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「人間力」論争問題・笑

2006年02月05日 18時29分32秒 | 社会全般
私もついに釣られてしまい、『諸君!』3月号を購入してしまいました。前の『論座』や『中央公論』同様に、不必要な寄附行為をしてしまったようなものです(笑)。一応「ニート85万人の大嘘」の中身を確かめてみようと思ったからです。読んでいくと、ナルホドと思う部分もありましたが、?な部分もありました。なので、記事を書いてみようと思います。


まず、「人間力」問題の聖書(笑)としては経済財政諮問会議の日本21世紀ビジョンであります。この中で語られているのが、「人間力」でして、私は昨年の早い時期から「人間力」支持派であると申して参りました。それは現実感としては、そういう若者に出会うからですね。これは経験によるものですので、学問上ではどういう理解であるか、というのは正確には判りませんでした。しかし、自分の実感としては、まさにピッタリ、と思いましたね。

で、この「人間力」の聖典を定めたメンバーですけれども、これが「反ニート派」(及び「人間力」否定派?)の学者達からは「ニート派」の”悪の枢軸”の如き反目を集めるメンバーということになります(笑)。

参考:ニート再燃


戻ってきたので、追加しました。


経団連~共同提言


まずこの提言が03年5月に出され、若年雇用、特に「フリーター問題」としての意識が明確になっており、これ以前から所謂「フリーター問題」の検討を積み上げてきたのだと思います。これは『諸君!』でも本田先生が説明されています。で、この少し後には経済財政諮問会議での議題として提起されています。


若者・自立挑戦プラン

これを見ると、現在の「ニート対策」と基本的に”同じ”であるのです。すなわち、「ニート」の存在を世間的にクローズアップしたからと言って、行政施策の基本的方針を大幅に変更できたということでもないのです。これが第一点。


これ以前の主な研究では、玄田先生の言説にフォーカスされる以前から、『諸君』にも書かれているように小杉礼子研究員の研究がなされてきました。ひょっとすると労働族の策動なども関連していたのかもしれませんが、若年層の雇用問題についていくつか施策があったのです。現在の「ジョブカフェ」というのが非難の対象とされたりすることもありますが、その基本的存在は既に前からあったことになります。


日本におけるNEET問題の所在と対応

聞き取り調査の対象として公的機関がいくつか選ばれていますが、例えば「大阪学生職業センター」「大阪ユースハローワーク・ヤングサポートプラザ」「ヤングハローワーク・しぶやしごと館」「六本木ジョブパーク」等々ですね。これらはニートの問題が浮上したからといって、設置されたものではないですね。まあ、似たような「しごと館」が非効率な運営で前に非難の対象になっていて(私も非難したしね。特別会計は抜本改革せよ)、確かに「金食い虫」的存在であるのかもしれません。これは厚生労働省の労働一派の陰謀的組織なのだと主張する人々もおられるかもしれませんが。こうした勢力を拡大することには問題が有り得ると思いますが、全くの存在価値がない、というものではないと思います。


また、他の色々な調査結果などをまとめたのが次の白書です。調査に関わる受注などで民間調査機関や省庁関連の特殊法人に無駄金が流されたという主張をされるかもしれませんが、こうした調査にはある程度意味があると思います。これも「若年雇用問題をエサにした労働族のタカリ」と非難されるのかもしれません(玄田有史『14歳からの仕事道』(理論社)+ニート論の弊害(再録))けれども(笑、ちょっとリンクが適切ではないかも)。


国民生活白書


この白書の中では、フリーターの意識の問題が取り上げられていて、特にこうした部分だけが強調されて世間に伝わった可能性はあると思いますね。例えば、見出しで言うと、「若年の職業意識や能力は低くなっている」とかって。その理由として「フリーターという立場の若者が増加しているからだ」とか。そういう感じでメディアは伝えやすいと思う(結構前なので実際にはどうだったか思い出せません)。これも原文を読めば、文脈的には違う理解になるのですが、そういう一部分だけをピックアップして誤解を与える報道は、今に始まったことではないと多くの人が知っていることでしょう(笑)。


このように行政側の問題意識はここ数年、特に変わってきた訳でもなさそうなんじゃないのかな、と。ジョブカフェの意味も、現実に活動を数年間続けてきて、その結果で若年層に情報提供などが出来た方がよく、「ワンストップサービス」という民間金融機関のような知恵を使おうと思ったのだろう(?)。これはニートに特化した行政サービスを意識していたのではなくて、それ以前から考えられていたものを、ニートにも適用していくこととしたのであろう。


