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日銀のphilosophy

2006年03月04日 23時53分39秒 | 経済関連
いよいよ日銀も本気モードのようです。漏れ出る情報の多くは「解除」に向けた報道になっています。
うーむむむ・・・・う。

FujiSankei Business i.(2006/3/4)


昨年の福井総裁の「莢雑物発言」(参考記事)の意図がよーく判りました。周囲の雑音は全て抹殺する、ということです。決して邪魔立てはさせない、ということですね。


前にも書いたように(参考記事)、当たり前と言ってしまえばそうなのですが、日銀は普通に考えられている経済学上の論争は大体網羅している、ということです。まあ、専門にやっているプロ集団ですので、それは当然ではありますが。なので、CPI の上方バイアス問題についても、前世紀の時点で色々とあった訳ですね。例のボスキンレポートですが、これを受けてOECDでも話し合われたりするなど、日本以外の国々でも「指標の問題」というのがちょっとしたブーム(笑)になっていたみたいです。


で、日銀は総務省に文句(笑)を言ったんですね(総務省統計局)。でも、統計局では「米国とは違うし、ちゃんとやってるよ」と説明したものの、2000年の改定前には指標の中身を手直してみたんですよね、多分。それに経済企画庁時代でも、物価局?だかで指標が検討されていましたしね。なので、昔に比べて今の指標のバイアス幅は小さくなっている、ということを日銀は考えていると思います。昔の時点で、ボスキンレポートで指摘していた1.1%という水準ではなくて、日本ではバイアスがあっても約0.5~1%程度ではないか、と考えられていたようです。現時点ではそれよりも小さくなっていると推測され、概ね0.5%以下という認識ではないかな?と。


指標問題というのは、GDP統計についても同様にあって、パーシェ指数による下落効果(参考記事1)ということはかなり以前に指摘していた。一昨年だったかに内閣府が統計改革に伴い、計算し直していましたね。これは指標のテクニカルな問題なのでしょう。


そういう訳で、日銀に対しては、専門的な問題提起というのものが有効に作用するということは期待し難いのですね。しかし、日銀には弱点もあって、それは非常に「打たれ弱い」ということですね(笑)。批判の集中砲火には滅法弱い、という印象です。なので、国民世論や政治的な包囲網には配慮せざるを得ないと思います。言ってみれば「そもそも論」的な論点でないと、個別のテクニカルな話題では必ず「言い訳」してきますね。そういう理論武装というのは、結構「積み上げ」が出来ているように思います。それは、日銀にあれこれ指摘する人々が後を絶たないからですね(笑)。国内ばかりではなくて、海外からもそういう意見が多いのですから(その原因は日銀にあることは明白であると思いますけれども)。


最も根本の問題というか、philosophyの部分ですけれども、日銀には何か独特のものがあるのだと思います。そうでなければ、ここまで頑迷な態度を維持することが出来ないと思いますね。これを続けることの方が、はるかに労力が大きいですね。でも、日銀では多大なコストを払ってまで、「伝統的なphilosophy」を守り抜こうとするのです。それは一体何なのか?その正体とは何か?これが真の謎なのです。
「教えてにちぎん!」でもいいので、是非とも教えて欲しいですね(笑)。


もう一度、日銀の存在意義について考えるべきです。何の為に存在が許されるのか。誰の為にあるのか。何を達成することが目的なのか。そういう部分で日銀の再考を促したいと思いますね。これが理解できなければ、必ずや同じ批判にさらされるでしょう。同じ過ちを繰り返すのです。