前の記事(「paperboy」と「待つ人」)にLenazoさんからコメントを頂いたのですが、ちょっとお答えしようと思います。
引用したITmediaの記事では、社長さん自身が「こうしろ」「ああしろ」ということを言ったりしている訳ではありません。単に、インタビューに答えているだけです。自分の経過を語っているだけですね。なので、マネしたくない人は別な生き方をすればいいだけのことです。脱出に成功した人の体験を聞いて、「自分もやってみよう」と思う人が頑張ればいいだけの話ではないでしょうか。社長になってしまった人は、自身の人生の歩みについて口を閉ざすべき、とも言うことはできないでしょう。成功した人が何を言っても無駄、ということであれば、現状を脱出できない人たち同士で「自分は未だにこんなに苦しんでいる」という体験を語り合うというような方法を考えてみるべきかと思います。
元々は、先日書いた新聞配達・新聞奨学生の話(参考記事)とタイミングが合っていたので、取り上げたに過ぎないのですが。
>「待ち組」なる単語・・・
これも、単なる誤解か認識のすれ違いにしか思えません。記事中には何処にも書いていない訳ですし。待っていたのは戸田氏であり、「20年待ち続けた」結果チャンスを掴んだ、ということであって、待っていることを非難しているのと全然違いますよ。戸田氏はフリーターとかニートの代表例でもありませんし。
普通は20年も待つのは苦しいでしょ、そこまで初志貫徹できますか?ってことですね。私ならば待てないと思います。それに、チャンスを待っている間に「何をするか」ということは重要だと思います。前に転職歴が非常に多かった小松左京氏の話も書いたのですけど、意志が強ければずっと後になっても夢を実現している人もいる、ということです。「長く待っていて成功した」事例を出すのも批判に過ぎない、ということであれば、マネしたりせずに、長く待たないで別な仕事に就けばよろしいのではないでしょうか。
>貧困家庭の出身であったり、教育機関の中退歴があったり
ですから、新聞奨学生になるなり、自分で大検の勉強をするなりしたらよろしいのではないでしょうか。仕事をしながらでも、夜の定時制高校もありますよ。paperboyの社長さんの記事で、まさにそういうことが述べられているわけですが。それすら自分でできない、ということであれば、大学等に行けなくても仕方がないのではないでしょうか。貧乏だからといって、全ての道が閉ざされている訳ではないですよ。これも何か「支援をしろ」ということでしょうか?家が貧乏である、という権利をもって「大学に優先的に入学させる」と?
ホワイトカラーの仕事に就きたいということであれば、面接を受けるしかないと思いますが。95年頃に大卒で30万人くらいが就職していますが、2000年以降でもほぼ同じ規模で就職しているようです。社会全体で見て、昔よりホワイトカラーの従事者が減り、ブルーカラーが増えているならば、産業構造の問題であると思いますが、あまり変化がないとすれば昔に比べてホワイトカラーを希望する人が増えて結果的に競争倍率が厳しくなっただけではないでしょうか(むしろ、ブルカラーの減少であると思いますけれど、調べてないので推測です)。例えば、女子アナのポストが少なすぎるので競争が激化したら、「女子アナのイスの数を増やせ」という主張なのでしょうか?ホワイトカラーの勤め口を誰がどうやって供給するか問題があります。日本は製造業が基幹産業であったりしますし。
「誰も余らないように」というのは、現状では無理です。大卒だろうが、大学院卒だろうが、それを理由にして、その人に仕事を供給するなんてことは多分難しいのではないでしょうか。誰かが「大企業」に勤めたら、溢れた人達は他へ回らなければならないのです。自分の同級生が100人で、「大企業組のイス」が30、残り70は「中小企業のイス」だったら、どうするのでしょう?他の同級生は座れなくても、「自分は大企業のイスに座りたい」ということでしょうか。それとも、他の同級生が座れるように、「自分が獲得した大企業のイスを譲る」ということでしょうか。もしも、「大企業のイス」を自分にもよこせ、ということであるなら、他の同級生のイスを奪い取ることと何ら変わりはありません。それか、今座っている人のイスを蹴り飛ばして、自分が座るということに他ならないのではないでしょうか。
