いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

物価と財政規律(追加後)

2006年02月16日 21時49分13秒 | 経済関連
物価については所謂教科書的なお話の連続になっているので、ちょっとツマラナイ話題だろうと思います。自分の為に書いている部分が多かったりして、多くの皆様にとっては不評であろうと思いますね。でも、もうちょっと物価について書いてみたいと思います。


昨年のいつだったか、福井総裁が「財政規律」ということを厳しく指摘していたことがあって、これはチラッと記事に書きました(経済学は難しい8)。で、日銀の政策が「効果的でなくなる」理由というものには、非常に弛緩した「財政規律」がありました。これはどういうことなのか?しかも物価という部分では、国の台所事情というものがどれ位関係しているのか?この辺りについて書いてみたいと思いますね。


まず以前記事に書いたように、貨幣という側面から見ると、貨幣需要=名目貨幣供給量/物価水準でした。物価自体は貨幣の受給バランスに影響される、ということですね。

貨幣と債券(国債)は表裏一体的なものと考えられており、国債を用いた各種オペが日銀によって行われています。国債は長期金利の指標でもありますね。ですので、非常に重要な意味があります。


財政規律というのは、国債発行が今のような状態となるまで増大してしまう、ということも関連があります。よく言われるのは、バブル崩壊後に「財政規律」が緩み、景気対策との理由を付けられたりして、無軌道な財政支出を行ってたということです。これは郵政問題の検討の中でも記事に書いたりしました。当時は問題があると判っていても、結果的には財政支出をしてしまった訳ですね。


通常は財政破綻危機のような大問題が発生すると、通貨暴落などの経済的混乱が起こってしまうのです。ロシア通貨危機とか、東南アジア通貨危機などはそういう面がありますね。昔の例では、「ポアンカレの奇跡」というものがあった。これらに共通するのは、大体が「財政赤字」(規律の緩み)というものがあって、それに対して通貨が安くなっていき(円であれば円安となってしまうということ)、「これはいかん」と慌てて財政規律を厳しくして財政赤字を減らそうと努力する、ということになるのですね。こういうのが起こりがち、のようです。


日本での状況はどうであったか、というと、97年ショックの後にはLTCM破綻などがあったりして、円安が進みまして1ドル145円程度の為替となった訳ですが、特別な「通貨安」という程のレベルでもないでしょう。その後デフレが継続した訳ですが、この期間中にはITバブル頃に円高値の102円程度をつけた後02年初め頃には135円程度まで円安が進みました。これでも通貨安というほどのレベルではなく、財政規律が緩んでいて、財政赤字が大きくなっていく過程であったのですけれども。この程度の円安ということで、単なる為替変動の範囲とも考えられるかもしれませんね。なので、日本での「財政赤字」というレベルは、他の通貨暴落といったレベルとは大きく異なっていると思われます。


それでも、経済状況の悪化に伴って国債残高はどんどん増えていきました。財政規律を緩めた訳でもなく、むしろ厳しく絞ることを行っていったのに、プライマリーバランスは悪化していったのです。これは税収の落ち込みということもありますし、デフレによる悪影響というものが出たのであろうと思います。本来国債発行残高が増加すると、金利は上昇していっても良さそうなのですが、何故か長期金利は低下していってしまったのです。ゼロ金利政策の影響というものも多少はあるかもしれませんが、短期金利や中期的な金利の影響とは訳が違いますね。長期金利というのは、短期的な政策とか経済情勢には大きな影響を受けにくくなるはずなのです。であれば、ゼロ金利を多少は影響があったとしても、長期金利までがそんなに低下する意味というのは本来なさそうなのですね。でも、どうしたことか、長期金利は低下していったのです。これは長期金利の指標である国債価格(主に10年債の利回り)が、そういう傾向を示していた、ということです。ある意味不思議ですね。


