日銀の考え方というのは、かなり難しいです。しかし、一つ重要なことがわかりました。それは既に出された経済学論争とか、よく出される問題点ということについては、多分日銀側では少なくとも一度は検討課題として取り上げて殆どを網羅している、ということですね。インフレターゲットの問題にしても、かなり早い段階から研究をしていて、それで否定的な見解となっているので、これが何故なのかということは更なる謎となっています。どういう経緯でそのような決定がなされるのか、そういうのが実は不明であるのですね。勿論政策決定会合の議事録公開などで少しは分りますけれども、そういうことではなくて、何か「中心命題」のような、それか伝統の「信念・信条」というような特別な思想というものがあるのではないのかな、とさえ思えることです。これが「謎」という意味です。
散々検討した結果、却下・否定、というような結論を出す訳ですから、よく知らないということでもありませんし、むしろ議論の表も裏も知っていて、尚且つ否定するということは余程特別な理由があるはずなのです。でも、それが何なのか判らない。私のような一般人にとっては、より一層理解が難しいですね。全く予想もつかない。きっと、特殊な知識とか、世間に周知することが憚られるような理由とか、そういうものがあるだろうか。普通に考えて、知らなくて間違うということはまず少ないだろうし、知ってて間違うのだとしたらかなりのバカだし、どっちにしても謎は解けないのです(笑)。
まあ、これは考えても判らないので、放置しておきます。で、金利のことを調べてみましたので、また、自分の理解の範囲で書いてみたいと思います。
基本的な金利式というのは、bewaadさんの記事にも説明があったように、次の「フィッシャー恒等式」というのがあります。
名目金利=自然利子率+期待インフレ率
「フィッシャー効果」(期待インフレ率が変化した時に名目金利が同じだけ変化するので、実質金利が変動しない)というのもあるようですが、実証研究などによって、一般にこれは短期的には成立しない、と考えられているようです(長期間になれば有り得るのかもしれません)。自然利子率というのは、別な言い方では「均衡実質金利」というのもあります。クルーグマンは日本のデフレ期間中においては、自然利子率がマイナスとなっていたのではないか、ということを言っていたようです。すなわち、名目金利がゼロ金利ですので、
0=自然利子率+期待インフレ率
となり、期待インフレ率がプラスの値を取るならば、自然利子率がマイナスとなってしまうということです(でも、デフレ期待ということならば、期待インフレ率がマイナスの値を取り、自然利子率がマイナスとなるとは限らないようにも思えます)。推計では97年ショックの後位から02年初め頃まで自然利子率はマイナスとなっていた、とも言われているようです。
自然利子率は長期的には潜在成長率と近似されており、短期的には潜在成長率と各種の経済ショックによる短期変動の合わさったものとなると考えられています。潜在成長率は技術革新などによる産出量の増加具合を表しており、現実の産出量との差は産出ギャップなどと呼ばれたりします。所謂GDPギャップはこの産出ギャップを代用するものと考えられます。
bewaadさんが説明して下さっていますが、「テイラー・ルール」について、書いておきたいと思います。
「テイラー・ルール」の基本的な形とは次のように表されるそうです。
政策(名目)金利=実質均衡金利+期待インフレ率+WT1×(インフレギャップ)+WT2×(産出量ギャップ)
テイラーは均衡実質金利を2%、潜在成長率を2.2%、WT1=WT2=0.5として決めたようです。この式は最初のフィッシャー恒等式と似ていますが、インフレ率の乖離とGDPギャップを含むものにしているのは、恐らく自然利子率の短期的変動に影響を与える成分としてこれらの追加項を入れた(その影響度は均等ということで0.5)のだろうと思います。長期的に均衡状態で変動やショックが発生しなければ、本来的にはフィッシャー恒等式で表される自然利子率の部分が潜在成長率に置き換わればいいのですし。でも、潜在成長率が判っていても、短期的変動が期待インフレ率に全て出てくるとは限らないのではないかと思いますので。しかも、モデルの前提条件は潜在産出量を求めるのには、価格が完全な伸縮性を持つということが必要です。現実の経済状況とは異なっているのではないかと思われます。そういった意味においても、追加項を入れたんではないのかな、と。テイラーの元々の論文を読んだ訳でもないので、全くいい加減な推測なのですけれど。
日本では別な式を用いていたりするようです。それは日本の潜在成長率の長期的な線形トレンドが見出せないから、ということのようです。米国では潜在成長率は比較的安定した変動で収まっているので、こうしたテイラー・ルールの適用でも問題ない、ということであろうと思われます。日本では、テイラー・ルールの式のうち、均衡実質金利と潜在産出量の部分についてはスムージングを施した(ノイズ除去?というかフィルタリング操作をしているようです)数値を代用して用いている、ということのようです。
また、テイラー・ルールはbackward-looking な決定方法であり、forward-looking なテイラー・ルールというのもあるようです(どんなのかは詳しく判りません)。福井総裁がよくこのforward-lookingと言っていたのを思い出しました。きっと、そういった何かのルールがあるのかもしれません。
このように見ると、日本での問題としては、
・均衡実質金利の決定(各種経済ショックによる短期的変動をうまく反映しているか?)