仮に大企業のイスを30じゃなくて、50に増やせ(これでも根本的解決にはならないでしょうが)、ということなら、いくつか方法が考えられると思います。現在1人一脚で座っているものを、「6人がけベンチ」にしてそこに「無理やり10人座る」という方法です。今まではゆったり座れたものが、ぎゅうぎゅう詰めになるので居心地は悪くなるし、前から座っている人々からは不満も多く出ますけれども。労働組合が「待遇を改善せよ」と言うのは、こうした「6人がけイス」をもっとゆったり座れるようにしろ、というものです。飛行機のシートで言うと、エコノミー6人分から、スーパーシート6人分にしてくれ、という要求をしている、ということです。多くの労働者は、「10人がけにしよう」ということに賛成なんてしないんですよ。これは制度でも何でもなくて、一般的傾向はそうだろう、ということです。他には、中小企業のイスを20脚分大企業に移すという方法もありますが、これはどこかの大企業が零細・中小企業を大量に買収・合併等を行わない限り無理です。そんなことを政策的に求めることなんて無理でしょうね。なので、大企業のイスを倍に増やせ、とか言ってみたところで、それは普通無理なのです。過去の大半の人々は中小企業のイスに座ってきました。ブルーカラーを望んだりしなくても、そこしか座れなければ多くの人は座ってきたのです。それを受け入れられないのであれば、別な生き方をするしかないと思います。
雇用・労働政策とか、経済政策によって、ターゲットとする全体的な層にアプローチ可能であると思いますけれども、個々の例で見れば、ミクロ的に救済することは困難であることが多いと思います。つまり、1人1人に対応し全員を救済可能とする「政策」というのは、有効なものは中々出てこない、ということです。殆どが現実的に無理だからです。「労働保険のない若年労働者の割合を今の半分にする」という政策を考えることは可能であっても、AさんやBさんをターゲットにして考えることは難しいと思います。同じく、失業率を1%改善させる経済政策は考えられても、「Aさんのお父さん」や「Bさんのお兄ちゃん」の失業を改善させる具体的政策なんて考えられないのです。マクロ的な政策によって(私は社会保障政策や経済政策が有効と考えていますが)、労働環境の整備や基本的権利を守ろうとすることは可能かもしれないですが、「ホワイトカラーの就業を全員可能にしてくれ」という政策は難しい、ということです。
企業が悪い、制度が悪い、採用方法のせいだ、・・・モロモロあると思いますが、不備の多い制度だろうが何だろうが、その同じ悪条件の中、誰かは確実にイスに座っており、女子アナの競争倍率がどれほど高くても現実に女子アナは毎年新採用されているんですよ。最終的には、個々の事例で見てしまえば「自分次第」としか言いようがなく、20年待つ人もいれば、20代で社長になる人もいるのです。いかに文句を言ってみたところで、目の前に「さあどうぞ」とイスが用意されるわけではないのですから。結局、自分自身としては、「じゃあ、どうしたいんですか」ということです。
引用したITmediaの記事では、社長さん自身が「こうしろ」「ああしろ」ということを言ったりしている訳ではありません。単に、インタビューに答えているだけです。自分の経過を語っているだけですね。なので、マネしたくない人は別な生き方をすればいいだけのことです。脱出に成功した人の体験を聞いて、「自分もやってみよう」と思う人が頑張ればいいだけの話ではないでしょうか。社長になってしまった人は、自身の人生の歩みについて口を閉ざすべき、とも言うことはできないでしょう。成功した人が何を言っても無駄、ということであれば、現状を脱出できない人たち同士で「自分は未だにこんなに苦しんでいる」という体験を語り合うというような方法を考えてみるべきかと思います。
元々は、先日書いた新聞配達・新聞奨学生の話(参考記事)とタイミングが合っていたので、取り上げたに過ぎないのですが。
>「待ち組」なる単語・・・
これも、単なる誤解か認識のすれ違いにしか思えません。記事中には何処にも書いていない訳ですし。待っていたのは戸田氏であり、「20年待ち続けた」結果チャンスを掴んだ、ということであって、待っていることを非難しているのと全然違いますよ。戸田氏はフリーターとかニートの代表例でもありませんし。
普通は20年も待つのは苦しいでしょ、そこまで初志貫徹できますか?ってことですね。私ならば待てないと思います。それに、チャンスを待っている間に「何をするか」ということは重要だと思います。前に転職歴が非常に多かった小松左京氏の話も書いたのですけど、意志が強ければずっと後になっても夢を実現している人もいる、ということです。「長く待っていて成功した」事例を出すのも批判に過ぎない、ということであれば、マネしたりせずに、長く待たないで別な仕事に就けばよろしいのではないでしょうか。
>貧困家庭の出身であったり、教育機関の中退歴があったり
ですから、新聞奨学生になるなり、自分で大検の勉強をするなりしたらよろしいのではないでしょうか。仕事をしながらでも、夜の定時制高校もありますよ。paperboyの社長さんの記事で、まさにそういうことが述べられているわけですが。それすら自分でできない、ということであれば、大学等に行けなくても仕方がないのではないでしょうか。貧乏だからといって、全ての道が閉ざされている訳ではないですよ。これも何か「支援をしろ」ということでしょうか?家が貧乏である、という権利をもって「大学に優先的に入学させる」と?