日本での特殊な状況というのは、長期金利の指標である10年債の利回りに現れていると思います。「97年ショック」以降、銀行の国債保有残高は増加していく一方でした。そして、遂には03年6月頃になると「国債バブル」とも言うべき不可思議な現象が見られました。何と、10年債利回りが0.5%を切ってしまったのです。異常な高値を付けていた訳ですね。当時は株価がえらく下がっていた時期でした。企業は現金集めに勤しみ、銀行も集まったお金を貸し出しには回さずに、国債をひたすら買っていった訳です。福井総裁は「長期金利はマーケットが決めることであり、政策として誰かが操作するべきものでない」というような主旨の発言をされていたが、市場判断というのは、たとえ長期金利であっても相対的な判断しか出来ず正しい経済状況を反映するものではない、ということです。普通であれば、自然利子率が長期的な潜在成長率を反映し、それに期待インフレ率とかリスクプレミアムが付加された形で表れてくるものでしょう。しかし、そういったファンダメンタルズにはよらない、まさにいい加減な参照情報(他の人達が国債を買うからウチも買う、みたいな)に左右された「市場判断」というものも現実には出てきているのです。市場判断がいつも望ましい、などとは到底言えないでしょうね。


この僅か3ヶ月後には国債市場では暴落したのですね。何と、1.5%を超える水準まで一気に戻してしまいました。よく「1%も長期金利が一気に上昇したら日本経済は・・・云々、おまけに国家財政は破綻する・・・云々」というようなことが言われていますが、すでに最悪期と思われたデフレ期間において、そうした「長期金利暴騰」という局面を経験している訳ですね。現実に長期金利はたった3ヶ月で3倍になった訳です(笑)。マーケットなんていうのは、そういうレベルであるということですね。「必ずしも信用できない」、と。


ですので、長期金利に関しては結構謎が多いのですね。金融政策の影響を反映すると思われる短・中期金利はまだしも、長期金利は有意な相関があるわけではないのですし。物価(CPI)というのは、期待インフレ率を反映していますから、そうした下落の影響を長期金利までもが受けていたということが有り得るのかもしれませんしね。
これは政策的なことが関係しているのでは、とちょっと思いました。



物価と国債の関係ですけれども、次のような式があると考えられています。

プライマリーバランスの現在割引価値=国債償還額/物価


これは財政の影響を物価が受けてしまう、ということを示しています。しかも財政赤字にも関連しており、「財政規律が云々」と福井総裁に言われるのにはこうした点も影響しているのかもしれませんね。国債償還額は毎年増大してきたのに、物価の変化率がマイナスになるということは、プライマリーバランスの割引現在価値の変化率がそれを超えるマイナスであった、ということでしょうか。

確かに、デフレにはこうした財政の影響というものも関係していた可能性はあると思います。以前に触れた「2相性のデフレ」ということは、この財政政策の関連という意味でもあるのかな、と感じたのです。


これは別に書いてみたいと思います。



話題シリーズ22

2006年02月16日 00時07分41秒 | 社会全般
1)すり替えられた規制緩和

中橋克人さんという方からコメントを頂いた(お金の流通速度)のですが、とても内容の濃いものでしたので、答えられる範囲でお答えをしたいと思います。私には荷が重いと言えるのですが。私は一介のオヤジに過ぎないのですし。私のような「お寒いブログ」には、椿事と言えましょう。これは別にいいのですが、本題に入りたいと思います。


中橋さんの主旨を私の理解として簡単に申し述べますと、次のようなことであると思います。

・現在の規制緩和路線というのは必要なものもあるが、行き過ぎた部分もあって市場競争原理主義的な面が強く出てきており、そこには社会的調整というものも必要である。
・このような路線の推進力は主に官僚への批判であり、官から民へと受け渡される権限はかつては政官業トライアングルを構成していただけの大企業群という「業」に行くに過ぎず、内輪での「官から業」ということでは何の意味もない。