他の民間機関やNPOなども現実に長い間活動を続けてきていて、そこへの特別の支援というのは部分的に必要となるかもしれないが、特に「ニート産業の貪り」ということがここにきて浮上した訳でもないのではないか、と思える。やはり個別の支援というものが必要になる面があるので、そこに施策はやりましょう、ということだと思う。


「カウンセラー」への誤解というもののあると思う。元々「カウンセラー」は相談員とか指導員といった意味合いであって、先に挙げた公的機関でのカウンセラーの活動実態などを勘案した上で、配置を考えたものだと思います。これもニート問題が喧しくなった後から浮上したのではなくて、既に配置されていたものです。

「カウンセラー」という言葉を聞いて一般にすぐ思い浮かぶのが、「心理的な問題」を解決するという「心理カウンセラー」「臨床カウンセラー」(本当にこういう呼び名なのか不明ですが、よく事件や災害後などにそういうカウンセリングをするような人たち)というような、ある種の病的状態を治療したりするイメージがあるのだと思います。しかし、学校や職業的な面でのカウンセリングというのは、それこそ「履歴書の書き方」程度から始まって、「面接の受け方」「受け答えの仕方」「挨拶の仕方」などという疑問やら、就職活動の個人的な悩みみたいな部分もあるかもしれないけど、そういうモロモロのことを聞いて助言したり出来る人が必要だろう、ということです。

なので、「カウンセリングが必要」という部分だけが非難の対象とされるのは、フェアではない面があると思いますね。若田部先生が『諸君』で仰ってるような
『「ニート」へのカウンセラーが必要だとか言い出すようになってしまい、下手な公的介入が起こってくると、思わぬ副作用を生みかねない』
という誤解に基づくと思われる非難に短絡的に結びついているのではないか、と思います。むしろ差別的な考えに陥っているのは、若田部先生なんじゃないのかな、と思ったりします(笑)。だって、ごく普通に「カウンセリング」は誰にでも必要なことなのであって、「カウンセリング」を受ける人=「精神的な病気」の人というような差別が背後には潜んでいそうな気がするのですね。


問題の「人間力」が記述された21世紀ビジョンのワーキンググループのメンバーをもう一度見てみましょう(笑)。

生活・地域ワーキング・グループ報告書


主査は八代日本経済研究センター理事長、副主査には玄田先生と宮崎哲弥氏ですので、主だったこの3人が「人間力・悪の枢軸」ということになりますでしょうか(笑)。他には、おなじみの小杉礼子研究員とか山田昌弘先生、意外にも村尾信尚先生とかも実は入っていたりするんですね。人間力という言葉については、この報告書の中で述べられているので、もう一度実際にお読みになって頂きたいのですが、実は本田先生の仰っているような内容もしっかり書かれていたりしますね。「反人間力連合」の方々たちの先入観というか、誤解に基づく非難があるのでは、と思いますね。「日本版デュアル・システム」導入も入ってますよ、本田先生。


部分的にピックアップすると、次のように書かれていますね。


『自己責任能力を養成する観点から、教育システムにおいて、故人の基礎的な能力形成とともに、学力・職業能力、更に倫理・教養といった人間関係を形成する力など、「人間力」の向上を目指す。』

『学力や職業能力といった「社会を構成し運営するとともに、自立した1人の人間として強く生きていくための総合的な力」に加えて、倫理とか教養といった人間として備えるべき「心」を含めた「人間力」の向上が必要である。』

『義務教育の根幹は、(中略)~セーフティ・ネットであることから、基本的な知識や技能の獲得に加えて、自分で課題を見付けて学び問題解決していく力や、コミュニケーション能力、倫理、教養といった人間関係を形成する力などを培う「人間力の向上」に重点を置く。』


つまりは、こういう総合的な能力形成を目指そう、ということであり、何かの一つだけの指標で量れたり表現可能なものではないということですね。こういうのは「必要ない」とか「余計なお世話だから、放っておいてくれ」ということであれば、学校教育の根本的な考え方を変えていくということが必要なのではないか、と思いますね。単なるいい加減なアドバルーンというか、国民に思想を強要するようなスローガンとかっていう意味ではないことくらい、報告書を読めば十分理解出来るはずだろうと思いますね。


そういう訳で、どちらにも批判はあると思いますが、「反ニート」「反人間力」連合の方々にも、ちょっとはご理解を頂いて、行き過ぎた方向に―「ニート」の語感が既に差別的用語になってしまったように―行かないようにすることも必要なのではないのかな、と。