・期待インフレ率の決定(多分日銀はこれはゼロ、と決めているだろう)
・産出量ギャップを知るための潜在成長率の決定(諮問会議で平ちゃんと与謝野さんの論争でも出た)
という部分ではどのように対処しているか不明です。
また政策担当者たちは、通常正確な統計データが出揃った段階で決定するのではなくて、今、目の前にある「おおよそのデータ」を用いて決定していかねばならないので、正確な統計が出揃ってからの計算結果を用いた判断とは異なる事も起こり得るということになる。つまり、既に結果が出ている長期トレンドを確認して、現時点から過去を振り返ってみた時と、見えない領域である将来時点を考えて判断していく時とは、これもやはり判断が多少異なってしまうこともあるのかもしれない、と思った。別に日銀の肩を持つ訳ではないけれど、幾つかのモデルがあることはあるが、どれも不完全であり、分析も数値も不完全ながらも適用せざるを得ず、たった今持っている情報を元に決めるということになれば、数年後か数十年後になってbackward-lookingでは判ることがあっても、その時点では予測できなかった(判らなかったor 間違えた)こともあるのかもしれない。
たとえそうだとしても、日本が陥ったデフレの罪は大きいであろう。余りにも時間が長すぎた。これは、何ら罪も無い人々の人生が懸かった大問題なのであり、前半部分でのデフレ脱却にしくじったのであれば、せめてその後にチャンスがあったのなら全力でデフレ脱却に賭けるべきであったろう。思想なのか信条なのか判らないが、日銀のツマラナイ意地の為に、それと引き換えに多くの人々は「失業」という代償を押し付けられた。その犠牲は余りに大きかったぞ。多くの国民はこのことを知らないし、私もそんなことは難しいので全く知らなかった。人々から仕事を奪う、ということをやってしまった罪は重い。たとえ既得権者達が少し損をしたとしても、仕事を失う人々がこれほど増えるのを望むという人たちが、圧倒的多数派なのだとは到底考えられないのです。
散々検討した結果、却下・否定、というような結論を出す訳ですから、よく知らないということでもありませんし、むしろ議論の表も裏も知っていて、尚且つ否定するということは余程特別な理由があるはずなのです。でも、それが何なのか判らない。私のような一般人にとっては、より一層理解が難しいですね。全く予想もつかない。きっと、特殊な知識とか、世間に周知することが憚られるような理由とか、そういうものがあるだろうか。普通に考えて、知らなくて間違うということはまず少ないだろうし、知ってて間違うのだとしたらかなりのバカだし、どっちにしても謎は解けないのです(笑)。
まあ、これは考えても判らないので、放置しておきます。で、金利のことを調べてみましたので、また、自分の理解の範囲で書いてみたいと思います。
基本的な金利式というのは、bewaadさんの記事にも説明があったように、次の「フィッシャー恒等式」というのがあります。
名目金利=自然利子率+期待インフレ率
「フィッシャー効果」(期待インフレ率が変化した時に名目金利が同じだけ変化するので、実質金利が変動しない)というのもあるようですが、実証研究などによって、一般にこれは短期的には成立しない、と考えられているようです(長期間になれば有り得るのかもしれません)。自然利子率というのは、別な言い方では「均衡実質金利」というのもあります。クルーグマンは日本のデフレ期間中においては、自然利子率がマイナスとなっていたのではないか、ということを言っていたようです。すなわち、名目金利がゼロ金利ですので、
0=自然利子率+期待インフレ率
となり、期待インフレ率がプラスの値を取るならば、自然利子率がマイナスとなってしまうということです(でも、デフレ期待ということならば、期待インフレ率がマイナスの値を取り、自然利子率がマイナスとなるとは限らないようにも思えます)。推計では97年ショックの後位から02年初め頃まで自然利子率はマイナスとなっていた、とも言われているようです。
自然利子率は長期的には潜在成長率と近似されており、短期的には潜在成長率と各種の経済ショックによる短期変動の合わさったものとなると考えられています。潜在成長率は技術革新などによる産出量の増加具合を表しており、現実の産出量との差は産出ギャップなどと呼ばれたりします。所謂GDPギャップはこの産出ギャップを代用するものと考えられます。