これについては、以前にも記事に多少触れておりますので挙げておきたいと思います。

不正と不公平と「小さな政府」


規制緩和や改革路線というのは、必要な部分もありますが逆に規制強化するべき部分もあります。競争を重視するとしても、郵政民営化の時に盛んに言われた「イコール・フィッティング」という面においては、逆にルールやシステムを強化しなければならない面があると思います。市場競争の機能を効果的に発揮させるにも、望ましい市場形成が出来ないとすれば、不公正な結果を招いてしまう可能性があると思います。ですので、単なる「放漫」とか「まる投げ」ではないようなシステム形成を目指す必要があると思います。そういう意味においては、中橋氏の意見というものに賛同出来ないということではありません。一つ言えることは、昨年の選挙において国民は郵政民営化には賛成という信任を与えたと思いますが、その他の全てについてもそうであるということを示した訳ではありません。国民が新たな政治・統治システムを得る為の意思表示をしたということに意味があったのです。


従いまして、国民が政治の方向性や個別の政策等については意思表示を積極的に行っていくことが求められ、中橋氏の仰るような意見というものも行政は配慮するべきであろうと思います。「改革」自体は必要ですが、何を変えて何を守るのか、という視点が必要になってくると思います。

関連する記事を次に書いてみたいと思います。


2)役人「天下」の天下り

やっぱりそうでしたか、としか言いようがありませんね。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 国家公務員、天下りは2万2千人超…衆院調査

記事より一部抜粋。

独立行政法人や公益法人に天下りした国家公務員が昨年4月の時点で2万2093人にのぼることが15日、衆院の調査でわかった。天下り先の3987法人への補助金交付額は、総額5兆5395億円に達している。調査は昨年10月、民主党議員の要請で衆院調査局が実施した。16省庁が所管する公益法人、独立行政法人や、国から補助金を受けている法人などにおける、国家公務員の出身者数や補助金交付額を調べた。


このような状況ですので、放置する訳にはいきません。これを変えるのはやはり政治的な推進力がなければ難しく、「小さな政府」という意味はここにあります。「改革」という政治力が必要とされる、ということです。

こうした中央の「外側」にある錬金術システムを壊していく必要があると思います。

小泉さんも微妙に関連のある意見を出していたようです。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 改革進めないと経済良くならない…首相が経団連会長に


3)国立がんセンターの独法化

これも改革路線と関連していますが、省庁の考えることというのは如何に抵抗の少ない領域から削っていくか、ということです。そこには将来的な戦略が全くない、としか言いようがありません。これはまさに改革路線の負の部分であると思います。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 国立がんセンター、2010年度に独立行政法人化


21世紀は「ゲノムの世紀」とまで言われ、しかも国家的な戦略分野ということで「バイオ・ゲノム」ということを挙げておきながら、そうした先端研究分野をわざわざ国から切り離そうとする訳です。まさに愚策としか言いようがありません。官僚達にとってセンターというのは、人数が多いし身内の中で切り易い分野という理由に過ぎないのです。何たって技術系ですからね。


アメリカを見たって、これに類する拠点が国立の機関として存在しているのです。NIHも、CDCも、FDAも国立の機関として医療分野の統括をしているのです。敢えて民営にして競争力を殺ぐ必要などないのにも関わらず、日本では国立であることを止めるんだそうです。単なる数合わせの為に。研究開発という部分で見ても、国際的な競争に大きなマイナスとなってしまうでしょう。ただでさえ日本が遅れを取ってきている、という危惧があるのに、です。本気で他国と競争していこうと思うのであれば、人員も資金も重点的に投入する必要があると判っているのに、です。全く愚かとしか思えません。国立大学の独法化という愚策に続いて、またも研究分野での衰退を招く可能性が高くなると思います。


政治的に変な方向に進もうとした時に、何がダメなのかということを、多くの国民が意思表示していくことが必要であると思います。