊に出品する為に一生懸命描いた絵が、「既に置くスペースが埋まってしまったので、悪いけど」と言われて、キャンバスをズタズタに裂かれ絵の価値を全て失うとしたら、私は次の絵を描くことを恐れるし、意欲も失うかもしれない。でも、農家の人達は耐えて、次の年もまた作物を作る。これは本当に大変なことなんです。これは無駄だからとか、経済原理がどうだの、価格調整がどうだの、とかいう生易しいものではないと思っています。
こういう現実があるのならば、世界には多くの貧しく飢餓で死んでいく人々がいるのですから、ただ基盤整備などといいながらも企業利益とか現地役人の不正とかにODAの金を流し込んだりせずに、工夫をすればよいではないですか。そのための科学であり、もの作り日本の技術じゃないですか。
仮にキャベツが出来すぎたら、価格調整の為に一定量の一括買い上げ(当然市場価格よりも安い値段であるが、全損よりはいい)にして、災害時緊急用食糧とか飢餓状態の国への援助とすればいいのではないかと思う。ナマ野菜はそのままでは保存できないのでしょうから、フリーズドライみたいな形で粉末状にするとか(インスタント味噌汁みたいな具の形のある状態にしてもいいけれど、コスト高になるかも)、そういう状態にするなら野菜スープの代わりになるのでは?貧乏な国は、小麦粉を水に溶かして飲む程度のところもあるのですから、野菜粉末のスープだって十分なごちそうです。大切な栄養源ではないですか。他の野菜とか、魚とかも工夫すれば、いくらでも粉末状やソーセージみたいな練り物状とか、出来るはずです。味なんか気にしないですから。向こうは生きるか死ぬかなんですから。そういう努力や工夫することなんて、多分難しくはないはずです。日本のインスタント食品の加工技術は優れているし、コンパクトにまとめることも、調理器具とかがない地域でも食べられるようにすることは、必ず出来るはずです。さんまが取れすぎたり、レタスや玉ねぎが豊作だったら、それらを全て使えるような方法を考えるべきです。
こういうのをやれば、農家や漁師さん達は、「取れすぎて棄てる」ということから開放されます。仕事の労力が全くの無駄になってしまうことを防げます。それに、加工する食品工場なども必要になる、運搬する物流の仕事も増える、海外へ輸送する船の仕事も増やせる、援助を受けた国には食糧がもたらされる、というふうに、皆が喜ぶじゃないですか。買い上げ費用は税金が必要ですが、従来変な農水補助金とかに回していた分と、ODA予算からとで賄える額とすればいいんですよ。食品工場にしたって、稼働率が保てる方向になるのですから、他の製品よりも安い金額で請け負ったとしても、大きく文句を言わないだろうと思う。採算割れとかになったりしなければ、きっと協力してくれるはずですよ。食糧を捨てるより、はるかにいいと思う。こういう政策こそ、内需拡大に繋がるし、多くの人に喜ばれるし、雇用も増やせる事業なのではないかな、と思う。輸送費用がそれでもかなり高くついてしまい、金を直接あげた方がいいと言われるのかな。でも、金を渡しても貧困国は食糧を買うところもないのではないかな。現物の食べられるものの形であげた方がいいと思うが。
また、企業は通常インセンティブが働けば、そういう風に努力してきます。なので、そういう企業努力を促進させる方向性をいくつか考えてみます。コンビニでは弁当やサンドイッチなど、時間切れになるとすぐさま捨てる部分が出てきます。破棄されるということは、過剰に生産し無駄が多く、ゴミを増やします。つまり環境にとっては悪い訳ですから、これに罰則的税を課すルールを作ります。また例で考えてみましょう。