bewaadさんが説明して下さっていますが、「テイラー・ルール」について、書いておきたいと思います。
「テイラー・ルール」の基本的な形とは次のように表されるそうです。
政策(名目)金利=実質均衡金利+期待インフレ率+WT1×(インフレギャップ)+WT2×(産出量ギャップ)
テイラーは均衡実質金利を2%、潜在成長率を2.2%、WT1=WT2=0.5として決めたようです。この式は最初のフィッシャー恒等式と似ていますが、インフレ率の乖離とGDPギャップを含むものにしているのは、恐らく自然利子率の短期的変動に影響を与える成分としてこれらの追加項を入れた(その影響度は均等ということで0.5)のだろうと思います。長期的に均衡状態で変動やショックが発生しなければ、本来的にはフィッシャー恒等式で表される自然利子率の部分が潜在成長率に置き換わればいいのですし。でも、潜在成長率が判っていても、短期的変動が期待インフレ率に全て出てくるとは限らないのではないかと思いますので。しかも、モデルの前提条件は潜在産出量を求めるのには、価格が完全な伸縮性を持つということが必要です。現実の経済状況とは異なっているのではないかと思われます。そういった意味においても、追加項を入れたんではないのかな、と。テイラーの元々の論文を読んだ訳でもないので、全くいい加減な推測なのですけれど。
日本では別な式を用いていたりするようです。それは日本の潜在成長率の長期的な線形トレンドが見出せないから、ということのようです。米国では潜在成長率は比較的安定した変動で収まっているので、こうしたテイラー・ルールの適用でも問題ない、ということであろうと思われます。日本では、テイラー・ルールの式のうち、均衡実質金利と潜在産出量の部分についてはスムージングを施した(ノイズ除去?というかフィルタリング操作をしているようです)数値を代用して用いている、ということのようです。
また、テイラー・ルールはbackward-looking な決定方法であり、forward-looking なテイラー・ルールというのもあるようです(どんなのかは詳しく判りません)。福井総裁がよくこのforward-lookingと言っていたのを思い出しました。きっと、そういった何かのルールがあるのかもしれません。
このように見ると、日本での問題としては、
・均衡実質金利の決定(各種経済ショックによる短期的変動をうまく反映しているか?)
・期待インフレ率の決定(多分日銀はこれはゼロ、と決めているだろう)
・産出量ギャップを知るための潜在成長率の決定(諮問会議で平ちゃんと与謝野さんの論争でも出た)
という部分ではどのように対処しているか不明です。
また政策担当者たちは、通常正確な統計データが出揃った段階で決定するのではなくて、今、目の前にある「おおよそのデータ」を用いて決定していかねばならないので、正確な統計が出揃ってからの計算結果を用いた判断とは異なる事も起こり得るということになる。つまり、既に結果が出ている長期トレンドを確認して、現時点から過去を振り返ってみた時と、見えない領域である将来時点を考えて判断していく時とは、これもやはり判断が多少異なってしまうこともあるのかもしれない、と思った。別に日銀の肩を持つ訳ではないけれど、幾つかのモデルがあることはあるが、どれも不完全であり、分析も数値も不完全ながらも適用せざるを得ず、たった今持っている情報を元に決めるということになれば、数年後か数十年後になってbackward-lookingでは判ることがあっても、その時点では予測できなかった(判らなかったor 間違えた)こともあるのかもしれない。
たとえそうだとしても、日本が陥ったデフレの罪は大きいであろう。余りにも時間が長すぎた。これは、何ら罪も無い人々の人生が懸かった大問題なのであり、前半部分でのデフレ脱却にしくじったのであれば、せめてその後にチャンスがあったのなら全力でデフレ脱却に賭けるべきであったろう。思想なのか信条なのか判らないが、日銀のツマラナイ意地の為に、それと引き換えに多くの人々は「失業」という代償を押し付けられた。その犠牲は余りに大きかったぞ。多くの国民はこのことを知らないし、私もそんなことは難しいので全く知らなかった。人々から仕事を奪う、ということをやってしまった罪は重い。たとえ既得権者達が少し損をしたとしても、仕事を失う人々がこれほど増えるのを望むという人たちが、圧倒的多数派なのだとは到底考えられないのです。