ホワイトカラーの仕事に就きたいということであれば、面接を受けるしかないと思いますが。95年頃に大卒で30万人くらいが就職していますが、2000年以降でもほぼ同じ規模で就職しているようです。社会全体で見て、昔よりホワイトカラーの従事者が減り、ブルーカラーが増えているならば、産業構造の問題であると思いますが、あまり変化がないとすれば昔に比べてホワイトカラーを希望する人が増えて結果的に競争倍率が厳しくなっただけではないでしょうか(むしろ、ブルカラーの減少であると思いますけれど、調べてないので推測です)。例えば、女子アナのポストが少なすぎるので競争が激化したら、「女子アナのイスの数を増やせ」という主張なのでしょうか?ホワイトカラーの勤め口を誰がどうやって供給するか問題があります。日本は製造業が基幹産業であったりしますし。
「誰も余らないように」というのは、現状では無理です。大卒だろうが、大学院卒だろうが、それを理由にして、その人に仕事を供給するなんてことは多分難しいのではないでしょうか。誰かが「大企業」に勤めたら、溢れた人達は他へ回らなければならないのです。自分の同級生が100人で、「大企業組のイス」が30、残り70は「中小企業のイス」だったら、どうするのでしょう?他の同級生は座れなくても、「自分は大企業のイスに座りたい」ということでしょうか。それとも、他の同級生が座れるように、「自分が獲得した大企業のイスを譲る」ということでしょうか。もしも、「大企業のイス」を自分にもよこせ、ということであるなら、他の同級生のイスを奪い取ることと何ら変わりはありません。それか、今座っている人のイスを蹴り飛ばして、自分が座るということに他ならないのではないでしょうか。
仮に大企業のイスを30じゃなくて、50に増やせ(これでも根本的解決にはならないでしょうが)、ということなら、いくつか方法が考えられると思います。現在1人一脚で座っているものを、「6人がけベンチ」にしてそこに「無理やり10人座る」という方法です。今まではゆったり座れたものが、ぎゅうぎゅう詰めになるので居心地は悪くなるし、前から座っている人々からは不満も多く出ますけれども。労働組合が「待遇を改善せよ」と言うのは、こうした「6人がけイス」をもっとゆったり座れるようにしろ、というものです。飛行機のシートで言うと、エコノミー6人分から、スーパーシート6人分にしてくれ、という要求をしている、ということです。多くの労働者は、「10人がけにしよう」ということに賛成なんてしないんですよ。これは制度でも何でもなくて、一般的傾向はそうだろう、ということです。他には、中小企業のイスを20脚分大企業に移すという方法もありますが、これはどこかの大企業が零細・中小企業を大量に買収・合併等を行わない限り無理です。そんなことを政策的に求めることなんて無理でしょうね。なので、大企業のイスを倍に増やせ、とか言ってみたところで、それは普通無理なのです。過去の大半の人々は中小企業のイスに座ってきました。ブルーカラーを望んだりしなくても、そこしか座れなければ多くの人は座ってきたのです。それを受け入れられないのであれば、別な生き方をするしかないと思います。
雇用・労働政策とか、経済政策によって、ターゲットとする全体的な層にアプローチ可能であると思いますけれども、個々の例で見れば、ミクロ的に救済することは困難であることが多いと思います。つまり、1人1人に対応し全員を救済可能とする「政策」というのは、有効なものは中々出てこない、ということです。殆どが現実的に無理だからです。「労働保険のない若年労働者の割合を今の半分にする」という政策を考えることは可能であっても、AさんやBさんをターゲットにして考えることは難しいと思います。同じく、失業率を1%改善させる経済政策は考えられても、「Aさんのお父さん」や「Bさんのお兄ちゃん」の失業を改善させる具体的政策なんて考えられないのです。マクロ的な政策によって(私は社会保障政策や経済政策が有効と考えていますが)、労働環境の整備や基本的権利を守ろうとすることは可能かもしれないですが、「ホワイトカラーの就業を全員可能にしてくれ」という政策は難しい、ということです。
企業が悪い、制度が悪い、採用方法のせいだ、・・・モロモロあると思いますが、不備の多い制度だろうが何だろうが、その同じ悪条件の中、誰かは確実にイスに座っており、女子アナの競争倍率がどれほど高くても現実に女子アナは毎年新採用されているんですよ。最終的には、個々の事例で見てしまえば「自分次第」としか言いようがなく、20年待つ人もいれば、20代で社長になる人もいるのです。いかに文句を言ってみたところで、目の前に「さあどうぞ」とイスが用意されるわけではないのですから。結局、自分自身としては、「じゃあ、どうしたいんですか」ということです。