仮に、あるコンビニ会社での年間破棄トン数が100トンとしましょう。「50トンを超えたらトン当たり1万円の税を課す」というルールをまずつくります。このままであれば、税が50万円ですね。そして、次に削減ボーナスとして、一定範囲の地域内食糧品(野菜や魚、その他食材等)で調達している場合には、域内調達量の半分のトン数を先の破棄トン数から引くことが出来る、というルールを与えます。すると、レタスやさんまやそば粉などを域内で60トン調達してるならば、オーバー分50トンから30トンを引いて20トンに対して税が課せられます。つまり先の50万円より安い20万円となります。この時に、税を払う方が企業にとって得であれば(域内調達価格がそれをはるかに超える不利な場合)50万円払いますが、域内調達で税を小さくしておけば有利となるなら、きっと税を逃れようと域内調達をある一定額まで買うことになります。こうして、①破棄されるゴミの量が減らせる、②地域の農水産品の消費が促進される、という効果が得られます。税収は増えるかどうかは判りませんが、こういうルールを作ることによって、わざわざ農業補助金を増額したりしなくとも、企業努力によって一定額までの買入促進が行われます。地域内に農水産品があまりないような(魚はあるね、多分)、例えば東京のような大都市は不利かもしれませんが、これはある意味地域コストということで環境に悪い地域としてそのコストを税として払って頂き、そうでない地域にそれを再配分するということになりますかね。
例示したのが、なぜ弁当やサンドイッチなどかというと、破棄すればパッケージなどにかかったエネルギーが無駄でかつ製造過程でCO2の排出量が多分増えているからです(環境にはマイナス)。ゴミ増加によっても処理コストが増加します。また、域内農水産品を削減ボーナスとするのは、材料となる食材を遠くから運搬してくるよりもトラックのガソリン消費や排出されるCO2が減らせるからです(環境にプラス)。ということで、マイナス面とプラス面の相殺をしながら、ある一定の税を賦課して、企業努力によって国内農水産品の消費拡大を図ってもらおうとするものです。このような方法ならば、海外製品を排除するような関税をかける必要もなく、国内産業保護的な公的資金投入も必要ないので、影響が少ないと思えるからです。上の数字はあくまで仮定ですから、本格的に導入を考慮するならば、こういう専門家達によく検討してもらって、環境にもよく、かつ国内農家や漁業の人々が人件費の安い海外品ともある程度競合可能な状態を考えてくべきです。
同じように輸入量が多い、規模の大きな外食産業やスーパー業界などにも食品破棄トン数に併せて処理コストの一部を税として課して、削減ボーナスとして国産品割合が多ければ破棄トン数から一部控除する形にしても、似たような効果が期待できます。中国産野菜ばかりとか輸入牛ばかりではなくて、国内産品を使うと一定の課税負担軽減となるならば、多分そういう方向へと進むだろうと思います。個人に課税することばかり考えるのではなく、皆が課税を逃れてしまい税収が全く入ってこないとしても、環境や国内一次産業へのプラス効果の方がはるかに期待できるのですから、このような課税強化=企業努力・インセンティブ期待型(そんな言葉が経営学的にあるのかどうか知りませんけれども、思いつかないので)も考えていくべきと思います。
「規制緩和」の意義については、官業として非効率に行われる部分は当然改められる必要がありますし、民間へ移行させるのは当然ですけれども、こうした「ルールを作る」ことは規制強化ですから、時代的には逆行していると思われるかもしれません。しかし、国のお金を沢山使わずとも、ルール制定で内需拡大が促進されることは、経済的にも政策的にも、必要だと思います。こういう工夫が、行政府には足りないし、経済産業界からも知恵を(金も・・・?)出さない。出来るだけ多くの人達が良い知恵を出し合って、皆ができるだけ暮らしやすくなるように努力するべきです。
カリスマ菓子作り元官僚今議員夫人とかを候補者に立てて、「食育を是非やってもらいたい」と小泉さんが言えば、「料理と政治は全く一緒。お茶でも飲みながら・・・」だと。こういう人が人々を救ってくれるのか?果たして子供達が食べ物を大切にしたりするように出来るのか?料理が得意な食に一家言ある人なら、農家や漁師を救ってくれるのか?
はっきり言って「お茶でも飲みながら」なんて状況じゃない人達から見れば、反吐が出る気分だろうな。でも、仕方がない、カリスマ主婦なんだそうだから。人気ある人には、敵わないんだから。かなりひがみが入ってきたな、最近(笑)。
私の方が、きっと色んなアイディアがあるんじゃないかと確信している。これってやっぱり自己満足に過ぎないんだよなー。現実世界で結果を出さないと。
農業だって、離農者が多くなっているし、かつての名人達の知識も経験も受け継がれないまま、それが廃れてしまうならば、非常に残念です。自民も民主も、農業についてのマニフェストが出ていますが、昔のような立派な農道や用水路をバカ高い金額で作ったりするのではなくて、もっと人々が幸せになれるような政策を考えていったらどうでしょうか。
私が農家の人だったら、精魂込めて農作物を生産して、それが豊作の為に値崩れしてしまい、出荷出来ない、などという事態が一番悲しいと思う。キャベツやレタスだって、畑のままブルドーザーで全部潰したりするのって、どんな気持ちか考えると胸が痛くなる。画廊に出品する為に一生懸命描いた絵が、「既に置くスペースが埋まってしまったので、悪いけど」と言われて、キャンバスをズタズタに裂かれ絵の価値を全て失うとしたら、私は次の絵を描くことを恐れるし、意欲も失うかもしれない。でも、農家の人達は耐えて、次の年もまた作物を作る。これは本当に大変なことなんです。これは無駄だからとか、経済原理がどうだの、価格調整がどうだの、とかいう生易しいものではないと思っています。
こういう現実があるのならば、世界には多くの貧しく飢餓で死んでいく人々がいるのですから、ただ基盤整備などといいながらも企業利益とか現地役人の不正とかにODAの金を流し込んだりせずに、工夫をすればよいではないですか。そのための科学であり、もの作り日本の技術じゃないですか。
仮にキャベツが出来すぎたら、価格調整の為に一定量の一括買い上げ(当然市場価格よりも安い値段であるが、全損よりはいい)にして、災害時緊急用食糧とか飢餓状態の国への援助とすればいいのではないかと思う。ナマ野菜はそのままでは保存できないのでしょうから、フリーズドライみたいな形で粉末状にするとか(インスタント味噌汁みたいな具の形のある状態にしてもいいけれど、コスト高になるかも)、そういう状態にするなら野菜スープの代わりになるのでは?貧乏な国は、小麦粉を水に溶かして飲む程度のところもあるのですから、野菜粉末のスープだって十分なごちそうです。大切な栄養源ではないですか。他の野菜とか、魚とかも工夫すれば、いくらでも粉末状やソーセージみたいな練り物状とか、出来るはずです。味なんか気にしないですから。向こうは生きるか死ぬかなんですから。そういう努力や工夫することなんて、多分難しくはないはずです。日本のインスタント食品の加工技術は優れているし、コンパクトにまとめることも、調理器具とかがない地域でも食べられるようにすることは、必ず出来るはずです。さんまが取れすぎたり、レタスや玉ねぎが豊作だったら、それらを全て使えるような方法を考えるべきです。
こういうのをやれば、農家や漁師さん達は、「取れすぎて棄てる」ということから開放されます。仕事の労力が全くの無駄になってしまうことを防げます。それに、加工する食品工場なども必要になる、運搬する物流の仕事も増える、海外へ輸送する船の仕事も増やせる、援助を受けた国には食糧がもたらされる、というふうに、皆が喜ぶじゃないですか。買い上げ費用は税金が必要ですが、従来変な農水補助金とかに回していた分と、ODA予算からとで賄える額とすればいいんですよ。食品工場にしたって、稼働率が保てる方向になるのですから、他の製品よりも安い金額で請け負ったとしても、大きく文句を言わないだろうと思う。採算割れとかになったりしなければ、きっと協力してくれるはずですよ。食糧を捨てるより、はるかにいいと思う。こういう政策こそ、内需拡大に繋がるし、多くの人に喜ばれるし、雇用も増やせる事業なのではないかな、と思う。輸送費用がそれでもかなり高くついてしまい、金を直接あげた方がいいと言われるのかな。でも、金を渡しても貧困国は食糧を買うところもないのではないかな。現物の食べられるものの形であげた方がいいと思うが。
また、企業は通常インセンティブが働けば、そういう風に努力してきます。なので、そういう企業努力を促進させる方向性をいくつか考えてみます。コンビニでは弁当やサンドイッチなど、時間切れになるとすぐさま捨てる部分が出てきます。破棄されるということは、過剰に生産し無駄が多く、ゴミを増やします。つまり環境にとっては悪い訳ですから、これに罰則的税を課すルールを作ります。また例で考えてみましょう。
仮に、あるコンビニ会社での年間破棄トン数が100トンとしましょう。「50トンを超えたらトン当たり1万円の税を課す」というルールをまずつくります。このままであれば、税が50万円ですね。そして、次に削減ボーナスとして、一定範囲の地域内食糧品(野菜や魚、その他食材等)で調達している場合には、域内調達量の半分のトン数を先の破棄トン数から引くことが出来る、というルールを与えます。すると、レタスやさんまやそば粉などを域内で60トン調達してるならば、オーバー分50トンから30トンを引いて20トンに対して税が課せられます。つまり先の50万円より安い20万円となります。この時に、税を払う方が企業にとって得であれば(域内調達価格がそれをはるかに超える不利な場合)50万円払いますが、域内調達で税を小さくしておけば有利となるなら、きっと税を逃れようと域内調達をある一定額まで買うことになります。こうして、①破棄されるゴミの量が減らせる、②地域の農水産品の消費が促進される、という効果が得られます。税収は増えるかどうかは判りませんが、こういうルールを作ることによって、わざわざ農業補助金を増額したりしなくとも、企業努力によって一定額までの買入促進が行われます。地域内に農水産品があまりないような(魚はあるね、多分)、例えば東京のような大都市は不利かもしれませんが、これはある意味地域コストということで環境に悪い地域としてそのコストを税として払って頂き、そうでない地域にそれを再配分するということになりますかね。
例示したのが、なぜ弁当やサンドイッチなどかというと、破棄すればパッケージなどにかかったエネルギーが無駄でかつ製造過程でCO2の排出量が多分増えているからです(環境にはマイナス)。ゴミ増加によっても処理コストが増加します。また、域内農水産品を削減ボーナスとするのは、材料となる食材を遠くから運搬してくるよりもトラックのガソリン消費や排出されるCO2が減らせるからです(環境にプラス)。ということで、マイナス面とプラス面の相殺をしながら、ある一定の税を賦課して、企業努力によって国内農水産品の消費拡大を図ってもらおうとするものです。このような方法ならば、海外製品を排除するような関税をかける必要もなく、国内産業保護的な公的資金投入も必要ないので、影響が少ないと思えるからです。上の数字はあくまで仮定ですから、本格的に導入を考慮するならば、こういう専門家達によく検討してもらって、環境にもよく、かつ国内農家や漁業の人々が人件費の安い海外品ともある程度競合可能な状態を考えてくべきです。
同じように輸入量が多い、規模の大きな外食産業やスーパー業界などにも食品破棄トン数に併せて処理コストの一部を税として課して、削減ボーナスとして国産品割合が多ければ破棄トン数から一部控除する形にしても、似たような効果が期待できます。中国産野菜ばかりとか輸入牛ばかりではなくて、国内産品を使うと一定の課税負担軽減となるならば、多分そういう方向へと進むだろうと思います。個人に課税することばかり考えるのではなく、皆が課税を逃れてしまい税収が全く入ってこないとしても、環境や国内一次産業へのプラス効果の方がはるかに期待できるのですから、このような課税強化=企業努力・インセンティブ期待型(そんな言葉が経営学的にあるのかどうか知りませんけれども、思いつかないので)も考えていくべきと思います。
「規制緩和」の意義については、官業として非効率に行われる部分は当然改められる必要がありますし、民間へ移行させるのは当然ですけれども、こうした「ルールを作る」ことは規制強化ですから、時代的には逆行していると思われるかもしれません。しかし、国のお金を沢山使わずとも、ルール制定で内需拡大が促進されることは、経済的にも政策的にも、必要だと思います。こういう工夫が、行政府には足りないし、経済産業界からも知恵を(金も・・・?)出さない。出来るだけ多くの人達が良い知恵を出し合って、皆ができるだけ暮らしやすくなるように努力するべきです。
カリスマ菓子作り元官僚今議員夫人とかを候補者に立てて、「食育を是非やってもらいたい」と小泉さんが言えば、「料理と政治は全く一緒。お茶でも飲みながら・・・」だと。こういう人が人々を救ってくれるのか?果たして子供達が食べ物を大切にしたりするように出来るのか?料理が得意な食に一家言ある人なら、農家や漁師を救ってくれるのか?
はっきり言って「お茶でも飲みながら」なんて状況じゃない人達から見れば、反吐が出る気分だろうな。でも、仕方がない、カリスマ主婦なんだそうだから。人気ある人には、敵わないんだから。かなりひがみが入ってきたな、最近(笑)。
私の方が、きっと色んなアイディアがあるんじゃないかと確信している。これってやっぱり自己満足に過ぎないんだよなー。現実世界で結果を出さないと。